間奏
後半少し、モブ視点となります。ご容赦ください。
魔法学園の授業では、たびたび教室移動が必要になる。
魔力制御の実習、ダンス、音楽、美術、武術(男子のみ)、裁縫(女子のみ)などで、戸外の実習場や専用の教室へ移動しなければならない。貴族仕様で部屋も建物もいちいち大きい学園では、移動にも時間がかかる。
そのためか、授業と授業の合間の休み時間は前世よりも長い。ちなみに昼休みも長い。休み時間が長いぶん、二十一世紀の日本の高校と比べると、授業のコマ数は少ない。
魔法学園が設立された四百年前は、正確な時計がほとんど普及していなかった。そのため、万事のんびりした時間設定だったのだろう。今でも学園のカリキュラムは、エカテリーナの感覚では、かなりゆったりしている。
そんな教室移動から戻る途中で、エカテリーナはアレクセイと行き合った。
「お兄様!」
「エカテリーナ」
呼びかけてきた妹に、アレクセイが片手を差し伸べる。もちろんエカテリーナは、隣のフローラに断りを言っていそいそと兄に歩み寄る。
そして差し伸べられた手を取るのみならず、その腕にぺたっと抱きついた。前にもやったことのある、コアラ状態だ。
「どうした?」
「少し、寂しい心地でしたの」
モニョる気持ちをどうにも出来ずに、もやもやと抱えていた。この世界では普通であることが、前世の記憶があるゆえに、受け入れがたく感じてしまう。それが自分を世界の異物のように思わせて、寂しかったのだと思う。
でもお兄様に会えたら、寂しさとか吹っ飛びました!
お兄様の妹でいられる人生バンザイ!
ふっと微笑んで、アレクセイはエカテリーナが抱きついているのとは別の手で、妹をさらに抱き寄せた。
「まだ寂しいか?」
きゃー!
「きゃー!」
「いいえ、お兄様のお側にいるのですもの、寂しさなど」
そう言いながらも、なんか今きゃーって声しなかった?と内心で首を傾げるエカテリーナである。声がしたとおぼしき方向をちらりと見ると、数名の女生徒がそそくさと去っていくところだった。おそらくアレクセイの同級生。
はて、なんぞ?
そこへ、声がかかった。
「やあ、相変わらず仲がいいな」
「ニコライ様」
長身の兄よりさらに背の高い、燃えるような赤毛の筋肉質の青年ニコライ・クルイモフを見上げて、エカテリーナは笑顔になる。アレクセイの腕から離れて、軽く礼をとった。
「お久しゅうございます。お会いできて嬉しゅうございますわ」
「ああ、久しぶりだ」
にっと笑うニコライは、アレクセイとは違うタイプのイケメンで、いかにも頼れる兄貴という印象。
妹のマリーナとは違い、ニコライはユールノヴァ家とクルイモフ家の因縁について知っているだろう、とアレクセイは言っていた。けれどその件について、触れたことも匂わせたこともないと。
今も、見上げるエカテリーナに、ニコライはただ笑顔を返してくる。
「うちの猿の思いつきで、厄介をかけているらしいな。申し訳ない」
「そのようなこと。素敵なご発案ですわ、わたくし、わくわくしておりますの。もしお時間がおありでしたら、ニコライ様もマリーナ様の歌声を聴きにおいでくださいまし」
マリーナは楽器の心得はないそうで、歌で参加すると言っている。音楽の授業での合唱を聞く限り、よく通る豊かな声量の持ち主だ。ちょっと音程は不安定そうだが、そこはご愛嬌だろう。
なお、アレクセイが聴きに来るかについては、言うまでもない。なんなら、執務室の面々まで聴きに来そうなのを、学外の方はさすがに、とやんわり止めているくらいだった。
「あいつの声なら、行かなくても学園中に響き渡りそうだがな」
ははは、とニコライが笑った時。
「おい!返せよっ!」
という怒鳴り声と、廊下を走る足音が聞こえてきた。
走ってきたのは、エカテリーナと同じクラスの男子二人。逃げているほうが追っているほうのノートを奪っていったようで、逃げるほうはへらへら笑い、追うほうは必死の形相だ。
逃げる男子が横を駆け抜けようとした時、ニコライが腕を伸ばしてその襟首をひょいと掴んだ。
すごい動体視力と腕力だ。
「ごえっ⁉︎」
襟首掴まれた男子は一気に首が締まって脚が浮き、貴族男子のイメージから遠い声を上げてべしゃりと尻餅をついた。
エカテリーナはすぐに彼に歩み寄って、さっとノートを取り上げた。
「もう、いけない方ね。人の嫌がることをするなど、紳士のふるまいではありませんことよ。それに、廊下を走るものではありませんわ」
しゃがんでノートを胸に抱え、手のひらでぺちっと彼の額を叩くふりをする。本当に叩くのは失礼なので、ふりだけ。
そして立ち上がると、追ってきたほうの男子に笑顔でノートを差し出した。
「どうぞ。お返しいたしますわ」
「あ……ありがとうございます」
クラスは同じでも話したことのなかった男子は、へどもどしてエカテリーナからノートを受け取る。
その間に尻餅をついていた男子は、よろよろと立ち上がっていた。
「申し訳ありませんでした……」
さすがにしっかりと頭を下げ、急ぎ足で――逃げていく。
ノートを受け取ったほうの男子も、その後を追うように去っていった。
「まだ一年生とはいえ、ガキだな」
ニコライが苦笑する。アレクセイが顔をしかめた。
「お前と同じクラスに、あのように騒がしい者たちがいるとは。よそへ移させようか」
「どうぞおやめくださいまし。きっとご実家から戻ったばかりで、子供時代に戻っておしまいになったのですわ。すぐに、当学園の生徒らしくなられましてよ」
二学期になってからクラス編成を操作するとか、やめてください。先生方が泣いちゃいます。
それに男子なんて、十五歳やそこらだったら、あんなもんでしょう。お兄様や皇子やニコライさんは、特別製ですよ。
……いやさすがに高校生であれは、幼いかな。小学生レベル?うーん、どうだっけ。
「エカテリーナ様、そろそろ」
フローラがそっと声をかけてくれて、はたとエカテリーナは我に返る。
「お待たせして申し訳のう存じますわ、フローラ様。お兄様、ニコライ様、お会いできて嬉しゅうございました」
そしてフローラと共に足取り軽く、エカテリーナは教室へ戻っていった。
追いかけっこをしていた男子二人は、教室に戻ると隣同士の席について、どちらも机に突っ伏した。
ノートを返してもらった男子は、そのノートを胸に抱きしめた状態だ。これは実は、夏休みに実家から引き上げてきたもの。昔せっせと考えた、自分に特別な魔力が目覚めた時のための呪文と魔法陣(それっぽいだけの出鱈目)が書き留めてある。
ぱっとしない貴族の次男三男あたりには、ちょいちょいある黒歴史だ。この世界にも、厨二病はしっかりがっつり存在するのである。
兄や姉に見つかったらどうしよう、と思って実家から持ち帰ってきたそれを、間違えて授業に持ってきてしまった。こそこそ隠そうとしたせいで、仲の悪い隣の奴にかえって目をつけられて奪い取られて。追いかけている時には、こんなもの絶対焼き捨てる!と決意していたのだけれど。
『どうぞ。お返しいたしますわ』
ユールノヴァ公爵令嬢が、手渡してくれた。
直接声をかけられたのは、初めてだ。にこっと笑いかけてくれた。近くで見るとますます、美人だった。紫がかった青い瞳が本当にきれいだった。
それに……それに……。
(ユールノヴァ嬢が、『あの』胸に抱いたノート……!)
憧れの青薔薇の君。
などと美名を奉っていても、脳裏を埋めるのは胸の映像が主な青少年である。人目がなければ、ノートに顔を埋めて匂いとか嗅ぎたい。と切に思っている。
「ぶって欲しかった……」
隣からそんな声が聞こえて、思わず顔を上げた。
視線を感じたのか隣も顔を上げ、聞かれたことに気付いてぎくりとした表情になる。
それへ、ぐっと親指を立てて見せた。
(わかる!)
あの白い手でぺちっ、とか、ご褒美だよな!
『いけない方ね』って言葉もいい。すごくいい。ちょっと睨んで言って欲しい。赤くなって言ってくれたりしたら、めちゃくちゃいいんじゃないだろうか。
そんな心の声はしっかり伝わったらしく、隣はゆっくりと笑顔になった。
こうして誕生したしょうもない友情は、意外と一生続くことになる。