薔薇の手入れをいたしましょう
アレクセイが執事と行幸当日に向けての打ち合わせをしている執務室に、憤怒に燃えるノンナが乗り込んで、エカテリーナへの不満をまくし立てたのだ。
ネオンブルーの瞳に凍てついた光をたたえてかつての祖母の侍女を見据え、ひととおり言いたいことを言わせたアレクセイは、息が切れたノンナが口をつぐむと、おもむろに言った。
「エカテリーナが、女主人より偉いつもりのお前は何者かと尋ねたか。
私が答えてやろう。お前は虫だ。長年虎の毛皮に棲みついてぬくぬくと暮らし、その威を借りて己れを虎と思い込んだ、愚かな一匹の虫にすぎない」
あまりに苛烈な言葉に愕然とするノンナに、アレクセイはさらに言葉を重ねる。
「私にそれを訴えて、私があの子をお前の好きにさせるとでも思ったか。祖母亡き後の寄生先としてあの子に取りつき血をすすることを、私が許すと本気で思ったのか。
祖母の近くに仕えた者なら、私がたびたび祖母の浪費を諌めていたことを知っているはずだ。祖母がその度に激怒し、私を罵倒していたことも。何と呼んだ?いろいろあったな。冷血。不敬、不孝、貴族の誇りを理解できない面汚し……最後はいつも、目の前から消えろと。
私の心優しい妹を、あの祖母のように作り変えることなど、私が望むとでも思ったのか。愚か者」
吐き捨てて、アレクセイは執事に目をやった。
「グラハム。この時期にすまない」
「それほど問題ではございません。証拠は揃っております」
アレクセイはうなずく。
そして、ノンナに言った。
「ノンナ・ザレスと言ったか。お前を解雇する。
祖母の元へ出入りしていた業者への支払いを、横領していたことはわかっている。解雇を拒むなら、皇都警護隊へ引き渡す。ただ出て行くか、牢獄へ入るか。選ぶがいい」
週末の二日間とも公爵邸で用事があるので、兄妹は寮には帰らず一泊する。
一緒に夕食をとる時に、アレクセイはノンナを解雇したことをエカテリーナに伝えた。詳しい会話は省いて、簡潔に。
「お前が私に何も言わなかったのは、今が慌ただしい状態だからと気を遣ったのだろう。お前の慈悲を無にしたようですまない」
「すまないなどと……お兄様こそお気遣いくださって、心苦しい思いでございますわ。お兄様はわたくしをユールノヴァの女主人と仰せくださいました。使用人の監督といった奥向きのことは女主人の務めのはずですのに、わたくしが未熟なばかりにお兄様にご負担をおかけして、申し訳ございません」
考えてみれば、お兄様のお仕事を手伝うとか言う前に、公爵夫人の役割代行はすぐにもやるべきことだったよね……。
クソババアのドレス確認したり、側仕えの残党に会っとこうと思ったのも、そのへん考えてだったんだけど。
でも、すんませんまだ無理です。女主人の役割って、なんとなく知ってはいても、実践とは程遠いレベルです。
学園の勉強は本を読むとかで挽回できるけど、家政みたいな表舞台に出てこないことはねえ……前世でもなかなか史料が残ってない分野のはずで、あまりに知識がない。四百年も続く家柄だと、独自のしきたりとかありそうだしなー。
アレクセイは微笑んだ。
「責任感の強いお前らしい言葉だが、気にする必要などないんだよ。皇都邸の奥向きのことは、グラハムが取り仕切ってくれている。お祖父様の頃から執事を務める、皇都邸の生き字引だ。私も任せているだけだ」
アレクセイの後ろに控えるグラハムが一礼する。祖父より少し若い六十歳前後か、銀髪が美しい、いかにも執事らしく渋い端正な容姿の持ち主だ。
「だがお前が望むなら、女主人にふさわしい権限を与えよう」
「いいえ、お兄様が信頼するグラハムには、今のまま皇都邸をしっかりと掌握してもらいとうございますわ。ただ、わたくしも奥向きのことを知っていければと思いますの。
ねえグラハム、わたくしに少しずつ、教えてくださらない?」
「もちろん、お望みのままに」
微笑みかけるエカテリーナに、グラハムはうやうやしく頭を下げる。
「むしろ、お嬢様には正しく女主人として、わたくしどもを統括していただければ幸いにございます。今までのありようは、やむを得ずそうなっていただけのものでございますので。お優しいお嬢様が閣下をお支えくださり、ご兄妹がお睦まじく公爵家を支えていかれるのは、素晴らしいことと存じます」
「……そうか。つい頼ってしまっていたが、そろそろグラハムの負担を減らしていかねばならないな」
う、そうか。前世ほど平均寿命が長くないはずのこの世界だと、グラハムさんてそろそろ引退……?
「エカテリーナ、もし本当に望んでくれるならだが……これから週末は私と一緒にここへ戻って、グラハムと一緒に奥を監督してくれるか?行幸が終わって、落ち着いてからのことになるが。ああ、試験もあるからそれも済んでからになるか」
「さようでございますわね……」
くっ……。
そう!昨日発表された、入学して初めての試験日程。行幸の翌日から開始でしたー!
……捨てます。お兄様ごめんなさい。
「もちろん、そうさせていただきますわ。お兄様のお役に立てるなら、わたくし幸せでございますもの」
血涙出そうな内心の嵐をおくびにも出さず、エカテリーナは令嬢らしく微笑む。
「ありがとう。……エカテリーナ、お前のように優しい妹がいてくれて、私がどれほど幸せか伝えるすべが欲しいと思うよ」
「まあお兄様!なんて嬉しいお言葉でございましょう。わたくしの方こそ、お兄様とご一緒できてどんなに幸せか、お知りになったらきっと驚かれましてよ」
なにしろ前世から推しでしたから!
でも妹の中身がアラサーとか社畜とか、絶対知られたくないですけどね。優しいとか賢いとか言ってもらうと、詐欺でスイマセンて心が痛みますわー。
私は優しくないですよ。今だって、解雇されたノンナに頼れる先がないであろうこと理解してるけど、フォローしようとか思わなかったりとか。
ノンナという名前は「九番目」って意味。公爵家で侍女という高級使用人をやっていたということは、ノンナは貴族の生まれのはず。だけど、名前の通り九番目の子供として生まれたのなら、生まれた時からなんの期待も希望もない人生だったことだろう。
この社会、結婚には持参金が必要とされる。おそらく、兄や姉で使い切っていて、用意してもらえない。実際ノンナは、結婚しないままクソババアに仕えてきたらしい。それでいて、一生実家で面倒を見てもらえるわけでもない。実家にはとっくに居場所はなく、クソババアの侍女になれたのは人生最大の幸運で、機嫌を損ねて放り出されるわけには絶対いかなかっただろう。
しがみついていた主人が亡くなって、側仕えが順次解雇されていく中、今度は私を利用して旨い汁を吸い続けようとしたわけだけど。長年染み付いた流儀で、マウンティングかましてきたのが運の尽きだ。長年幽閉されてきた世間知らずの令嬢エカテリーナだったら、もしかしたらあの狂気に呑まれてしまったかもしれないけど(ゲームのエカテリーナってもしや……?)、こちとらアラサー社会人が混ざってるからね。
今までひたすらクソババアの言う通りに崇め奉り、不正してお金を溜め込んで、そうやって生きるしかなかったのかな。そんな想像をしてしまうと、ノンナを哀れにも思う。
でも、結果は本人が受け止めるしかないこと。退職金とか次の職を得るための紹介状とか一切渡されなかったはずだけど、溜め込んだお金を取り上げられることもなかったようだし、それで残りの人生をやっていってほしい。
……雇用する側も悩ましいもんだと、初めて実感します。
お兄様って生まれながらに雇用者側で生きてきて、その責任を担ってきたんだなあ。あらためて尊敬しますよ。
公爵夫人代行としてこのでっかい邸を統括(庭師さんとか含めると使用人の数って三桁近いんじゃ……?)するとか、皇室御一家をおもてなしとか、前世で庶民だった身には凄い話すぎて未だにアメリカザリガニのように腰が引けちゃってしょうがないんだけど。
お兄様のためなら頑張ります!
そしてエカテリーナは翌日まる一日、マナーの教師と共に皇族に対する行儀作法の特訓に励んだのであった。