薔薇は手入れが大切です
「な……」
ノンナはポカンと口を開けていた。
「なんですって?今なんと……下品?下品とおっしゃいましたの?」
「ええ、そう言いましたのよ。必要以上のドレスを注文するだの、公爵家の一員としての義務を放棄して身勝手に美に生きるだの、品位というものがまったく感じられませんわ。愚かでくだらない行為でしてよ」
「な、な……なんという、思い上がったことを!」
目を吊り上げて、ノンナは叫ぶ。
「お祖母様、アレクサンドラ様がここにいらしたら、罰として鞭で打たせていたことでしょう!そのお言葉は、皇女たるアレクサンドラ様を侮辱したも同然ですわ!」
「まあ怖い。お祖母様がいらっしゃらなくて良かったわ」
鼻で笑いながらもエカテリーナが口元を歪めたのは、嫌なことを考えたからだ。まさかあのクソババア、小さい頃のお兄様を鞭で打たせたりしてねぇだろうな。
してたら死んでてもコロス。
「お祖母様はもういらっしゃらなくてよ。お祖母様もお母様もいらっしゃらない今、ユールノヴァの女主人はこのわたくし。当主たるお兄様がそう仰せになりましたわ。ユールノヴァの貴婦人にふさわしいふるまいが如何なるものかは、わたくしが決めます。あなたの教えを請うつもりは、ございませんの」
ノンナはわなわなと震え出した。
「こ、皇女の権威を……皇室の権威を、なんとお考えですか。アレクサンドラ様よりご自分の方が偉いおつもりとは……」
「繰り返しになりますけれど、お祖母様はもういらっしゃらないの。そしてご存知ないならお教えいたしますけれど、わが家に降嫁された時から、お祖母様は皇女ではなくなっておられてよ。なにより、あなたは皇女ではありませんわね。ユールノヴァの女主人より偉いおつもりのあなたは、何者なのかしら。
ああ、わが家の使用人ね。そう言えばさきほど、わたくしの使用人への接し方に何かおっしゃいましたかしら。思い上がった口をきいた使用人は、鞭で打たせればよろしいの?」
ついつい煽ってしまったエカテリーナは、ノンナの顔を見てちょっぴり後悔した。額の青筋が気持ち悪いレベルになっている。
これはもしかすると襲いかかってくるかも?物理的な喧嘩なんかしたことないけど、あんた六十代やろ、負けへんで。
と思ったら、すっとミナがエカテリーナとノンナの間に割って入った。
エカテリーナを背に庇い、じっとノンナを見据えている。いつかソイヤトリオにやったように、首のあたりをじっと見て、どれくらい締めたら息しなくなるか想像しているんだろうか。
驚いたことに、ミナを前にするとノンナはたちまち顔色を変えた。青ざめて、後ずさっている。
「こ、このような穢れた者を側に置くなど、アレクサンドラ様は決してお許しになりませんわ!
わたくしから離れなさい、魔物!」
は?
思わずエカテリーナは脳内に某格闘家を召喚した。
『お前は何を言っているんだ』
「何度同じことを言わせるおつもり?お祖母様はもういらっしゃいませんのよ。
そして使用人にすぎないあなたが、わたくしの側仕えのことをとやかく言うことは許しません。ミナはあなたなどよりはるかに、心延えの優れたメイドですわ。
案内、ご苦労様でしたわね。もう戻ります。あなたは付いて来なくて結構ですことよ───ミナ、参りましょう」
言い捨てて、エカテリーナはぷいっと背を向ける。
(あーもう、クソババアのクソっぷりが聞きしに勝りすぎじゃー!)
皇都公爵邸で暮らした一カ月は学園入学に備えてひたすら勉強していたし、私の世話係として新たに雇われたミナとしか接しなかったから気付かなかったけれど、ここの使用人にはおかしいのが混じっているみたいだ。クソババアの側近くに仕えてた連中。
一気にクビにすると人手が足りなくなるのか、だんだんと解雇して入れ替えていってるみたいだけど、引き継ぎを拒んだりしてしがみついてるのもいるんだろうな。
「お嬢様、あれ、片付けますか」
「……」
ミナに淡々と言われて、エカテリーナは返事に困った。
「いいえ。皇室御一家をお迎えするまでは、人手が必要だと思うの。あんなのでも、居なくなると執事が困るかもしれないのですもの。終わってからお兄様にお話しして、ご判断にお任せしますわ」
「わかりました。───それからお嬢様、あたしは魔物じゃありません」
ミナがこれも淡々と言い、エカテリーナは微笑んだ。
「もちろんよ、ミナ」
「でも、あたしの母方のじいさんが魔物でした」
「……」
再び返事に困ったが、内心では軽く納得していた。
(そっかー、ミナって魔物の血が入ってる人だったのか)
だから、私をお姫様抱っこしてスタスタ歩けるほど力が強いのね。この世界、人型の魔物がいて、人間との間に子供作ることもあるんだなあ。
でも考えてみれば、魔竜王が人間に変身してヒロインの攻略対象になるんだから、魔物と人間の恋愛はむしろあって当然か。
「そうでしたのね、知りませんでしたわ。聞いていたのに忘れてしまったのなら、申し訳なかったことね」
「お話ししてなかったと思います。お嬢様が皇都にいらした時、急にお倒れになったってことで、ちゃんと挨拶とかしませんでしたから」
「ああ、そうでしたわね」
前世の記憶が戻って、頭の中に二人分の記憶と人格がある状態だったからねえ。なにかっちゃ頭が痛くなるわ、動こうとするとすぐロックがかかって意識が飛ぶわ、大変だったよなー。三日くらいで落ち着いて、ほんと良かったわ。
「魔物じゃないけど、魔物の血は引いてます。さっきのみたいに、どうこう言う奴もいます。公爵家でもユールマグナは、あたしみたいなのは絶対使わないらしいです。お嬢様、お嫌じゃないですか」
「嫌?」
うーん、なんだろう。ミナが嫌って感じが全然ないな。
前世で異種の出てくる漫画や小説とか、好きでたくさん読んだせい?ああいうのってだいたい、嫌がる方が残念な奴だよな。
つーか、よく知らん人が魔物だったら多少警戒心持つかもしれないけど、ミナにはもう二カ月、食事や着替えやなんもかんも世話してもらってるし。おじいさんが人間じゃないからって、今さら。
「あら、思い出しましたわ。お兄様がお側にいらっしゃらない時、喉が渇いたのに動けなくて、ベッドの中でもがいていたの。その時、身体を起こしてくれたのが最初でしたわね。
起こしてくれて、水を飲ませてくれた手つきがとても優しくて、心地良いと思ったことを覚えていてよ。話してみるとぶっきらぼうな話し方で少し驚いたけれど、触れる手が優しいのですもの、気にならなかったの。
わたくし、ミナのこと、嫌だなんて思えそうもなくてよ」
いつも無表情なミナが、この時、ふっと微笑んだ。
「あたしも覚えてます。水を飲ませてさしあげたら、お嬢様はありがとうっておっしゃいました。
お嬢様は、相手が使用人でも、ちょっとしたことにも、ありがとうっておっしゃる。最初は驚きました」
「普通のことではなくて?」
小首を傾げ、はたとエカテリーナは目を見開いた。
「ミナ。もしかして、ミナはわたくしの護衛を兼ねているのかしら」
「兼ねてますよ」
あっさりとミナは肯定する。
「ミナは、強いの?」
「強いですよ」
これまたあっさり肯定されて、エカテリーナは衝撃を受けた。
てことは、ミナは───
戦闘メイド‼︎
家事もできるし戦闘力も高い、おまけにメイド服の似合う美人。現実に存在するわけないじゃーん、と思う生き物が身近にいた件!
はっ、そうだ確認せねば!
「ミナ!お給金は充分かしら?」
「は?」
「だって、メイドのお仕事だけでも朝から晩まで大変ですもの。それに護衛の役割まで兼ねているのでしたら、二人分はお給金がなければいけないと思うの!」
労働には適切な対価を!
サービス残業許すべからず!
「たっぷりいただいてますよ、ユールノヴァ公爵家は吝嗇じゃありません。閣下はお金をかけるところには、惜しまずかける方です」
「そうなの。それなら良かったわ」
ほっとしたように微笑むエカテリーナに、初めて、ミナは破顔した。
「お嬢様は変です」
「あら、それを言われるのは久しぶりですわね」
「あたしがお嫌じゃないなら、ずっとお嬢様のお世話をさせていただきますよ」
「ええ、お願いしますわ」
ミナとそんな会話を交わしたおかげで、エカテリーナはノンナとの会話で味わった不愉快をほとんど忘れていたのだが。
エカテリーナの知らないところで、ノンナは盛大に自爆していた。