実はいちばん手強いフラグ
悪役令嬢と社畜の人格融合に、三日かかった。
一日目はあの後こんこんと眠り、夢の中で二人分の人生を追体験した。やたら疲れた。
二日目、だいぶすっきりしたので起きてみたが、ちょっと何かに驚くとぶっ倒れた。心が同時にふたつの動きをして、身体にロックがかかるというか。右足と左足が別の方向に行こうとするようで、とにかく気持ち悪かった。
三日目、心配するアレクセイに寝ているよう懇願されて、それではと本を読んでみた。見たこともない文字がすらすら読めて不気味なような、読めて当然なような。軽く酔うような感じがあったが、読み進めるうちに加減がわかってきた。
そして気が付いたら、心の動きに違和感がなくなっていた。
(疲れましたけど、三日ならじゅうぶん早い順応ですわね)
融合したといっても、悪役令嬢は言葉遣いだけで、社畜成分が強めな気がする。人生の長さが倍近いし、エカテリーナの人生は大半が幽閉されて変化なしだったから仕方ないだろう。
というわけで、令嬢の皮を被った社畜が爆誕した。
「お兄様、ご心配をおかけしました。わたくし、もう大丈夫ですわ」
四日目の朝、見舞いに来たアレクセイににっこり笑いかけて、自信を込めて言ったのだが、当然のように信用されないというか心配された。
「いいや、今日も休んでいなさい。あんなに何度も倒れただろう、お前はとても繊細で病弱なんだ。無理はいけないよ」
ツンデレだ、この人は真正元祖ツンデレさんだ。
どこかで聞いた話ではツンデレとは元々『他人にはツンと澄ました態度を取るが、特定の人物に対してはデレデレ』な性格を指したらしい。真偽は保証しない。
とにかく、アレクセイはエカテリーナにツンツンすることはなく、ひたすらデレなのだ。見た目は超クールな美形が、世界でたった一人自分にだけ盲目的過保護にデレてくる人生……美味しすぎかよ。
「本当に大丈夫です。わたくし、今日ほど爽快に朝を迎えたのは生まれて初めてと思うほど、元気になりましたの。まるで生まれ変わったよう。
それに、休んでいたくない大きな理由があるのですわ」
キリッ、とエカテリーナは表情を引き締めた。
「お兄様、わたくしの学園入学まで、あと一か月を切っておりますわよね。ですが……
わたくしには学力と言えるものが、あまりにも乏しいのですわ!」
どどーん!
そう。半年前まで幽閉されていたエカテリーナには、貴族令嬢としての教育を受ける機会がなかったのだ。
一般的な貴族の家庭なら、五歳かそこらから家庭教師をつけて教育を開始する……らしい。なのに、十四歳まで放置だ。お母様が教師をつけようとしていたような記憶はあるが、結局立ち消えになった。たぶん、嫁のやることなすこと気に入らないクソババアが妨害したのだろう。どうしてくれる嫁イビリクソババア、取り返しがつかないだろ。
ある程度のことは母が教えてくれたが、教材などもろくになく、やがて母は寝たきりになってしまった。半年前からは兄が教師をつけてくれたが、反抗期状態だったためろくに勉強していない。よって学園での授業に付いていけるとは、とても思えない。
「お兄様もそれを心配なさったから、入学より一か月も早く皇都にお連れくださったのでしょう?」
「……だが、お前の身体の方がずっと大切だ。学園での評価など、私がなんとでもしてみせよう」
って、こらこらこらこら。
乙女ゲームのエカテリーナは、公爵家の権力で高下駄履かせてもらってたんだろうか……。
「でもわたくし、お勉強したいと思いますの。昨日お兄様が貸してくださった歴史の本が、とても面白くて」
これは本当なので、真心こめて言える。そもそも、前世では就職して社畜にジョブチェンジするまで、歴女だったし。
いや真面目な歴史書より歴史小説が好きだった、なんちゃって歴女だけど、借りた本が面白くて、もっといろいろ知りたいと思ったのは本当だ。
「それにわたくし、やりたいことができましたの。そのために、たくさん学ばなければならないのですわ」
「やりたいこと?ほう、何かな」
「たくさん勉強して、法律でもなんでもわかるようになって……お兄様のお仕事を、お手伝いできるようになりたいのです」
よほど意表を突かれたのだろう、アレクセイは目を見開いた。
十七歳ですでに公爵、という設定を前世で見た時は、ふーんとしか思わなかった。
しかし……よく考えたらそりゃそうだ、という感じだが。この三日だけでわかってきた。
公爵、超絶激務やん!
前世の世界で例えたら、総合商社の社長と、県知事を、兼任してるレベルじゃないの⁉︎
この三日出来るだけエカテリーナの側に居ようとしてくれたアレクセイだったが、それでも追いかけてくる書類やら意思決定願いやらがすごかった。
聞き取れた話だけで、公爵領内の鉱山(あるんだスゲー‼︎)の産出量がどうのとか、どこかの村でがけ崩れが起きてこれだけ被害が出たので税の免除がとか、他国から輸入した食料の品質がこんなに悪かったので賠償請求する書簡にサインを、とか。
なかでも思わず聞き耳を立ててしまったのが、領地に広がる森林に巨大な竜が出没したため、特注されている樹齢四百年以上の黒竜杉を伐採するために森の奥へ入ることができないという訴え。依頼者に遅れを報告する書簡へのサインを求め、警護を強化するため追加予算を申請しているそうで……。
『竜が出た』のファンタジー感と『報告書』『追加予算』の日常感。シュールよのう……。
まあとにかく、アレクセイは滅茶苦茶忙しいようだ。
しかし、それをこなしてるんだよこの人!
たぶん彼の頭の中には、公爵領内の全てが詰まっている。村の名前だけで、公爵領のどこにあり、どんな地形で、主な産物が何で、人口がどれくらい、とかって情報がすらすら出てくる。
知識だけでなく対処のスキルもすごい。すべての問題にてきぱきと指示を出し、書類を捌いていて、とんでもなく広範囲な業務を理解し統率している。
できる男や!十七歳でそれができるって、もうチートのレベルじゃないの?
江戸時代の名君、上杉鷹山が似たような年齢で藩主になってた気がするけど、張り合えるくらいすごいよ。
そして、社畜ははたと思ったのだ。
なんか……過労死フラグ立ってない?
仕事ってのは、有能な人のところへ集まってくるんだよ!
破滅フラグへし折る決意をしたとたん、過労死フラグ(ラスボス)が見えたでござる。
やめて!
そんなフラグどうやって折ればいいんだよ。破滅フラグよりこっちの方が手強いわ!
そんなわけで、お手伝い宣言になったわけだ。
まあ、アレクセイはただ微笑ましげな笑顔なのだが。……本気にしてないよね、当然だけど。
「お前は優しい子だね、エカテリーナ。仕事のことなど、気にしなくていいんだよ」
「はい、まずは普通程度の学力を身に付けるところからですわ」
負けずにアレクセイの言葉を流すエカテリーナであった。
「無理はしないとお約束いたします。ですからお兄様、よい教師を手配してくださいまし。……このまま入学するのは、わたくし、怖いんですの。お願いですわ」
ね、と可愛い子ぶって小首を傾げてみせると、シスコンな兄はあっさり頷き、明日から家庭教師を付けてくれることになった。よっしゃ!
……悪役令嬢の可愛い子ぶりっこにデレてくれるのって、お兄ちゃんだけだろうなあ……他の人にやらないように気を付けよう。ドン引きされるかもしれないし。
とにかく、明日から頑張って……人並みになるぞー。