情報提供と逆転勝利
乙女ゲームでは、魔獣出現のイベントは魔獣さえ倒せば終わりで、ヒロインと攻略対象はすぐ元の生活に戻っていた。
しかし考えてみれば当たり前なことに、魔法学園は大変な騒ぎになった。
学園内には武装した皇都警護隊が行き交い、ものものしい雰囲気だ。
広大な敷地のどこかに魔獣が潜んでいないか、なぜ突然魔獣が出現したのか、その理由に関する手掛かりだけでも見つからないか、しらみつぶしに捜索が行われているらしい。
授業はすべて取り止めになり、生徒たちは寮に帰って外へ出ないよう指示されたが、魔獣出現の瞬間を目撃したエカテリーナはもちろん、直接対峙したアレクセイとミハイルも情報提供を求められた。
ただフローラは、あらためて魔力属性の鑑定をすることになり、鑑定士に連れていかれて別行動だ。
その情報提供を巡って、エカテリーナとアレクセイの間でこんなことが起きた。
「警護隊には、私から話しておく。お前はもう寮へ戻って休んでいなさい。あれだけの魔力を使ったのは初めてだろう、疲れたはずだ」
アレクセイが、そう言い出し、エカテリーナは目を見張った。
「いいえ、お兄様。わたくし大丈夫ですわ。あの魔獣が出現した瞬間を見ていたのはわたくし一人、見たことをしっかりとお伝えしなければ」
なんでどうやってあそこに魔獣が出現したのか、知りたいから情報提供したいです。間に人を挟むと、どうしても情報は劣化してしまうし。
しかしアレクセイは首を振る。
「駄目だ。お前はもともと丈夫ではないんだ、また倒れてしまったらどうする。もっと自覚を持って、身体を大事にしなければ」
いやあの、その病弱設定はもう削除してください。倒れた原因は他にあるんです……って言いたいけど、原因が何かは絶対言えないいい。
「お兄様……今回のようなことが再び起きてしまわないよう、調査に協力するのは大切な義務だと思いますの。義務を果たさず一人休むなど、ユールノヴァ公爵家の名を辱めるふるまいでは」
三大公爵家のプライドに訴えてみると、アレクセイの瞳が少しなごんだ。
「お前は充分に立派だったよ、エカテリーナ。クラスの者たちを逃がすために一人魔獣に立ち向かい、勇気と気概を示した。ユールノヴァの名にふさわしい、気高い妹を私は誇らしく思う。だから、もう休みなさい」
「お兄様」
「エカテリーナ」
アレクセイの声が厳しくなる。
「お前は立派だった。それは確かだ。
だが、同時に無謀だった。わからないか?」
う……。
「お前は魔獣と戦う訓練など受けたことはない。それどころか、通常の魔力制御すら学んだのはつい最近だ。冷静に判断すれば、お前は逃げるべきだった。私や殿下が駆け付ける保証などどこにもなかったんだ」
うう……。
そ、それは、そうだけど……。ゲームのアレで、仕方なかったんです!
わああん、皇子が言った通りお兄様に説教されてる⁉︎
そして、なんか私、うなだれてますよ?前世で社畜やってた頃でも、反論があれば上司にもクライアントにも言いたいこと言ってたこの私が!
なんなの、お声が良いせい?内容ががっつり正論だから?いや違うな。
気迫だ。
前世の上司にもクライアントにも、一語一語にこんな気合こめて語れる人は一人もいなかったよ。子供の頃から大人より堪える説教をかましていたと皇子が言ってたけど、これかー!今更ですがお兄様、あなたは本当に十七歳ですか⁉︎
「少しでも……考えたか?」
ふと、アレクセイの声が揺れた。
「突然の魔獣の気配に驚いて、教室の窓から外を見た。実習場に魔獣と、お前がいて。教師さえ逃げて行く中、私の妹が一人で立ち向かおうとしている。それを見た時、私がどんな気持ちがしたと思う」
あうう……。
「お前を失うと思った。どんなに恐ろしかったか。私は魔獣は恐れない、だが、お前が……お前の身に何かあったらと……。
あの時、崩れる土壁の向こうに、お前に襲いかかる魔獣が見えた。助けられないと思った。あの一瞬……」
アレクセイの声音は苦痛そのもので、エカテリーナは息を呑む。
「お前を失ったなら、私もこの役立たずの心臓を凍りつかせてしまおうと思ったんだ。もう生きていたくなどないと」
「お兄様!」
自らの魔力で生命を断つ、それは前世における武士の切腹に酷似した、この国の貴族の死の作法だ。
「私にはお前の他に、もう誰もいない。お前を失くしたら生きてなんになる。
考えてくれ。言っただろう、お前に何かあれば、私も生きていられない。お前が私の生命だと。お前は私の生命を握っている。そのことを……」
「お兄様……?」
「考えてくれ……」
いやあああああー!お兄様、泣いてる⁉︎
「ごめんなさいごめんなさいわたくしが悪うございました二度としません絶対しませんしませんからー!イヤー泣かないでー!」
がばっとアレクセイに飛びついて、エカテリーナは自分も半泣きだ。
「わたくしだってお兄様が生命です!お兄様が一番大切ですお兄様の為ならなんでもできますお兄様がわたくしの幸せなの〜〜〜それなのに〜〜〜お兄様が〜〜〜」
「……」
「わたくし自分が許せません!お兄様ごめんなさい〜」
アレクセイは何も言わない。
ん?
エカテリーナはぱっとアレクセイから離れ、兄の顔を見上げた。
「お兄様笑っていらっしゃる!」
「いや……」
アレクセイは首を振るが、どう見ても顔が笑っている。とても幸せそうに。
「ひどいわ!騙しましたのね⁉︎」
「違う、ただお前があまりにその」
「やっぱり笑っていらっしゃるー!嘘つきー!」
こっちは本気で泣きそうだったのにー!
わーん!どうしてくれよう!
こうしてやるー!
エカテリーナは手を伸ばし、アレクセイの髪をわしゃわしゃばさばさかき回す。
あまりに子供じみた報復に、アレクセイはとうとう声を上げて笑い出した。妹がやりやすいように、自分から少し頭を下げてやっているあたり、何も報復になっていない。
……髪をわしゃわしゃなんて、十秒もやればお腹いっぱいである。
というか、自分がやってることのアホらしさに耐えかねて、手が止まる。
「……」
ぷーっと膨れて、エカテリーナは兄の髪から手を離した。アラサーとして恥ずかしいが、膨れたくなる時だってある。
「もういいのか?」
乱れた前髪の下から、アレクセイが尋ねる。ネオンブルーの瞳に、いつもより明るい光が踊っている。
なんでそこはかとなく嬉しそうなんですかなんですかそのどことなく甘えてるような笑顔はあなたの表情筋はいつからそんなイイ仕事するようになったんですか無表情設定どこ行ったそんだけ背が高いくせに上目遣いってあーもーくそうくそうもー!
「……ごめんなさい」
エカテリーナは手を伸ばして、乱した髪を手櫛で直す。アレクセイは目を細めた。
「ご心配をおかけしてごめんなさい。あのようなこと、二度といたしませんわ」
「うん」
ヒロイン、フローラちゃんが自分の魔力に目覚めてイベントクリアしてくれたから、もう魔獣の襲撃が相次ぐ皇国滅亡ルートに入ることはないはず。だからもう、魔獣と戦う必要はない。
……はず。
「でも……お兄様、いくら近くても、一人で寮へ帰るのは恐ろしゅうございますの。お兄様のお側が一番安心できますわ。ですから、警護隊へのお話、ご一緒させていただけませんこと?」
「……」
しばしの間の後、アレクセイは嘆息した。
よし、逆転勝利。
「……上手なわがままだな、お前は本当に賢い子だ。
わかった。後で寮へ送っていこう」
社会人は、要望を通すなら一度や二度で諦めたらあかんのです。
てか最初からこう言えばよかったのね。
学習しました!