悪役令嬢と皇子の企み
「そう……いつもながらリーディヤは、ある意味よくできた貴族令嬢だよ」
エカテリーナの話を聞いて、ミハイルは嘆息した。
「彼女らしいやり方だね、セレズノア領の内政のことだから、君や僕に筒抜けになるとは予想できなかっただろう。まさか日頃から引き立ててやっている分家の者が、君の側につくとは思わなかったはずだ」
いや毎日のようにレッスンに付き合わせているレナート君が、どんだけ音楽馬鹿か解ってないのってどうよ……。
と思ったが、そういえば彼というより彼の父親が侯爵の側近なのだから、セレザール家は確かに侯爵家の引き立てを受けているのだ。その家の息子でありながら、エカテリーナに裏をぶっちゃけたレナートの音楽馬鹿っぷりは、確かに想定外レベルかもしれない。
「それに、君が領法改定のことを知ったとしても、フルールス嬢のために動くとは夢にも思っていないだろうね。下の者を平然と切り捨てるのは、高位貴族のたしなみくらいに思っているから。
リーディヤは向上心の強い努力家なんだ。いつも上を見上げて、望む場所にたどり着くための努力を惜しまない。だけど彼女は、下を見下ろすことがない。自分より低い身分の者を思いやることは、発想からない。……高位の貴族として、それも一つの在りようではあるんだけど」
最後の一言は呟くようで、エカテリーナはつい、ミハイルの顔を見つめてしまう。
ミハイルは小さく笑った。
「君はそういうのを、あまり好きではないだろうね。でも、民を思いやる情け深い領主の領地が安定し発展するかというと、そうでもない場合もあるんだよ」
「……君主は愛されるばかりでなく、恐れられるべきであると聞き及びますわ。いずれか一方しか選べないならば、愛されるより恐れられるほうが望ましいとも。
心を向けた者を非情に切り捨てるのは、辛く難しいことでございましょう。最初から心に留めない君主のほうが、必要な処置をためらいなく行うことが出来る……そういうことでしょうか」
そういえば、前世の二つの大国。
ひとつは自由の国、民主主義のリーダー。
もうひとつは国家というか政党が強大な権力を持ち、主権が国民にあるとは言い難い体制。
でも、もうひとつの国、すごい勢いで発展していたもんね。
人間って、ほんと、単純にはいかない。
ミハイルは目を見張り、ふふ、と笑った。
「愛されるべきか恐れられるべきか、愛するべきかそれとも……か。僕の家庭教師たちが聞いたら、どうあるべきか、侃侃諤諤の議論を始めそうだ。よかったら、君も加わってみないかい? 当代一流と言われる学者たちと、どんな意見を戦わせるか楽しみだよ」
いやいやいや、何をおっしゃるウサギさん。
……でも、当代一流の学者ぞろいですと? ど、どんな議論が?
しかし、さすが皇位継承者だなー。前世でも、アレクサンドロス大王の家庭教師がアリストテレスだったりしたもんね。
「エカテリーナ様、まずはオリガ様の件が」
隣のフローラに言われて、エカテリーナははっ!と我に返った。いけないいけない、歴女の血が滾るところだった。
「ありがとう存じますわ、フローラ様。ミハイル様、まずは先帝陛下をお訪ねする件、ご助力くださいますかしら」
「もちろん。セレズノアの領民たちのためにもなることだからね、彼らも皇国の民だ。未来の皇国の安寧のため、僕は当然、君と力を尽くすよ」
おお!
皇子ありがとう!未来の皇国の安寧のため……かっこいいよ君!
「ただ」
アレ?
「すまないけど、僕の力が及ばない点もあるんだ。皇太后陛下は優しい方だけど、こと音楽に関してはとても真摯だから、お世辞は決して言わない。音楽神の庭に招かれた歌い手として、褒めるに値しない音楽を称賛してしまえば、音楽神を冒涜することになってしまうからね。皇太后陛下からお言葉をいただくなら、フルールス嬢の実力で勝ち取るしかない」
う、なるほど……それは、如何ともしがたい……。
ていうか、孫が頼めば大丈夫だろうって、軽く考えていた自分を殴りたい。言われてみればその通りだよ。
「期待に添えなくて、申し訳なく思うよ」
「いえ!神様から加護を与えられるほどのお方、そのお言葉を、軽々しくいただきたいなどと考えたわたくしが浅はかでしたわ。こちらこそ申し訳のうございます」
エカテリーナが全力で謝罪すると、ミハイルは少し目を見張って、微笑んだ。
「そう言ってもらえてほっとしたよ、がっかりされるかなと思ったから。でも、先帝陛下なら、お願いすればお言葉はいただけると思う。なんといっても君は、先帝陛下が今も大切に思っておられるセルゲイ公の孫娘だからね。そのお言葉で充分、セレズノアへの楔になるはずだ」
「ありがとう存じますわ。祖父との友誼を大切に思っていただけるとは、恐れ多いことにございます」
皇子が頼んでくれれば大丈夫だろうって思っていたけど、私がセルゲイお祖父様の孫だから、っていうのは意外だったわ。先帝陛下とお祖父様って、本当に親しかったんだなあ。
しかし……さらっと先帝陛下ならお言葉をいただける、って、思えばすごい言葉ですごい環境だわ……。
「ひとつ、考えておくべき問題があるね。事前にこの件をリーディヤに察知されれば、妨害されるだろう。フルールス嬢にあれこれ命じて、学園から一歩も出られなくするとか」
「ああ!それは、仰せの通りですわ」
察知されなくても、私、仮想敵だもの。オリガちゃんがうちに遊びに来る(ふりをして声楽レッスンを受けに来る)のだって、止められる可能性は充分あるよね。さて、どうしたものか。
「だからリーディヤを忙しくさせて、他のことに目がいかないようにしないと。それで思ったんだけど……先帝陛下を訪ねる予定をリーディヤに話して、彼女も誘うというのはどうだろう」
「えっ⁉︎」
「君の歌が学園で話題だから、先帝陛下と皇太后陛下にお聞かせするよう僕が頼んだ。ついてはリーディヤも一緒に来て、一緒にお二人に歌を聞かせてくれないか。そう言って誘う。
お二人の前で、君とリーディヤが歌で直接対決するということになるね。そうなれば、リーディヤは必ず受けて立ち、ひたすらレッスンに打ち込むはずだ。相手が君だと思っていれば、フルールス嬢のことは、目に入らなくなるだろう」
な……なるほど!
絶対の自信がある歌で私をこてんぱんにする機会が、目の前にぶら下げられたら、確かに必ず受けて立ってくるわ。両陛下への披露でもあるし、歌声に磨きをかけて万全の状態になれるよう、入念に準備をするに違いない。
やるな、皇子。なかなかの、いや、かなりの策士だよ!
「名案ですわ。ですけれどその場合……オリガ様がセレズノア様と対決することになりますのね」
リーディヤvsオリガちゃん一騎討ち。ファイッ!
見届け人は先帝陛下と皇太后陛下と皇子。
ひー!
お兄様に相談する前にオリガちゃんには、皇太后陛下に助けを求める、そのために陛下の前で歌ってもらうかもしれない、という前振りはしてあった。その時点でオリガちゃんはプルプルしていた……それでも『おばあちゃんのピアノのためならなんでもやります!』と言ってくれたけど。
お嬢様と一騎討ちは……オリガちゃん、大丈夫かな……。
私だったら、甜菜になってうごうごしてぴーぴー鳴いちゃうわ。
「いっそそのほうが、リーディヤ本人に釘を刺すことができていいんじゃないかな。皇太后陛下も、ピアノの所有を禁じるような領法は感心しない、という件なら問題なくお言葉をくださると思う。僕もその場にいるわけだから、セレズノアがお言葉に配慮しなかった場合、どういうことかと咎めることが可能になるよ」
おお。
「とはいえ、フルールス嬢がリーディヤから睨まれることにはなってしまうね。実家のピアノが救えても、セレズノア領に戻ってからの、その後の人生が心配ではある」
悩ましげに眉を寄せたミハイルに、エカテリーナは笑顔を向ける。
「それでしたらわたくし、オリガ様に、学園卒業後も皇都で活躍されることをお勧めしたいと思っておりますの」
声楽レッスンの教師、ディドナート夫人が、オリガなら国立劇場が彼女のファンで埋まる歌手になれる、と太鼓判を押してくれているのだ。
歌の才能で皇后、皇太后にまで登り詰めた実例がある皇国である。貴族令嬢が歌手になるのも、国立劇場で活躍できるレベルであれば、家の誉れとみなされる。実家のフルールス家も、皇都で活躍する有名歌手の家となれば、リーディヤもセレズノア家も手出しは難しくなるだろう。
「わたくし、オリガ様の歌声が本当に好きですの。歌手になってくださるなら、ユールノヴァ家として後援するよう、お兄様にお願いするつもりですわ。それであれば、セレズノア様もオリガ様にお手出しはお出来にならないかと」
「それはいい。フルールス嬢の将来は、確実に明るいね」
ミハイルの表情も明るくなった。
「それほど素晴らしいなら、僕もその歌声を聴いてみたいな。聴いておくべきだと思うし。声楽レッスンの時に、君の家を訪ねていいかい」
「もちろんですわ、ぜひおいでくださいまし」
「ありがとう、楽しみにしている。……結局、君が勧めてくれた通りになったね」
先日、うちに来て声楽のレッスンを聴かないかと提案したことを言っているのだと気付いて、エカテリーナは微笑んだ。
「今回は、オリガ様の件の一環ですわ。わたくしの歌を聴いていただく件は、また別でお考えくださいまし。
皇国の民のため、未来の皇国の安寧のためにとご助力くださることに、わたくし、感動いたしました。あらためて何かお礼ができればと思いますのに、何も思いつけませんの……もしミハイル様にご希望があれば、なんなりと仰せくださいまし」
音楽の夕べの恩も返せてないのに、今回またこんなにお世話になっちゃって。何かお返しできたらと思うんだけど、君、皇子なんだもんなー。お返しといっても、なかなか難しいよ。
「そんなことは気にしないでほしいな。君とこうしていろいろ考えられることが、僕にとっては嬉しいんだ」
本当に嬉しそうに微笑むミハイルの言葉を聞いて、君って本当にいい奴だよ!とあらためて思うエカテリーナであった。