誓約の儀式
「疲れただろう、エカテリーナ。明日に備えて、今日はもう部屋で休んでいなさい」
大広間を出てすぐアレクセイに言われ、エカテリーナは首を振った。
「いいえ、お兄様。わたくしは大丈夫ですわ……ただ」
「ただ?」
「思い知りましたの。わたくしーーー非力ですわっ……」
剣が重かったあ!
いや、重いのは当然だと思う。刃渡り八十から九十センチの鋼鉄の塊だもの。
でもショックを受けちゃったのは、つい前世の感覚で剣を持とうとして、想定以上の重さに愕然としたから。
前世の私ならもうちょっと楽に持てたと思う。いや前世で剣持ったことなかったけど、腕力はもっとあったはずだから。腕力だけじゃなく、体力だって前世の方があった。中高の部活が合唱部だったんで、体力つけなきゃならなかったのよ。大会前は走り込みとかやったもんです。
……合唱部とか吹奏楽部あたりって、文化部扱いが納得いかない面があるなうん。
まーなまじ体力あったせいで入社以来のブラック労働耐え抜いて、抜けられなくなって過労死したわけだけど。
「それは……当然だな。ユールノヴァの娘たるもの、本来なら重いものなど持つべきではないんだが……無理をさせてすまない」
「すまないなどと。わたくしはただ、騎士団の貴婦人として、いま少し心身を整えたいと思うだけですの」
思えば今生、体力も腕力も付きようがない人生なんだよね。幽閉されてた頃は外出することすらできなかったし、その状態を脱しても自分で引きこもり、前世の記憶を思い出した後も勉強ばっかり……。
も、もうちょっとなんとかした方がいいよね。来年からもこのイベントあるんだし。
「お兄様、わたくし、何か身体を動かすことを始めてみとうございますの。ユールノヴァの娘にふさわしいとお考えいただけることのみをいたしますと、お約束いたしますわ。お許しいただけまして?」
……こないだ、皇后になりませんかとか言われないために、病弱設定を活用することにした記憶はあるんですが。
いや設定はいいけど本当に病弱はあかんやろ!こんな身では、しょっちゅう風邪とか引いてお兄様に心配やら迷惑やらかけてしまいかねん。お兄様の中でだけ病弱、実は健康優良児。これがベスト!
うん。毎週この公爵邸に通うことになったことだし、乗馬とか声楽とか、貴族令嬢としておかしくない範囲で体力つく習い事を始めたい。
「無理はしないと約束してくれるなら、もちろんかまわない。とても良いことだと思うよ」
エカテリーナの手を取って、アレクセイは微笑む。日々鍛えている彼の手の硬さに、エカテリーナはあらためて気付く。
「お兄様はお忙しいのに、日々鍛えていらしてご立派ですわ」
「貴族の魔力は、民衆を魔獣などから守るためにあるとされているからね。それに今は平和といっても、いつでも武力を提供できるよう鍛錬するのは我々の義務だ。
……ああそうだ、お前に見せたいものがある。本当に疲れていないなら、少し一緒に来てくれるか」
そう言ってアレクセイが妹を連れて行ったのは、数多くの武具が収められた広い部屋だった。武器を手にしてすれ違うことが出来るよう充分な間隔が取られた中に、甲冑が並び、槍や戦斧が整然と収納用らしき台に立てかけられている。そして壁面には、一面に剣が掛けられていた。
その中央に飾られた剣を、アレクセイは手に取った。柄頭に貴石がはめ込まれ鞘にも美しい細工が施された、見事な拵えのひと振りだ。
「我が家に代々伝わる、セルゲイ公の愛剣だ」
おおう……初代の剣。それはつまり。
伝家の宝刀!
前世のニュースで伝家の宝刀ってたまに聞いたけど、『総理大臣の伝家の宝刀、解散総選挙』みたいな例えでだったな。しかしこれは元祖型、正真正銘の伝家の宝刀か。元祖型ツンデレのお兄様が元祖型伝家の宝刀を保有してるのか。
今さらながら、建国以来四百年続く公爵家すげえ。
と、アレクセイがその剣を鞘ごとエカテリーナに差し出した。
「持ってごらん」
「はい」
よしっ、と気合い入れて受け取ってーーー。
エカテリーナは目を見開いた。
「まあ、お兄様、軽いですわ!」
なにこれ、さっき持った騎士たちの剣よりはるかに軽い。
まさか竹光?
と疑ったのを見透かしたように、アレクセイはエカテリーナの手から剣を受け取ると、すらりと鞘から刃を抜き放った。
四百年の時を経て、今も白々と輝く刀身が露わになる。先ほどの騎士たちの剣より、むしろ大振りで重たげに見えるほどだ。
「この剣は、ユールノヴァ家の血を引く者が持つ時は軽く、血族以外の者が持つ時は普通の剣より重く感じると言われている」
「すごいわ!そんな技術がありますの⁉︎」
「実際には、ある程度以上の魔力を持つ者を感知すると軽量化が起動するのではないかな。柄に虹石がはめ込んであるだろう、虹石は自然界の魔力が凝縮した鉱物という説がある。その反応が引き金になるのだろう。アストラ帝国では親子関係を判定できたという伝承があるが、剣を持っただけでそれができるとは考えにくい」
「……仰せの通りと思えますわ」
うーん、ロマン的には残念だけど、お兄様らしい論理的な説得力。いや剣の軽量化なんて、できるだけですごいけど。
それにしてもお兄様、剣を持つ姿も絵になる!サーベルは日本刀に似た反りのある見た目が美しいのよ。先端三分の一ほどが両刃になっているのも、古いタイプの日本刀にある切っ先諸刃のよう。なのに日本刀と違って基本的に片手で扱う。お兄様が片手で軽々とサーベルを掲げる図、なんとも素敵だわー。
惚れ惚れと見ている妹の視線に気付いて、アレクセイはふっと笑った。数歩エカテリーナから離れ、剣を構える。
眼前の空間を見据えた。
(あ)
エカテリーナは目を見開く。アレクセイが見据える空間に、あの実習場に現れた魔獣が見えた気がして。
ビュオッ!と剣風を起こして、剣が振り下ろされた。
鋭いその一閃が、幻影の魔獣の首を討ち落とした。
「まあお兄様、お見事ですわ!」
思わずエカテリーナは拍手を送る。
「あの魔獣が出現した時、お兄様の手にこの剣があれば、討ち取ることがお出来になりましたのね」
「……よくわかったな。そうだ、今はあの魔獣を想定した」
「やっぱり、お兄様のお側が一番安心ですわ。わたくし、よく解りましてよ」
妹の賛辞に、アレクセイは微笑む。
そして、手にした剣に目を落として、呟いた。
「私は騎士団のあるじであって、騎士ではないが……」
つと、アレクセイはエカテリーナの前に片膝を突いた。抜き身の剣を捧げ持つ。
「もしもお前の身に危険が迫ることがあれば、私は公爵の位も指揮官の立場も捨てて、一本の剣としてお前を守るだろう。私は今までもこれからも公爵家のために生きる存在だが、お前だけは、その家さえ捨てられるほど大切だから。
我が貴婦人エカテリーナ。私の捧げる剣を受け取ってくれないか」
「お兄様……」
思いがけない言葉に、エカテリーナは目を見開いた。
どうしようお兄様が。
どストライクの超イケメンが私に剣を捧げたいとか言ってます。
死ぬ。これは萌え死ぬ。
推しが私を萌え殺しにきている。
いや問題はそこじゃない。萌えボケるんじゃない自分!
「い、いけませんわ。お兄様はご当主でいらっしゃいます。わたくしは妹として、お兄様にお仕えする立場でございますわ」
「私は不完全な当主だ。側近たちや領民があれほど支えてくれるというのに、お前がいてくれなければ、生きていける気がしない。本当に私を想ってくれるなら、どうか……この剣を受けてくれ」
せ、切なそうに見上げないでお兄様!私が萌え即死するから!
思い切って、エカテリーナは剣を受け取った。刀身をアレクセイの肩に当てる。
「わたくしエカテリーナは、愛と忠誠をもってユールノヴァ公爵アレクセイの剣を受け取ります。今までの愛と庇護に感謝し、これからも共にあって支え合うことを望みます」
そっと肩を打つ。
作法通りに家宝の剣を捧げ持つと、エカテリーナはアレクセイの手に剣を返した。
……しかしアレクセイが剣を受け取っても、エカテリーナはまだ剣から手を離さないままでいる。
「お兄様、お立ちになってくださいまし」
悪戯っぽく微笑む妹に促されてアレクセイが立ち上がると、エカテリーナは兄の手から剣を取り、今度は自分がひざまずいた。
「エカテリーナ……?」
「お兄様、わたくしこのような非力の身でございますけれど、わたくしなりにお兄様をお守りしたいと思っておりますの。
ですから、どうかわたくしからお兄様に、剣を捧げさせてくださいまし」
推しから尽くしてもらえるのも幸せだけど、推しはこっちから尽くすもんでしょ!
私の定義ではそうなんで!
「エカテリーナ、しかし……お前は貴婦人なのだから」
「お兄様も、騎士団のあるじでありながらわたくしに剣を捧げてくださいましたわ。敬愛するお兄様、愛と忠誠を込めて、この剣を捧げます。わたくしの魂と思って、受け取ってくださいませんこと?」
兄を見上げて、エカテリーナは微笑む。
らしくもなく狼狽えた様子のアレクセイだったが、意を決したように妹の手から剣を取った。こうべを垂れたエカテリーナの肩に、剣を当てる。
「ユールノヴァ公爵アレクセイは、我が貴婦人への敬意をもって、最愛の妹エカテリーナの剣を受け取る。エカテリーナの献身に感謝し、その身を永遠に愛し守護することを誓う」
剣の平で軽く肩を打つーーーはず。
けれどなかなかそれはなく、不思議に思って顔を上げたエカテリーナの頬に兄の手が触れたと思うと、屈み込んだアレクセイがこめかみに口付けした。
「……………………」
きゃああああああ。
生きろ!頑張れ!立ち直れ自分!
とか思っている間に、アレクセイに手を取られてエカテリーナは立ち上がっている。
「お兄様……先ほどのなされようは、お作法と異なりませんこと?」
「すまない。しかし、お前を打つなど私には出来ないよ。そんな華奢な肩をこんな武骨なもので打ったら、きっと壊れてしまう。そんなことになったら、私の心が砕けることだろう」
困りはてたように言われて、魂が抜けそうになる。
片眼鏡のクール系美形のくせにかわいいってちくしょうアルプスの山々に向かって『かわいいじゃねえかチクショー!』ってこだまするほど叫びたい!なぜアルプスなのかは知らん!
何言ってんだ自分!
「……」
手振りで頭を下げてくれるよう頼むと、アレクセイはまた髪をくしゃくしゃにしようとしていると思ったらしく、苦笑して頭を下げる。
その肩に手を置いて、エカテリーナはアレクセイのこめかみに口付けた。
きゃーやっちゃった!
なんて内心をおくびにも出さず、エカテリーナは悠然と微笑む。
「肩を打つのは、誓いを深く心に刻んで忘れぬようにするためと聞きましたわ。それでしたら、こちらの方がもっと忘れずにいられそうでしてよ。お兄様がお創りになった、ユールノヴァ公爵家のお作法ですわね」
「お前が気に入ってくれたなら、我ながら良いものを創ったようだ」
応えて、アレクセイは破顔する。
「貴婦人が騎士団のあるじに剣を捧げるなど、前代未聞だ。だが、いつも与えられるより与えようとするお前の優しさこそ、本当に貴く気高い。
エカテリーナ、お前こそが、最高の貴婦人だよ」