薔薇には虫がつきやすい
「……お嬢様は、お祖母様とは違うお考えをなさる方なのですね」
ドレスのデザインがほぼ決まったところで、カミラにしみじみと言われて、エカテリーナはおやと思った。
「もしや、祖母にお会いになったことがありますの?」
「ええ、駆け出しの頃に。厳しい方……いえ、威厳のある、誇り高い方でした」
クソババアって言ってええんやで。
なんて言えないけど言いたい。
「祖母と……何かありましたかしら」
「いえ!……いえあの、頻繁にドレスをご注文されることで有名な方でしたから、お目に留まるよう努力しまして、ドレスをお作りしたことがございます。ですが、お納めしたものの、お気に召していただけませんでした。複雑なデザインの、豪華なドレスだったのですが……」
ぴんときました、社会人として。
こほん、とエカテリーナは咳払いする。
「ええ、その、その時……お支払いは済んでおりまして?」
「よ、よくお解りで。ええ、お代はいただけませんでした」
ク、ソ、バ、バ、ア〜〜〜‼︎
誇り高いってんなら、駆け出しのデザイナーから代金踏み倒すんじゃねーよっ‼︎
「失礼ですけれど、未払いを証明できるものを何かお持ちかしら」
「はい、それでしたら、書簡をいただいております。お祖母様のお付きの方からですが、お気に召さないため受け取ったとは認めない、よって支払いはしないと」
……頭痛くなってきた。
現物を受け取っておきながら、気に入らんから代金払わないだと?アタマ湧いてんのか。
「ミナ……」
「執事に伝えときます」
「ありがとう。その書簡を執事にお見せになって、お支払いを受け取ってくださいましね。祖母のふるまいをお詫びいたしますわ」
「ありがとうございます……!」
カミラは深々と頭を下げる。
ドレスのデザイナーって資金繰りが大変なのかな。クソババアがほんとにすまん。
「お嬢様はなんて素晴らしいお方なんでしょう。お優しくて、センスがおありで、お若いのに世知に長けてらして……。ユールノヴァ公爵家のお姫様でいらっしゃるのに、わたくしのような者にも気さくに接してくださって、感激いたしました」
あ、いや。
中身がお姫様じゃないだけなんです。ほんとすんません。
まあお世辞言ってくれてるわけだけど、こっちいろいろ詐欺なんで気がひけるわ。
「今回のドレスがお気に召しましたら、どうか今後ともごひいきくださいませ」
「ええ、こちらこそ。貴女が天上の青を使ったデザインに可能性を感じるようでしたら、皇都のご婦人方にお勧めしていただければ嬉しゅうございますわ。まだあまり知られておりませんの」
「ええ!ぜひ使わせていただきたいですわ。お似合いになりそうな、新しいものに敏感な方に心当たりがあります。素晴らしいお色ですし、お嬢様のためなら、わたくしせっせと売り込みいたします」
「嬉しいお言葉ですわ」
たぶん、カミラさん自身にもプラスになるよね。顧客に新しい提案ができるってのは。
Win-Winでよろしく!
採寸をその場で済ませ、来週仮縫いドレスをお持ちしますと約束してカミラが帰った後、エカテリーナは皇都公爵邸の一室へ向かった。
そこは、ユールノヴァ公爵家代々の当主とその家族の肖像画が飾られている部屋だ。初代セルゲイから当代アレクセイまで、さまざまな姿が広い壁を埋め尽くしている。
ゆったりと椅子に掛けたダンディな祖父セルゲイと、その傍らに生真面目な表情で立つ、まだ片眼鏡のない十歳の美少年アレクセイとのツーショットを見上げて微笑み、軽く心の準備をして、エカテリーナはその隣に目を移した。
……無駄にデカいんじゃ!
ひときわ大きい肖像画に描かれているのは、若い女性だ。とても美しい。ほっそりと背が高く、まとう衣装は豪奢そのもの。結い上げた長い水色の髪に豪華なティアラをきらめかせ、ネックレスとイヤリングには巨大な宝石があしらわれている。微笑んでいるはずなのにどこか冷ややかな切れ長の目は、水色。お兄様に似てはいるのがムカつく。
これが、祖母。の、若い頃。皇女アレクサンドラ。
なんでユールノヴァ公爵家代々の肖像画に、皇女時代の肖像画紛れ込ませてんだよっ!まだ家族じゃなかった頃のだろこれ!
(クソババア)
声にしないで呟く。後ろに控えるミナに聞こえないように。
ふんっ!とそっぽを向き、その隣へ目を向けた。
リラックスした様子で椅子に掛け、長い足を組んで、甘い笑みを浮かべた超絶美形が描かれている。こちらも水色の髪、水色の瞳、片眼鏡がないだけでお兄様そっくり。父親、アレクサンドル。
その隣が、お兄様。剣を手にして凛と立つ、麗しき青年当主。父親似の美麗な顔立ちが厳しく引き締まっているのは、たった独りで絶大な権力と莫大な富を持つユールノヴァ公爵家を背負って立たねばならない身であることを自覚し、それに立ち向かおうとしているからだろう。
お母様似の私と違って、お兄様の顔立ちは祖母と父の系統。ただ、二人の瞳の色はただの水色であって、お兄様のあの印象的な、自ら光を放つかのようなネオンブルーではないように見える。肖像画だから、そこまで描き切れなかっただけかもしれないけど。
とはいえ、お兄様の肖像画の方は、お祖父様とのツーショットもお兄様一人のものも、お兄様の瞳の色をよく表現している。画家の技量の差かもしれない。けれど、本当に違う色合いだったのだと思いたい。
「お嬢様」
ミナではない声で呼ばれて、エカテリーナは振り向いた。
黒っぽいドレスを着た、年配の女性だ。そのドレスは、女性使用人を束ねる家政婦のお仕着せである。ただし、彼女は家政婦ではない。
「執事に言われてまいりました。ご用でしょうか」
「ええ。あなたがお祖母様の侍女だったノンナかしら」
「左様でございます。ノンナ・ザレスと申します」
「そう。お祖母様は頻繁にドレスを注文していたそうね。まだ処分していないのでしょう、どういうものか一度見てみたいと思いますのよ。保管場所に案内してちょうだい」
するとノンナはわずかに頭を下げただけで、ふいとエカテリーナに背を向けて、足音もなく歩き出した。
この態度……まあ、なんとなく予想はしてました。
その後を追って歩きながら、エカテリーナはノンナに問う。
「あなたから見て、お祖母様はどんな方でしたの?」
「最高の貴婦人でございました」
きっぱりと答えが返る。まるで知り抜いた模範解答のように。
「では、お父様はどんな方?」
今度は、答えの前に少し間があった。
「……素晴らしい方でした。あらゆる女性を虜にするほど、魅惑的な殿方でしたわ。見目麗しいだけでなく、洗練された紳士で、女性には常に優しく接してくださいました。つまらぬ世事にとらわれず、いつもおおらかで人生を謳歌しておられる方だったのです」
ーー要するにタラシな!
しかも、あらゆる女性を虜……トンデモレベルのタラシ野郎だ。光源氏かよ。顔はお兄様とそっくりだけど、お兄様のスペックを女をタラシ込むことに注ぎ込んだらこうなるっていう、最終形態じゃねーのか。
つーか、裏方の事務仕事とかをまだ子供のお兄様にやらせて人生謳歌とか、舐めてんのかクソ親父。
「まあそうなの。つまらぬ世事って、たとえばどのようなことかしら」
ノンナは振り向き、じろりとエカテリーナを見た。
「書類だの、お金の勘定だの、そんな無味乾燥なことですわ」
「まあ。お父様はお金を勘定なさらなかったのね」
エカテリーナは、心底可笑しそうな笑顔でノンナを見返す。
ノンナの視線が厳しくなったが、エカテリーナの笑顔はびくともしなかった。
ぷいと目をそらし、ノンナは再び歩き出す。
フッ、勝ったぜ。
って我ながらしょーもな。
しかし、目的地に到着するやエカテリーナは膝から崩れ落ちそうになった。
なんじゃこりゃあ!
ウォークインクローゼットなんてもんじゃなかった。ウォークイン広間!広間にウォークインするのは当たり前だが、小規模なパーティが開けるくらいの広間がドレスでぎっしり埋まっとる!広間がまるごとクローゼット!広間がドレスの墓場!
ドレスの色褪せを防ぐためなのか、窓の鎧戸を締め切ってて暗い中に、トルソーに着せた無数のドレスが薄ぼんやり見えるというホラーテイスト!
クソババアの執念漂ってそうでマジ怖い。
「これでも全てではございません。公爵領の本邸には、もっとたくさんございます。
これが、貴婦人のなされようというものですわ」
ノンナはなぜか誇らしげだ。
「お祖母様は、少なくとも週に一度はドレスをご注文なさいました。一度袖を通したドレスを二度お召しになることは決してなく、出来上がったものがお気に召さなければ身につけるどころか、二度とお目にかけることすらお許しになりませんでした。この豪奢、この矜持こそ、最高の貴婦人の証ですわ」
そしてノンナは、冷ややかにエカテリーナを見据えた。
「お嬢様は皇都にいらして二カ月ほどになるというのに、このたび初めてドレスをご注文になるそうですわね。嘆かわしい。ユールノヴァの家名をなんとお考えですか。
下々のものから侮られないためにも、公爵家のお力を示さなければなりません。お祖母様の厳しいお眼鏡にかなった、最高のデザイナーたちを紹介いたしましょう。これからは少なくとも毎週末、ドレスをお造りなさいませ。
使用人たちへの接し方も、今のお嬢様のなされようは貴婦人とはほど遠いものと、自覚なされるべきです。わたくしが、お祖母様ならどうなされたかをしかとお教えいたしますわ。それができるのは、お祖母様の一番近くでお仕えしたわたくしだけ。
わたくしがお嬢様を、立派な貴婦人にして差し上げます」
「まあ……貴婦人とは、ドレスをたくさん注文することでなれるものですの?」
「それが出来る財力のあるお家の方であることを示すのです。ですが、それすらくだらないことですわ。貴婦人はただ美に生きるもの。富や権力などというくだらない世俗のことに囚われた卑賤な者共を蔑み、美に囲まれて自らの美を磨くことに努めるのが、貴婦人のふるまいなのですわ」
「まあ」
口元に手を当てて、ほほほ、とエカテリーナは笑った。
「なんて下品」