翠竜と迷子
庭園での鑑賞の後はいったん邸に入り、薔薇園を見渡せるバルコニーで昼食をとる。バルコニーといっても、前世で社畜が住んでいたワンルームマンションの敷地全体と同じくらい面積がありそうな広さだ。
その広いバルコニーの端近くには、警備を務めるユールノヴァ騎士団と皇室騎士団の騎士が槍を手にして交互に並び、華やかな彫像のように佇んでいる。食卓近くには給仕が行き交い、時には簡易な調理台が運び込まれ料理人が目の前でフランベなどをして賓客を楽しませる。さらには少し離れた小卓に控える毒味役もいて、この広さも広すぎることはない。
薔薇の香りを運ぶ微風が爽やかな、戸外で食事をとるには最適な天候もあって、食卓はなごやかな雰囲気だった。
「そのような強力な竜は、セイン領にも棲んでいるとされているわ」
皇帝から領地の統治で問題はないかと問われたアレクセイが、巨大な竜の出現で建材の伐採が滞っていること、その竜は最古の存在とも言われる北の王、玄竜であることを話したところで、皇后がそう話し出した。
「セインの竜は、海の竜。輝くような翠緑の体躯から、翠竜と呼ばれているの。普段は深海に棲んでいて人と交わることはないけれど、人が海を汚した時には現れて、怒りで街を滅ぼすそうよ。けれど、人の姿に変わると絶世の美女なのですって。
そのせいか、アストラ帝国の頃から続く港町では、夏の祭礼で翠竜に指輪を捧げる風習があるの。選ばれた若者が海に金の指輪を投げ込み、結婚を申し込むのよ。
『美しき方よ、愛の証としてこの指輪を貴女に捧げ、永遠に貴女のものとなることを誓う。貴女を永遠にわたしのものにするために』
その若者が翠竜の目に適えば、美女の姿となって彼の前に現れるそうよ」
「まあ、なんてロマンチックな風習でしょう!」
エカテリーナは思わず声を上げる。
前世のヴェネツィアで行われている、『海との結婚式』に似てる。あちらは都市国家ヴェネツィアの元首が「海よ、お前と結婚する。お前を永遠にわたしのものにするために」と言って指輪を海に投げ込むんだった。
それを何百年も続けてきた末に、今ヴェネツィアの海抜が年々下がってやがて海に沈むと言われているのが、深情けの女に捕まった口先男の末路みたいで趣き深かったり。
「討伐するのではなく愛を捧げるとは、平和的で美しゅうございますわね。玄竜にもそのように捧げ物をすれば、和解できますかしら」
もしかして、玄竜こと乙女ゲームの隠し攻略キャラ、魔竜王ヴラドフォーレンを攻略する隠しルート解放の手掛かりだったりして。
魔竜王も、前世の検索画面で見ただけだけど、黒髪赤眼の絶世の美形だった。ちょっと攻略してみたくなったもんな。お兄様の方が好みにどストライクだからやめといたけど。攻略対象外で、悪役令嬢の横でちょっとなんか言うだけのキャラでも、生きる支えになるほど好きでしたよ。
それにしても、森林破壊には玄竜が怒り、海洋汚染には翠竜が怒るのか。前世の知識からすると、強力な竜たちはこのユールグラン皇国をサスティナブルに保つ、守護神の役割を果たしているように思えるな。ありがとうございます。
「エカテリーナが指輪を捧げて愛を乞うたなら、太陽でさえ天の御座から降りて来るであろうな」
ふ、と笑って皇帝が言う。
「陛下からそのようなお言葉を賜るとは、身にあまる光栄にございますわ」
すげえ皇帝陛下の美辞麗句スキル、お兄様と張り合うレベル。お兄様と違ってリップサービスとはっきり解る感じもむしろ洒脱で良いわ。外交とかで鍛え上げられてるんだろうな。
皇子もいつかこうなるのかな……な、なんか今のままでいてほしいかも。
「玄竜であろうと太陽であろうと、妹を渡すつもりはありません。もしも天から降りてきたなら、私が決闘を申し込みましょう」
むすっとアレクセイが言った。
なんかすみませんお兄様、両陛下にシスコンを披露させてしまってすみません。
「まあお兄様。お兄様が決闘なさるなら、わたくし及ばずながら助太刀いたしますわ」
エカテリーナが言うと、皇室御一家が揃って声を上げて笑った。
「勇ましいな、エカテリーナ。もしや剣の心得があるのか」
「それが、まったくございませんの」
「わたくしレイピアなら扱えてよ。少し手ほどきしようかしら」
「素敵!ぜひお願いしとうございますわ」
トップスターな皇后陛下がレイピア遣いってなにそれ新たな萌えの扉!超見てえ!
「エカテリーナ」
たしなめる口調で呼ばれて、エカテリーナは我に返る。そうでしたすみません。
「皇后陛下、有り難き仰せですが、我が妹は身体が弱く激しい運動は控えさせております。入学式の後や先日の魔獣出現の後など、突然倒れてしまったことが何度もありますので」
ぎゃーっ魔獣出現の後のことまでバレてるー!なんでー⁉︎
そう、皇国滅亡ルートのかかった魔獣イベントを乗り切って、お兄様と皇子と一緒に皇都警護隊に情報提供したあの日、お兄様に寮へ送ってもらって。寮の入り口で待っていてくれたミナと特別室へ戻ろうとしたところで……スイッチ切れました。前みたいにロックかかったわけじゃないけど、階段登ろうとしたところでどかーんと疲れが出て動けなくなって、お姫様抱っこアゲインでした。
ミナが報告したのかな。お兄様が雇用主だもんな……。
しかしお兄様、これは私の要望を汲んだ、次期皇后争い不参加宣言ですね!ありがとうございます!
「あの後も?そうだったのか、気付かなくてごめん」
驚いたようにミハイルが言う。
「気丈な子ですから。休むように言ったのに、無理をして」
「だって……お兄様のお側に居たかったのですもの」
上目遣いでエカテリーナが言うと、少し間があって、アレクセイは小さく咳払いした。
「まあ、私が許したのだから、問題はないが」
……両陛下がたいへんほのぼのした眼差しでお兄様を見ておられます。シスコンを披露させてしまってほんとにすいません。
「マグナにも強力な竜がいるのかな」
ミハイルが言い、話題が変わったことにエカテリーナはほっとした。
「ふむ。ウラジーミルなら知っていよう。訊いてみてはどうだ」
「そうですね。学園でもなかなか会えないですけど、機会があれば」
皇帝の言葉に答えたミハイルは、エカテリーナを見て微笑んだ。
「ウラジーミルは下手な学者より豊富な知識の持ち主だからね。読んだ文献は完璧に覚え込む記憶力がある。彼も身体が弱いから領内をくまなく見て歩くことはできないだろうけど、マグナ領について書物に書かれていることはすべて網羅しているはずなんだ。アストラ帝国語の古文書だって、皇国語と同等に読みこなせる」
え……ウラジーミルって、前に皇子の前で嫌味かましてきた、ユールマグナの嫡子だよね。凄い美形だけど、態度のなってない。あれが?
でもそういえば、お兄様も彼のこと、優秀な人間だって言ってたな。
そしてさらにそういえば、ビジュアル系バンドの人みたいと思ったくらい、細くてちょっと不健康な感じはした。お兄様も皇子も、細身ではあってもしっかり筋肉のついた、力強い雰囲気がある。でも尚武の気風だとさんざん聞いたユールマグナの嫡男なのに、ウラジーミルは甲冑着て戦場を駆け回れるような鍛え方をしているようには見えなかった。
「この前はあんな態度だったけど、元々は内気で優しい性格なんだよ。アレクセイも知っているだろう」
「……人が変わってどれくらいになるかも忘れましたが」
アレクセイはそっけなく言う。
「七年だよ。僕はよく覚えてる。君のお祖父様が亡くなって君が皇城にあまり来られなかったのと同じ頃に、ウラジーミルも重い病気になって長い間来なかったから。そのあと、すっかり感じが変わってしまった」
ふと、ミハイルは微笑った。
「もうひとつ、これもよく覚えてる。僕は六歳だったかな、七歳のウラジーミルと初めて会った時、泣いてる彼と手をつないで僕のところへ連れてきてあげたのは八歳の君だった」
わー!なんだそのほのぼの可愛いエピソード!
「初めて来た皇城で、迷子になったと泣いておりましたので」
アレクセイはやはりそっけない。
お兄様、それ相手が女の子だったら完全にフラグです。初恋です。相手が男の子で惜しいようなほっとするような。……まさかBLフラグ……?わかんないけど、お兄様がそれで幸せになるなら受け止めねば!
って何言ってんだ!先走るっていうか暴走するんじゃない自分!
「初めて皇城に来た息子を放って行くなど、ゲオルギーも困った奴だ。マグナの当代は昔から、身近な者ほど後回しにしてしまう癖がある」
皇帝が嘆息した。ウラジーミルの父、ユールマグナ当主ゲオルギーは皇帝と年齢が近く、息子たちと同様に幼い頃は遊び相手だったはずだ。しかし現在は、さほど近しい関係ではない。
「アレクセイもウラジーミルも、次代の皇国を担う優秀な人材だ。それぞれ事情はあろうが、協力しあって皇国に尽くしてもらいたい」
「御意」
皇帝の言葉に、アレクセイは従順に頭を下げた。