今更ですがお兄様を攻略します
ノックの音で執務室のドアを開けたイヴァンは、そこにメイドのミナとエカテリーナがいるのを見て、驚く様子もなく微笑んだ。
「公爵閣下、お嬢様がお越しです」
イヴァンが取り次ぐと、何かの書類に突っ伏すように屈み込んでいたアレクセイが、弾かれたように顔を上げる。
そしてエカテリーナを見て息を呑み、立ち上がった。
「あの……ごめんなさい、お兄様。少しお話ししてもよろしくて?」
組み合わせた両手をもじもじ動かしながら、エカテリーナは言う。ちょっと顔が上げられなくて、自分の両手に視線を落としている。だから、
「あ、ああ。もちろん」
という応えをもらってほっとした。
執務室の他の面々は、フォルリがすでに辞したらしく不在。昨日と同じ三名が無言で見守る中、エカテリーナはミナに背中を押されてアレクセイの側に歩み寄る。
「わたくし……謝罪をしたくて来ましたの」
そう言い切ってしまったら腹が据わった。
社会人たるもの、問題発生時の謝罪と対応は迅速かつ的確に。遅れれば遅れるほど傷は広がるのだ!
……とか思いつつ、まだ顔が上げられないんだけど。お兄様のシスコンを信じていても、それだけに万一がっかりとかされてたら死ねるわ。
「お昼に申し上げたこと……お兄様に対して不当でしたわ。お兄様がわたくしの為を思って言って下さったこと、よく解っております。それなのに、あのような……。
わたくしの言葉は、あまりにひどいものでした。お許しくださいまし」
「……」
アレクセイは絶句しているようだ。
そして、ちいさく咳払いをひとつした。
「……その、私もあのあと考えたが……チェルニー嬢に言ったことは、いささか軽率な判断だったかもしれない。
お前は賢い子だ。学園で過ごす三年間くらい別の階級の者と付き合っても、お前なら上手に見聞を広めることができるだろう。それを考慮すべきだった。だから、お前が謝ることなどないんだ」
おおっ。
「考えてみれば……社交界にデビューもさせてやれなかったお前にとって、チェルニー嬢は初めて親しんだ友人なのだろうと、後から気付いた。
私は……ひとの心の機微に疎い人間なんだ。わかっているんだが……」
おおおおおー!
お兄様わかってくれてたー!
そしてちょっと弱った風情でコンプレックス告白するお兄様がかわいすぎるー!
がば!とエカテリーナはアレクセイに抱きついた。
「お兄様ありがとう!大好きー!」
アレクセイは動かない。完全に固まっているようだ。
が、緊張の反動でエカテリーナのテンションはMAXである。
「お優しいお兄様を持ってわたくし幸せです!お兄様の信頼にお応えできるよう、公爵令嬢として恥じない振る舞いを学ぶ努力も怠らないとお約束いたしますわ!フローラ様ともよき友人となって、おっしゃるように見聞を広めます!ですからお昼も作らせてくださいまし!これからもここでお昼をご一緒して、公爵令嬢として当家の業務を理解できるよう頑張ります!」
「あ、ああ……」
アレクセイの言葉に従っているようでいて、自分のやりたいことの言質を取りまくるエカテリーナ。なんかそうなってる気がしつつ、妹の押しに負けまくるアレクセイ。
「それから、お兄様」
抱きついていた腕をほどいて、エカテリーナは兄の手を取った。にっこり笑う。
「さきほどおっしゃった、ひとの心の機微に疎いということですけれど。それは、このように呼ぶと聞いたことがございますわ。『伸びしろ』と。
お兄様はそのお若さで、広大な公爵領を取り仕切っておられます。お兄様の知識と能力、決断力は驚くべきものですわ。それなのに、心の機微とやらまでお解りになっては、あまりに完成されすぎというものです。この先の人生で成長する余地がございません。
自分の欠点を自覚することは、改善の第一歩だそうですわ。お兄様はいずれきっと克服なさいます。だって本当に優秀でいらっしゃるのですもの。わたくし、心から尊敬いたします」
お兄様の冷たいほど理性的に見えるところがツボなんだけど、実は本人はそのへんがちょっとコンプレックスとか更にツボる!
ともあれ、学生時代の部活でも、会社の後輩でも、自覚している欠点のある子ほど、ちゃんと改善する意欲さえあれば対策を積み上げて、最終的にはもともと苦もなくできる人の上をいくようになったりするもんですよ。入社当時は猪突猛進と言われた私も、過労死前には根回し搦め手いろいろできるようになってました。
お兄様ならいずれ人の心を見透かしてしまうと恐れられる、狸宰相とかになれちゃいます!って目指すところがおかしいか。
「……エカテリーナ、ずいぶん大人びたことを言うが、そんなことをどこで聞いた?」
はっ!やべえ前世の部活の顧問とは言えない!
「あ、これはその確か、家庭教師の先生からうかがったことですわ!お兄様がお手配くださった先生方は皆様優秀でしたの!」
「そうか」
苦しい言い訳だと思ったが、アレクセイは頷いた。後で考えたら、エカテリーナが成長の余地うんぬんの言葉を誰かに習うとしたら、家庭教師以外に可能性がないと言ってよかった。グッジョブ自分。
そして、アレクセイは微笑んだ。儚いほどかすかに。
「ありがとう、エカテリーナ。お前は本当に優しい子だ。……悲しませてすまなかった」
うわああああ。
内心、エカテリーナは久し振りに思わずのけぞっている。
これか。これがあれか。
『尊い』ってやつか!
妹に生まれて良かったー!と思いながら、エカテリーナはもう一度アレクセイを抱きしめた。
「わたくしの方こそ、ひどいことを言ってごめんなさい。お兄様こそ悲しい思いをなさったと思うと、わたくし自分が許せませんわ」
推しを悲しませるなんて、本当に許されないよ。
前世でお兄様に癒してもらって、今生では誰より何より大切にしてもらって、あなたには恩しかないっていうのに。たった十七歳で大きすぎる責任を負っているお兄様を、少しでも支えたいと思っているのに。
あなたはまだれっきとした子供なのに、なんで毎日こんなに大変なの。えらいよ。えらい。
「……」
いや、すみません。
なんかうっかりお兄様の頭を撫でてしまいました。水色の髪、サラッサラですね!
お兄様再び固まっちゃったよ……今までにあなたの頭を撫でるなんてことした人間は存在したのだろうか。ほんとすみません……。
「ま、まあ、お忙しいお兄様に、お時間をずいぶんとらせてしまいましたわ。申し訳ございません。そろそろ失礼いたしますわね。
皆様、お騒がせいたしましたわ。ごきげんよう」
兄と、執務室の面々へ淑女らしくお辞儀をしたエカテリーナは、ミナと共に足取り軽く執務室を後にする。
「お嬢様、お部屋へ戻ってお食事されますか」
「その前に、フローラ様に会いに行くわ。善は急げと言いますもの!」
お兄様の次は、ヒロイン攻略だ!
ヒロインに攻略されてるのかもしれないけど!わはは。




