プロローグ2~悪役令嬢〜
わたくしの名はエカテリーナ・ユールノヴァ。誇り高きユールノヴァ公爵家の娘。
(あーそれ乙女ゲームの悪役令嬢の名前。お兄ちゃんはアレクセイだよね。ファーストネームだけ帝政ロシア風な世界だった)
十五歳になって、魔法学園に入学するために、生まれて初めて公爵領を出て皇都へやってきたところ。半年前までお母様と共に幽閉されていたわたくしにとって、世界はあまりに広すぎて怖ろしい。
(え、幽閉ってなにそれ。ゲームの設定に書いてなかったけど)
ユールノヴァ公爵家は三大公爵家のひとつ。初代セルゲイは皇国の開祖ピョートル大帝の弟にして最も忠実なる臣下。ゆえに皇国有数の広大で豊かな領地を賜った。幾度も皇后を輩出し皇女の降嫁を賜り、高貴な血統を維持して、万一皇帝が世継ぎを授からなかった場合、皇帝を出せるほどの家格を誇る。わたくしとお兄様のお祖母様も、皇女だった。
(マジかすげー。江戸時代に八代将軍吉宗が、紀州徳川家から養子に入ったりしたようなもんか。あなたの家って徳川御三家みたいな超名門だったんだ)
お祖母様は誇り高く、厳しい方だった。ユールノヴァ公爵家といえど、皇女たるお祖母様は別格の存在で、全ての中心。一人息子であるお父様を熱愛し、侯爵家から輿入れしたお母様を……嫌い抜いていらした。
わたくしはお父様にお会いしたことがない。わたくしが産まれた後、お父様がお母様の元へいらしたことはないと聞く。お兄様にも、ずっとお会いしていなかった。産まれてすぐお祖母様の元に引き取られ、お母様にお会いすることは許されなかったそうだから。
お祖母様は女児であるわたくしには関心がなかったから、わたくしはお母様とずっと一緒だった。それでも小さい頃はよかったけれど、暮らしはだんだん厳しくなり、公爵領の別邸から出ることを許されず、寒々しい邸で、食事や衣服にも事欠くありさまで、お母様と身を寄せ合って生きてきた。
(そうだったの!?なにそれヒデェ、嫁いびりダメ絶対!なにが皇女だクソババア!)
お母様はいつもわたくしにおっしゃった。あなたは必ず皇后になってと……皇后になればお祖母様でさえわたくしに頭を下げねばならなくなる。なんでも好きなことができるようになると。だから必ず皇子にお会いして、皇后になって。そうしたら、母をここから救い出しておくれ。そう言いながら、いつも泣いていらした。美しさを留めながらもやつれ果てた、わたくしそっくりのお顔で。
(そ、そんな重い理由で皇子を追っかけてたんだ……なんかごめん)
もともと病がちだったお母様は、わたくしが十歳になる頃にはほとんど一日中、ベッドを出られなくなってしまった。
わたくしはお母様をお見舞いする時以外、お部屋の窓から外ばかり見ていた。見えるものはわずかな使用人たちと、季節ごとに色を変える森の木々ばかり。
でもごくたまに、邸の前を通ってゆく一行がいた。
それを見るのはわたくしの楽しみだった。狩にでも行くのか、いかつい男が目立つ一団の中心は、わたくしとあまり年齢の変わらなそうな少年だったから。邸には他に子供はおらず、わたくしが子供を見るのはその時だけだった。水色の髪の、きれいな顔立ちの少年は、いつも通り過ぎるまでじっとこちらを見つめていた。
(お兄ちゃん……きっとお母さんに会いたかったんだね。ババアが会わせないからせめて近くに、でも姿も見られず通り過ぎるだけ……くうっ、クソババア絶許!)
そんな暮らしは、半年前にぷつりと断ち切られるように終わった。
いつも静まり返っていた別邸に、公爵邸からの使者が現れて告げたーーーお父様が不慮の事故で急逝され、お祖母様も後を追うように亡くなられたと。
そして、新しい公爵の命令だと言って、わたくしとお母様を馬車に押し込んだ。ずっと寝たきりだったお母様を、無理矢理。初めての馬車に揺られながら、わたくしは必死でお母様を励ましたりさすったりしたけれど、公爵邸に着く頃には、お母様は高熱を出して意識朦朧としてしまっていた。
出迎えた公爵邸の執事はそんなお母様を見て、蒼白になって使者を叱り飛ばしたけれど、もう取り返しがつかなかった。執事はすぐさま医師を手配しお母様を公爵邸に運び入れたけれど、豪奢な寝台に横たえられたお母様のお顔はあまりに白く、すでに生きているように見えなかった。
お兄様がお部屋に駆け込んできたのはこの時。
でもわたくしは、現れたのがお兄様だと気付かなかった。とても背が高くて、片眼鏡が厳しい印象で、ずっと年上の、大人の男性だと思った。
お母様が目を開いた。
そしてお兄様を見て、涙をこぼした。
「やっと……来て、下さった。アレクサンドル様……」
呼んだのは、お父様の名前だった。
お兄様は一瞬凍りついた。けれど、優しく言った。
「すまなかった……アナスタシア」
それがお母様の最期だった。
だからお兄様は、一度たりともお母様にご自分の名を呼ばれたことがない。
(くうう……めっちゃ泣くー!お兄ちゃん可哀想、あなたも大変だったんだねえ)
そう、本当はお兄様はお辛かったはず。わたくし、解っていた。
でもお兄様は、公爵として完璧なお仕事ぶり。お母様の葬儀を盛大に執り行い、領地をしっかりと掌握されて、わたくしと二歳しか変わらないとは信じられないほど大人に見えた。
お兄様はわたくしを不憫に思って、とても良くしてくださる。大きな素敵なお部屋、美しい衣装、たくさんの使用人。別邸にいた頃から見れば夢のような暮らしをさせて下さり、学園に戻って行かれた後もたびたび手紙をくださって、欲しいものはないか不自由はないかと気遣ってくれる。
……でもわたくしは、お兄様にまともに言葉を返したことがない。
くださる物を要らないと突き返したりして、わがままな、ひどい態度ばかり。領地から皇都への旅の中さえ、お兄様が話しかけてくださっても、頑なに黙り込んでいた。
(試し行動ってやつかな。虐待された子供とかがやるらしいよ。この人は本当に自分の味方か、見極めようとするんだって)
これではいけないと思うの。でもお兄様に応えようとすると、お母様の最期を思い出して、なぜか怒りを感じるの。
(最期に声をかけた相手がお兄ちゃんだから?意識混濁してて、お父さんと間違えてたのに?)
きっとお母様も、本当はわたくしなんかいらなかった。お祖母様も、お父様も、お母様も、お兄様さえいればよかった。わたくし、なんなのかしら。
(あー……こじらせてんのね。
うん。綺麗事はおいといてぶっちゃけると、子供なんかいらんて親は存在するね。ごく少数だけどね。
あと大貴族なら、めっちゃ長男教だろうね。むしろ当然よ。
だけどあなたの家は、嫁イビリクソババアが諸悪の根源だからね?
父親はしらんけど、お兄ちゃんもお母さんも、あなたも完全に被害者だから。ムカつくならババアの名前書いた紙をピンヒールでげしげし踏むとか、跳び蹴りでもかましたりなよ。お兄ちゃんに八つ当たりすると、あなたも辛いんでしょ。根はけっこういい子なんだよね)
ピンヒール?ふふ……ありがとう。
でも、あなたは誰?
(うん……たぶん……たぶんだけど。
私は、あなたなんだと思う)