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行幸

五月の空は見事に青く晴れ渡っていた。

ユールノヴァ公爵邸の薔薇園は完璧に整えられ落ち葉ひとつ雑草一本なく、色とりどりの薔薇の花々はまさに見頃だ。微風が吹き渡ると薔薇の芳香が香り立ち、美々しい礼服に身を包んだ警備の騎士の傍らで公爵家の紋章が染め抜かれた旗がそよぐ。磨きあげられた噴水から噴き上がる水がきらきらと輝き、小さな虹がかかっていた。



エカテリーナはアレクセイの傍らで、皇室御一家の馬車が到着するのを待っている。

皇都公爵邸の正面玄関前、馬車が数台並んで止められる大きな車回しでは、二人の後ろに一団の騎士が整然と並んで、皇国の国旗と公爵家の紋章旗を掲げている。


到着までもう少しかかりそうだ。それがわかるのは、聞こえてくる歓声がまだ遠いから。


皇城からユールノヴァ公爵邸までは、たいした距離ではない。前世の皇居から赤坂御用地くらいの感覚か。そういえば赤坂御用地は、かつて紀州徳川家江戸上屋敷があった場所らしい。権力者同士の位置関係は、世界が変わってもだいたい同じになるのだろう。

だが毎年の三大公爵家への行幸は皇都の民に広く知られていて、人々が道中の皇室御一家を一目見ようと集まってくる。高位貴族の皇都邸が立ち並ぶ、普段は閑静なこの近隣の広い通りが、この時ばかりは庶民でごった返す。皇室もそれへ手を振りながらゆるゆると馬車を進めるので、移動に時間がかかることになる。


そもそも皇室が三大公爵家を訪問する目的は、皇室と公爵家の結束を示すことだ。なればこそ、わかりやすく前もって目的地までの道筋に交通規制を敷き、皇室騎士団を引き連れ、パレードのようにことさら華やかにやって来る。

そうして三大公爵家の権威を高め他の貴族を押さえる力を与えると共に、三大公爵家同士の競争意識を煽り、彼らが手を結んで皇室に害を為す可能性を摘む狙いもある。

ユールグラン皇国は建国から四百年続く。さまざまな要因あってのこととはいえ、国家としてこれは歴史上まれな長さだ。

その長きに渡り政体を維持してきた皇室。

皇室の血統の護持を役割のひとつとする三大公爵家といえど、畏れ敬うべき存在であった。



歓声は近づき、やがてーーー。


「エカテリーナ、聞こえるか」

「はい、お兄様」


聞こえてきたのは、りょうりょうと吹き鳴らされる角笛の音。

アレクセイが合図をすると、ユールノヴァ騎士団の奏者が角笛を掲げ、高らかに吹き鳴らした。


建国期、長兄ピョートル大帝とのちに公爵家の開祖となる三人の弟が軍を率いて戦場を駆け巡っていた頃、彼らは目で見える旗印を掲げるだけでなく、それぞれに定めた旋律を角笛で吹き鳴らすことで、戦場で自軍の居場所を伝えて連携し合った。

その故事に倣い、皇帝は公爵家へ来駕する際、到着の前に角笛でピョートル大帝の旋律を吹き鳴らさせる。

公爵家は、それぞれの開祖の旋律でそれに応えるのだ。




(あああ歴女の血が騒ぐー!)


皇室御一家の行幸に腰が引けていたエカテリーナだが、一気にテンションが上がっている。この世界の歴史も楽しい。特に皇国の建国期、四兄弟のエピソードは美味しい。



建国の父ピョートル大帝は多くの将兵を心服させるカリスマ性を持ち、個人としても伝説級に強力な雷属性の魔力を持つ戦士であり、深謀遠慮に富んだ政治力も兼ね備えた人物だった。が、個々の戦場で指揮を取るのは得意でなかったらしく、敗北寸前まで追い詰められたところを弟の救援に救われたことが何度もある。

兄を救いに駆け付けるのは、たいてい次兄セルゲイか末子パーヴェル。三男のマクシムは外交や内政に手腕を発揮したが、戦場での指揮は長兄同様苦手だったらしい。その割にマクシムは野心家で、パーヴェルと謀って長兄に離叛しようとしたことが何度もあった。しかしピョートルが皇帝となってからは、皇国の安定と発展に大いに貢献した。

パーヴェルは長兄三男と正反対に武勇の男で、戦場の指揮官としては四兄弟で最も優れていた。若い頃は乱暴者で強さにこだわり、知識人を馬鹿にする言動があったが、歳を重ねるにつれ知識の重要性を理解するようになった。教養を高めなくては、が口癖になり、アストラ研究機関を立ち上げ勉学に励んで、老年の頃にはなかなかに優れた詩文も書くようになったという。

次兄セルゲイは能力に偏りがないオールラウンダー。兄弟の調整役でもあり、三男が離叛しかけた時、説得したり張り倒したりして思いとどまらせ、長兄との仲を修復したのはセルゲイだった。一度も長兄を裏切ることのなかったセルゲイに対するピョートルの信頼は絶大だったが、頼りにするあまりあれもこれも丸投げしてしまい、ブチ切れたセルゲイが全部放り出して自分の砦に自主的に蟄居(というか引きこもり)したことが二回ある。二回ともピョートルがすっ飛んでいって平謝りしたので、仲直りした。

『セルゲイ公はピョートル大帝にとって正妻以上の正妻であった』

とは、とある歴史書の記述。読んでエカテリーナは思わず笑った。

建国期のおおらかさは、どことなく日本の戦国時代に似ている気がする。



「両陛下とも気さくなお人柄であられる。緊張せずいつも通りにふるまいなさい」

「はい、お兄様」


何度も言ってくれた言葉だけど、やっぱり難易度高い。

でも頑張ります!だってお兄様、今日のドレスの方が似合うって言ってくれたし!関係なくてもそれで頑張れるのが女子ってもんだ!

今日のドレスも、瑠璃色の天上の青を活かしたものだけど、上半身の前身頃を春空色にして、そこに黒のレースを重ねた。胸元にレースで控えめなフリルを付け、その中心に虹石のブローチを付けている。

自分で言うのもなんですが悪役令嬢に黒レースハマりすぎ。自分で言うのもなんですがめっちゃ似合ってます。セクシー度も上がってます。いらんけど。


支度を整えて現れたエカテリーナを見た時、アレクセイは目を見開いた。

そして、珍しく言葉を探すような表情をした後、少し気恥ずかしそうに微笑んだ。


「愚かしいことを言うようですまないが……男というものは、傍らの女性が美しいことで力が湧いてくる生き物なのだと、初めて実感した。お前の手を取れるなら、どんなことでもできる気がする。

美しいよ。昨日よりもいっそう美しい。女性の衣装のことは私にはよくわからないが、今日の方がお前に似合っているようだ」

「まあ……嬉しゅうございますわ」


(頑張れ、私の膝!崩れるなー頑張れー!)


内心でひたすら自分の膝を激励していることはおくびにも出さず、エカテリーナは微笑んだものだ。

昨日はスルーできたのに、なんだ今日の破壊力!

しかしお兄様ほど一分の隙もなくデキる男が気恥ずかしそうに微笑むって、もうどうしたらいいのか。いやどうもせんでいいんだけど。

とにかくお兄様のおかげで力が湧いてくるのは私の方です!今日を乗り切ってそれを証明してみせます!



そしてついに、皇室御一家を乗せた馬車が公爵邸の門をくぐる。豪壮な装飾がほどこされた、なんとも華やかな馬車だ。


(てか馬がすごい!)


馬車を引く二頭の馬は、普通の馬ではない。魔獣の血を引く『クルイモフの魔獣馬』だ。

華麗な皇帝の馬車はそれだけに重量があり、並みの馬に引かせれば六頭立てでなければ動かない。それをこの馬は二頭で楽々と引く。二頭とも一見美しい白馬だが、額に銀色の角があり、たてがみと尾が青い燐光を帯びている。よく見れば、口元から牙がのぞいているようだ。

馬になぜ牙。草食動物じゃないんだろうか。……ないのかもしれない。

だがそれがかっこいい!馬だけでもすごいんだから、それは人々がわくわくと見物に集まってくるのも当然だろう。


アレクセイとエカテリーナの前に、きらびやかな馬車が停まる。

お仕着せを来た皇帝の従者が、馬車の扉を開いた。


胸に拳を当て、アレクセイがうやうやしく頭を下げる。

その一歩後ろで、エカテリーナは貴族令嬢らしくしとやかに、跪礼の姿勢で深々とこうべを垂れた。


「アレクセイ、出迎え大儀。楽にせよ」


響きの良い声が聞こえる。


「そこに居るのが、そなたの妹か。会いたいと思っていた」

「光栄に存じます、陛下」


アレクセイは半歩下がり、エカテリーナの手を取る。


「お言葉により我が妹エカテリーナ、拝顔の栄を賜ります」


その声には、抑えきれない誇らしげな響きがあった。

兄の手に引かれて、エカテリーナは立ち上がり、伏せていた目を上げる。


「エカテリーナ・ユールノヴァにございます。拝謁を賜り光栄に存じます」


落ち着いて言えたものの、アレクセイの手を握りしめてしまったエカテリーナであった。

さすが皇帝陛下。威厳が、圧がすごい。すげえとか言えない、すごい。


ユールグラン皇国皇帝、コンスタンティン・ユールグラン。


皇子そっくり。年齢は確か四十歳くらいのはず、皇子もこの年齢になったらこうなるだろうなっていう完成形。イケメンが年齢を重ねて魅力を増してます。

夏空色の髪に少し白いものが混じっている。瞳は皇子と同じく明るい夏空色だけれど、視線が強く重い。どんな経験をしてきたんだろう。

今、皇国は平和で安定している。その実現のために皇国で最も献身しているのは、この方であることは間違いない。お兄様も敬愛する賢帝陛下、ありがとうございます。


皇帝が、ふ、と目を和ませた。


「美しい令嬢だ。ようやく会えた兄妹が仲睦まじいようで安堵した。アレクセイ、よかったな」

「恐れ入ります、陛下」


エカテリーナの手を握り返したアレクセイが一礼し、妹と目を合わせて微笑んだ。


「魔獣の件、聞いていますよ。どんなお転婆なお嬢さんかと思ったら、淑やかそうな方で驚いたわ」


皇帝の傍らに立つ皇后から声がかかる。

お会いしたいと思ってました。マグダレーナ皇后陛下!

髪と瞳の色はブルーグリーン。珊瑚礁の海の色のような、なんとも美しい色。目尻に笑い皺はあるけれど、目に明るい光が宿っていて、皇帝陛下と同い年のはずだけど若々しい。長身の陛下とあまり変わらないくらい、女性としてはまれなほど背が高くて、きりりと凛々しい顔立ちの美女。

イメージ通り、かっこいい!ザ・できる女性上司って感じ。顔立ちが似てるわけじゃないけど、前世で割と好きだった、元タカラヅカトップスターの女優さんみたい。


「エカテリーナは母上に負けないくらい気が強いところがありますよ。優しい子だけど」


おい皇子、それは褒めてるのか落としてるのかどっちだ。

そう思いつつミハイルに視線を移したエカテリーナは、思わず目を見張った。


おおう……皇子が王子様。


思えば制服姿しか見たことなかった。学園の制服も素敵なんだけど、あくまでカジュアル。今日は金モールとかついた華麗な衣装で、ロイヤルオーラ全開ですよ。


そのミハイルの方も、目を見張っていた。


「……そういえば、制服以外の君と会うのは初めてだね。素敵なドレスだ、大人っぽくて、よく似合ってる」


……まともだ。十五歳の男の子にしては充分合格点な感想だよ。お兄様の美辞麗句スキルってやっぱ尋常じゃないんだな。


「恐れ入ります。ミハイル様も素敵ですわ」


微笑みかけると、ミハイルは少し赤くなった。

すまん。悪役令嬢、けしからんくてすまん。

でも君の立場だとたぶん、これからもっとすごいお姉様に誘惑されちゃったりするだろうから、今のうちに慣れといてくれ。

いや前世よりはるかに婚期の早いこの世界だと、すでに狙われてるんじゃないの?こんなんで赤くなってどうする。頑張れ皇子。

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