報連相「相談とブレーキと裏側」
エカテリーナの言葉を聞いて、アレクセイは微笑んだ。
「つまり、先帝陛下と……必然として皇太后陛下にも、お会いしたいと」
「はい、そうですの。お兄様に先日お話しいたしました通り、ミハイル様から一度お会いしてはというお言葉をいただいております。大叔父にあたるお方ですのに、未だご挨拶できておりませんので、お会いするのは自然なことかと」
「お前の言う通りだ」
唇に笑みを浮かべて、アレクセイはうなずく。
「それで、お会いして何をする?」
「皇太后陛下はもちろん、先帝陛下も、音楽を愛するお方であられるとか。歌をお聞かせすれば、お喜びいただけるかと……ですが、わたくしの拙い歌よりも、才能ある友人をご紹介して、その歌声をご評価頂けないものかと、そう考えましたの。
もしお気に召して、その友人にさらに精進せよとのお言葉をいただければ……その友人の家が楽器を所持するのを制限するような領法改定は、両陛下のお心に添わないもの、となりますわ」
ノヴァク、ハリル、アーロン、フローラ。皆の顔に、笑みが広がっていった。
「皇室は、セレズノアの内政に干渉することはできませんわね。ですけれど、皇太后陛下は、皇室のお方でありつつもセレズノア家のご出身。ご実家に影響力は、あって当然というもの。
かつてはお父君や兄君に無理を言われることもあったとのお話でしたけれど、今のセレズノアの御当主は、皇太后陛下から見れば甥にあたるお方でございましょう。かつてより、皇太后陛下の権威は増しているはず。さらに、皇太后陛下の存在が頼りのお家ということでしたら、ご令嬢の望みより皇太后陛下のお言葉の方が、はるかに重いのでは。
そのように、考えましたの」
アレクセイはもう一度うなずく。親族にあたるお方に会いたい、というエカテリーナの言葉を聞いた時すでに、こういう考えだと察していたに違いない。
「フルールス嬢といったか。お前の友人の歌声は、私も感銘を受けるほど素晴らしかった。だが、両陛下のお気に召す保証があるかな?」
「ミハイル様とご相談して、ご同意がいただければ、あらかじめ皇太后陛下にお話を通していただこうと思っておりますの。音楽を愛するお方であれば、今回のような領法改正に反対のご意向をいただくことは、難しくないのでは……と期待しておりますわ」
「だがセレズノアは、リーディヤ嬢は、お前に敵対する意思を見せたのだ。それなりの報いを受けさせなくていいのか」
「先ほどお話があった形で、ユールノヴァとしてセレズノアに意思を示した場合、無関係のセレズノアの領民が不利益を被るように思いますの。オリガ様のご一家にとっても、他家からの圧力でピアノが救われるのでは、周囲からどのように思われるかが案じられます。それを思うと、わたくし、心が重うございます。
報いでしたら、ミハイル様と両陛下がわたくしのお願いに賛同してくだされば、そのこと自体がセレズノア様にとって痛手となりましょう。オリガ様とオリガ様のご一家には誉れとなり、喜びだけが生まれますわ。そうなればわたくし、ただ嬉しゅうございます」
アレクセイは、しみじみとした表情で妹を見つめ、声を上げて笑い出した。
「ああ、エカテリーナ。賢明なる慈愛の女神。お前の策は完璧だ」
いえお兄様、私は女神とかではなく、ただのアラサー社畜だった人です。今生、公爵令嬢に生まれたおかげですごいコネがあって、結局そのコネにおんぶに抱っこな甘い考えしか思い付けなかっただけです。
あらためて、公爵令嬢って身分、チートだな……。
いやそれも、シスコンゆえに私に好きにやらせてくれるお兄様が公爵だからこそだけど。
「お兄様、わたくしの願いをお聞き届けになって、先帝陛下をお訪ねすることをお許しくださいまして?」
「勿論だ。ただ」
ここで、アレクセイは渋い顔になった。
「当然、私がお前を先帝陛下に引き合わせるべきだが……先日話した通り私は、先帝陛下への訪問を控えるべき立場だ」
「はい、覚えておりますわ」
エカテリーナはうなずく。
ミハイルから先帝陛下に会ってはどうかと言われた時、兄に相談すると言った。その言葉通り、アレクセイに話したのだ。その時に教えてもらった。
皇国では、先帝は、有力貴族との交流は避けるべきとされている。先帝が皇帝よりも上の存在となることを避け、皇帝の権威を絶対とするためだ。
前世歴女として、エカテリーナは深く納得した。
日本の歴史でもありましたよ。後鳥羽上皇とか、後白河法皇とか。平安時代の末期あたりで、天皇よりも譲位後の上皇のほうが力を持って、院政を敷いた時代があった。
皇国でも、かつて同じような時期があったそうだ。時の皇帝よりも、譲位後の先帝のほうが権勢を振るい、臣下に対しても横暴に振るまった。そのため皇国は乱れ、内乱が相次いだ。
それを立て直したのが、中興の祖「雷帝」ヴィクトル。彼はまだ少年の年頃で父から皇帝の位を譲られ、実権のないお飾り皇帝となった。しかし雷属性の魔力に目覚めたことで、建国の父ピョートル大帝の再来と自ら名乗り、父親を排除して皇国を立て直したのだ。
なんちゃって歴女的に、皇国の歴史上の人物で、建国四兄弟の次に滾るのがこの雷帝ですよ。
元は魔力属性は水だけだったのに、後から雷属性も目覚めて、複数の属性持ちになった。ピョートル大帝が夢枕に立って、皇国を立て直すべく力を授けられた、と雷帝ご本人が語ったそうで……。
ファンタジー世界だから本当にあり得ることかもしれないけど、計算された演出というかプロパガンダだったら、それはそれで美味しい。歴史の裏話に妄想が捗ります。
それはさておき、その雷帝ヴィクトルが定めた法により、先帝は敬われはすれども実権はない。皇帝に意見することはできるので、権威はあるけれど、臣下に直接何かを命令したりは基本できない。
そして臣下も、先帝に何かを直訴したり、先帝を通じて皇帝を動かそうとしたりしてはならない。
有力貴族の現当主は、先帝を訪問することも控えるべき、とされている。
よって、すでに公爵位を継承しているお兄様は、先帝陛下に会いに行くことはできない。
「先日のご相談の折りには、式典など、お兄様が先帝陛下とお会いすることが可能な機会を見計らうことになっておりました。ですけれど、このような事態となりました。
お兄様……今回ばかりは、ミハイル様にご一緒いただいて先帝陛下をお訪ねすること、お許しくださいませんかしら」
妹のお願いに、珍しくアレクセイは即答しない。
「……お前は、それでいいのか?」
「もちろんわたくしは、お兄様とご一緒しとうございます。でも、お友達のためなのですもの」
皇子と一緒は破滅フラグ回避的にリスクがあるけど、オリガちゃんの件は今そこにある危機ですから。優先度が高いのは、オリガちゃんの危機回避です。
「お兄様、お願い」
祈りの形に手を組んで、エカテリーナは紫がかった青い瞳に願いを込めて、アレクセイを見つめた。
「……お前がそう望むなら」
若干のためらいはありつつも、アレクセイがいつもの応えを返すと、エカテリーナはぱっと顔を輝かせる。
やったー承認ゲット!あらためて、お兄様がシスコンでよかった!
「ありがとう存じます!お兄様、大好き!」
飾り気のない言葉に、物理的な衝撃を受けたかのように、アレクセイの身体が揺れる。
「それではわたくし、ミハイル様にご相談いたします。お会いする折りには、お兄様のお言いつけ通り、節度を保つことをお約束いたしますわ」
「ああ……そうしてくれ」
アレクセイは珍しくふわふわとした、幸福そうな笑みを浮かべた。
あぶないあぶない、承認がもらえなかったら、ただでさえ忙しいお兄様と皆さんにセレズノア対策なんて余計なお仕事を増やしてしまうところだった。
なんとか皇子に皇太后陛下への根回しをしてもらって、オリガちゃんへのお言葉をいただかないと。私が失敗したら、きっとお兄様にリカバリーしてもらうことになってしまう。それはいかん!
よーし、皇子にあの東屋に来てもらって、相談だー。
エカテリーナは張り切って立ち上がった。
「イヴァン」
フローラと一緒に足取り軽くエカテリーナが執務室を去り、イヴァンが彼女の守りとなるべく後を追おうとしたところで、アレクセイが彼を呼び止めた。
「はい、閣下。御用でしょうか」
イヴァンはいつも通り、愛想のいい笑顔だ。
妹の耳に届かないよう低めた声で、アレクセイは淡々と言った。
「私からセレズノア侯爵へ、与える物がある。『赤竜の血玉髄』を……セレズノア家の皇都邸、侯爵の寝室にひそかに置け」
『赤竜の血玉髄』とは、幻と言われ最も珍重される、ユールノヴァ産最高級赤ワインの銘柄である。
攻撃しようとしている相手の領地の産物。赤ワイン、そして銘柄と、二重に血を暗喩する物が、最も安全であるべき寝室に忽然と現れる……それを目にした時、セレズノア侯爵、リーディヤの父は、いかなる心境になるであろうか。
「エカテリーナの優しい心が痛まぬよう、領民には影響を出さず、本家の者だけを狙うとしよう。両陛下のご意向に添う、という名目に飛びついてくるよう追い込む」
イヴァンの琥珀色の目が、楽しげに光った。
「侯爵家に『護り』の者がいたら、蹴散らしてもいいでしょうか」
「好きにするがいい。格の違いを思い知らせて、震え上がらせてやれ」
「恐れ入ります。閣下の仰せのままに」
イヴァンは笑顔で一礼する。そして、暴走しそびれていささか残念そうな執務室の側近たちをよそに、足取り軽くお嬢様の後を追っていった。