悪役令嬢ですがイベントに参戦します
その日は、なんだか早めに目が覚めた。
ベッドの上で身を起こし、ベッドサイドに置いていた手紙を見返していると、寝室に入ってきたミナが小さく目を見開く。
「おはよう、ミナ」
「おはようございます、お嬢様。今日はお早いですね」
「目が覚めてしまったの」
ミナがカーテンを開けてくれて、エカテリーナは朝日の眩しさに目を細めた。
今日はいい天気になりそうだ。
「今日は何かあるんですか」
「そうね、初めての授業があってよ。魔力制御なのだけど、実技は初めてなの。それで、マルドゥ先生からいただいたアドバイスを読み返していたのよ。ほら、ミナにお菓子を届けてもらった家庭教師の先生」
「小さいお嬢さんのいる先生ですね。お嬢さんはお菓子に大喜びしてました。あの先生、お嬢様が質問ひとつにも謝礼をお支払いになるから、ものすごく感謝してましたよ。そんな人他にいません」
「先生の知識は売り物ですもの。正当な報酬というものだわ」
いやね、前世でSEやってた時、前の仕事のクライアントからの電話に捕まって、質問でさんざん時間を取られることがよくあったからね。保守要員でもなく既に新規のプロジェクトに入ってるってのに、こういうのできないの?じゃできるように直して、とか言われてね。
知識や技術はタダじゃないから!
人のふり見て我がふり直せ。特にこの先生、魔力持ちの貴族出身なのに没落して家庭教師って、ゲームの平民落ち思い出して身につまされるし。小さいお子さんいるし。
「そんなに頑張ることないです。先生が、お嬢様はすごい魔力を持ってらっしゃるから学園の授業なんか楽勝ですよって、褒めてました」
「ありがとう、ミナ。しっかり準備をしておきたいだけなの」
先生は手紙でも不思議がってる。土属性は授業でここまでの攻撃技術を求められることはあまりありませんよ、と。
それでも、根掘り葉掘り尋ねた攻撃のバリエーションを、丁寧に答えてくれた。ありがとう先生。
だってゲームの通りなら、初めて魔力制御の実技を学ぶ授業で、皇国滅亡フラグに重大な影響のあるイベントが発生するはずだから。
イベントの内容は、魔獣の出現。
校庭の実習場で魔力制御の授業を開始しようとした時、強力な魔獣が現れる。ヒロインは、駆けつけて来る皇子と力を合わせてその魔獣を撃退し、自分の魔力に目覚めなければならない。
このイベントをクリアできなかったらーーー皇国の滅亡フラグが立つ。やがて皇都に魔竜王が襲来し、皇城が踏みにじられる。
だから、頑張ってイベントクリアしてみせる!
……って、言うべきところなんだけど。
この世界に生まれ変わって、学園生活も一か月近くになった今、思う。
ここに、ホントに魔獣、出現するの……?
魔法学園、というか皇都の中心部全般、魔獣なんてもう数百年は現れていないらしいのよ。
だからあのイベント、前世で言えば東大の安田講堂付近に突然、巨大なクマが現れて暴れるようなもんなんですわ。
日本にクマが生息しているように、皇国には魔獣が生息している。けどそれはあくまで、森とか山とか湖とかにであって、街中に出ることはないのよ。江戸時代に遡っても、花のお江戸にクマなんか出なかったよね。
魔獣だけに、召喚とかできるのかも?と思ったけど、今の皇国にはその技術はないみたい。
千年ほど前のこの辺に栄えた、ユールグラン皇国の数倍の版図を誇ったアストラという巨大帝国(前世のローマ帝国みたいな存在。皇国や近隣の国々にとって心のふるさと)にはそういう技術があったという話もあるけど、詳細は失われてしまったらしい。
だから、ここに魔獣がどうやって出現するのか、見当がつかない。
このイベントのクリア方法を考えていた時、何か理由をでっち上げてでも武装騎士団とか配置してもらって、学生が丸腰で戦うなんてことしないで済むようにしよう、と思ったこともあるんだけど。ゲームではなぜどうやって魔獣が出現したのか理由は何も語られなかったし、そういう手配ができるだけの理由を思い付くことはできなかった。
魔獣が出現するはずだから、とぶっちゃけてみたとする。
確実に信じてもらえない。
東大の事務とかに「今日おたくの安田講堂あたりにクマ出る予定なんで、猟友会手配してください」と言ったら「はあ?」としか言われないに違いないのと同じレベルで、信じてもらえない。
なので、騎士団の配置は絶対無理。お兄様に心の健康を心配されてしまうと思う。
あと、騎士団の手配とかしてゲームと違う状態にしてしまうと、運命がねじ曲げられたみたいになって、ゲームのイベントが起こらない代わりにもっと酷い天変地異とかが発生したりして……なんて思いついたら怖くなっちゃったし。
あり得ないとは言い切れないやん!
だから……自分にできることをやるしかない。
あらん限りの魔力で、イベントの魔獣を撃退する。
そして今、エカテリーナはクラスの一同と共に実習場にいる。
実習場は校庭の一画を軽く区切ってあるだけだが、なかなかに広い。テニスコートが四面は取れそうだ。そこに優美な彫刻が水を吹き上げる噴水があり、灌木の茂みや花壇、篝火を灯す台の列がある。魔力属性として圧倒的に多い土、水、火の実技のためのものに違いない。あとは風も多いが、これは特に設備はいらない。他に氷、光、闇、雷などさまざまな属性があり、一人で複数の属性を持つ者もいる。
入学以来ずっと座学だった魔力制御の授業が初めて実技ということで、はりきっている者、憂鬱そうな者、生徒たちの表情はさまざまだ。
魔法学園に入学を許された以上、全員基準を満たす魔力の持ち主ではあるが、個人差はある。実技で魔力のほどを示すのが嬉しい者と、嬉しくない者がいるのは仕方ないだろう。家柄が低かったり財政難だったりしても、本人の魔力が強ければ良い結婚や養子縁組が望めるから、家を継げない次男三男は切実なのだ。
(そういや前世の時代小説で婿入り先を必死で探す話があったよ。お侍も貴族も、行き着くところは一緒なんやなー)
そう思いながら周囲を見回していると、フローラの表情が少し硬いことに気付いた。
「フローラ様、何か気にかかることでもございまして?」
「いえ……すみません」
微笑まれて思い出した。
「ああ、魔力の属性が確定していないのでしたわね」
彼女の魔力はMAXレベルに強いことは計測されている。けれど、ヒロインの魔力属性は、最初は『?』なのだ。
だから、この言葉を聞き付けたソイヤトリオがさっそく言い始めた、
「まあ、属性もわからないなんて。入学したこと自体が間違いなのではありませんこと?」
「そうよそうよ」
とかいう嫌がらせと同じことをゲーム内でも言われていた。……悪役令嬢エカテリーナに。
が、今生のエカテリーナは普通に笑ってしまう。授業聞けやお前ら。
「稀少な魔力属性は測定ですぐ確定はしないことが多いと、先生もおっしゃいましたもの。どんな属性でいらっしゃるのか、判明するのが楽しみですわね」
ゲームではヒロインの特別感を演出していたけれど、この世界に来てみれば、実は稀少な属性の場合はありがちなことでしたーという。
「はい、私も楽しみです。でも少し怖い気もして」
「そういうものかもしれませんわね。わたくしは一番平凡な土属性ですから、少しうらやましく思ってしまいますわ」
フローラちゃん、ごめん。あなたの魔力属性、知ってる。けど言うわけにいかないから。
白々しく当たり障りのないこと言うしかなくてごめんよ〜。
しかし……ゲームのイベントは、ヒロインと皇子が力を合わせて魔獣を倒すものなんだけど。
スマホでゲームしてた時は、画面のボタンを連打すれば攻撃できたんだけど。
実際にここへ魔獣が襲撃してきたら、自分の魔力属性も知らないフローラちゃんがどうやって戦うんだよ⁉︎
無理やん!
それで自分の魔力に目覚めろって、おいゲーム、無茶振りしてんじゃねーぞ!
「それでは、実技を始めます。皆さん、こちらへ集まってください」
教師から声が掛かり、エカテリーナは我に返る。
その時ーーー。
ひりっーーーと皮膚がひりつく感じがした。
(?)
何か、を感じた。それが何かも解らぬまま、エカテリーナは振り返る。
噴水の手前に、陽炎のような揺らめきが見えた。なんだろう、と目を凝らすと、
陽炎は大きく広がり、
その芯に黒い炎が現れ、広がり、
ビリビリと空気を震わせて、
空間がーーー裂ける。
グオオオオーーーと咆哮が耳を打った。
黒に近いグレーの体躯。狼に似た肉食獣のフォルムでありながら、メタリックに輝く鱗に覆われている。咆哮する口からのぞく、鮫のような三列の牙。
クマになんか例えるんじゃなかった、ツキノワグマさえかわいく思える、推定体長三メートル!ってあれだろ、クマ最大級のグリズリーが確かそのくらいだったぞ!
本当に、本当に、出た。
ゲームの魔獣。
ヤバいヤバいヤバい、スマホで見るよりはるかにヤバい。こんなデカかったのーっ⁉︎
こんなん序盤で出ていい難易度じゃねーだろ、ゲームの大馬鹿野郎ーっ‼︎