悪役令嬢 in 悪役令嬢
もちろん大騒ぎになった。
五色の光も、空から舞い降りてくる音楽神の姿も、大勢の人が目撃している。駆けつけてきた人々の中に学園の教職員を見つけて、彼らに事情を話すと、なんとめでたい事かと喜ばれた。この学園に神が降臨なされるとは、光栄な事だと。
そうだけどそうじゃない。
オリガちゃん無しで、劇をどうしたらいいんだー!
という心の叫びを共有できたのは、レナートを始めとするクラスメイトたちが駆け付けてきてからのこと。特にレナートは早かった。五色の光を見て、オリガに何かが起きたと直感して走ってきたのだそうだ。
なお、見上げるばかりの巨漢が三人、彼と一緒に走ってきていた。小柄な美少年レナートとはテイストが違いすぎて驚くが、よく見れば若いほうの二人は身体はいかつくても顔立ちは甘くて、共通点がある。父親と兄たちで間違いない。
『二度目のお招きとは……』
呻くような感心したような父親の言葉を聞いて、なんとなくオリガが拒まれることはなさそうだと安心したが、安心している場合ではないのだった。
『愛し子の皆様に歌うなら、きっと時間がかかる。前にお招きを受けた時もあの方々が君の曲に興味を持って、一緒に演奏したいと言ってくださったり、自分ならこう歌うとおっしゃったりして、一度や二度ではすまなくなりそうだったんだ。僕が皇太后陛下がお待ちだからと言うと、帰してくださったけど。だけど今回は陛下はおられないし、オリガはお断りできる子じゃないし……』
レナートの言葉に、事態がずっしりと重みを増す。劇の重要キャラ悪役令嬢が、劇の開始までに帰って来る可能性はほぼないらしい。
『とにかく、クラスの皆様と話し合わなければなりませんわ』
公爵令嬢が下位の身分であるクラスの者たちと話し合うとは、と、エカテリーナの言葉に目を丸くしたレナートの父親と兄二人を置き去りにして、教室へ戻った。戻る途中でかなりのクラスメイトが合流し、彼らが他の生徒たちも呼びに行って、全員が揃う。
『オリガ様の役は重要ですし、歌は劇の見せ場でしたわ。あの方を欠いて、劇を上演するのはほぼ不可能……見送ることも、視野に入れるべき……です、わね』
起きたことを説明したのち、断腸の思いでエカテリーナが言うと、クラスは重苦しい空気に包まれた。
『残念ですわ……思い出に残る、素晴らしい劇になるはずでしたのに』
マリーナがなんとも辛そうに言う。役者たちや衣装係など、活躍した、あるいは活躍する予定だった者たちがうつむく中――こう言ったのは、思いがけない人物だった。
『なんとか……なんとか、上演出来ないかな。筋書きをちょっと変えるとか、せめて一部だけでも見せるとか、なんとか……』
コルニーリー・エフメ。光の魔力を持つユーリ・レイの友人だが、彼自身は劇で大きな役割は担っていない。
それなのに、なぜ君が?という視線が集中すると、それから逃げるようにコルニーリーはうつむき、ぼそぼそと言った。
『親戚……典礼院の役人をやっている親戚がいて。最初は断られたんだけど、何度も頼んで、今日、来てくれることになった……』
エカテリーナは息を呑む。
ユーリの、光の魔力を使った演出。それを、建国祭などの式典を盛り上げるために使えるかもしれないという思いつきを話した時、そういう式典を司る役所に親戚がいると、コルニーリーは確かに言っていた。
親戚、という言い方からして、それほど親しい相手ではないのだろう。けれど彼は、細い伝手をたどって、きっと何度も頭を下げて、なんとか呼び出すことに成功したのだ。
それなのに、上演が取りやめになっては……その親戚は立腹して、もう二度と取り合ってくれないかもしれない。
コルニーリーはいつもユーリをからかったりして、悪友という感じなのに、ユーリの将来がかかった大事なところでは、友達のために本当に頑張ったのだ。
ぐっときた。
『どこか一部だけ……というのは、よいお考えかもしれませんわ』
女生徒の一人が言う。
『今日が本番、と思って昨夜は眠れませんでした。わくわくして、楽しみで……まったく無くなってしまうのは、あまりに辛いことですわ。学園側やお客様に事情をお伝えして、少しだけでも上演を……』
『でも、どこを?不完全なものを見せるより、来年に賭けたほうがいいんじゃないかな』
『こんな悔しい思いで一年過ごしたくないよ。なにか、出来ることがないか考えよう』
ぽつぽつと声が上がって、エカテリーナに視線が集中した。
今や彼女は、誰もが認めるクラスのリーダーだ。その決断を、皆が待っている。
その視線の中、エカテリーナは、悩んでいた。
無謀というか……無理というか。
ぶっつけ本番とか、無理がありすぎる。正直、やりたくない。死ぬほどやりたくない。想像するとお腹の底から震えがくるほどだ。
でも。
唯一、これだけが。皆の今までの頑張りを無にしないで済む、解決手段だろう。
けどかえって恥にしかならない可能性もあるんですけど!
だけど一時の恥と、クラスメイトの将来と、どっちが大事かと言えば――。
あああああ。
いや!やるべき理由はまだある。
お兄様が!劇を、観に来る予定なんだから!
上演が取りやめになったとしたら、お兄様はきっと執務室に戻って、仕事で一日を終えてしまう。例年通り。
学生生活最後の学園祭くらい、少しでもお兄様に祭りの雰囲気を味わってほしい。それが、脚本係を引き受けた時の動機だっただろ!
お兄様のためならなんでもできる!だって私は!
ブラコンだから!
『オリガ様の台詞を……すべて覚えている者は、おりますわ』
気がつけば、そう口に出していた。
覚えているのは当然。だって、自分で考えた台詞なのだから。
『歌は……オリガ様の足元にも及びませんけれど、かろうじて歌えますわ』
この頃には、あっ……という表情でエカテリーナを見る者が出始めている。
『率直に申し上げれば、残念な舞台になることと存じます。一度も、その役としてのお稽古をしていないのですもの。ですけれど、皆様の努力を無にするなど、耐えられませんわ。ですから、わたくし……』
劇を観に来る人たちは、音楽神に招かれた歌姫の歌声を期待している。期待外れもいいところ、きっと笑われる、がっかりされるだろう。
でも、公爵令嬢なら、表立って笑い者にする人は、そうそういない。だから、だから。
あああ、言いたくない!
でもこれしかない!
『わたくし、エカテリーナ・ユールノヴァが、オリガ様の代役を務めさせていただきます!ですから、予定通り劇を上演いたしましょう!』
爆発的な歓声が上がったことは、言うまでもないだろう。