宝物と絶賛
翌朝、アレクセイはエカテリーナから渡されたガラスペンをたずさえて、皇城へ向かった。
彼は前日、エカテリーナから渡されて皇后のガラスペンを確認している。彼も、この逸品には感嘆しきりだった。
「お前の職人は、いっそう腕を上げたようだ」
「お兄様もそうお思いになりまして?レフと出会えて、わたくし本当に幸運でしたわ!」
弾んだ声でそう言って、エカテリーナははたと思う。アレクセイにプレゼントしたガラスペンは、皇后陛下のものと比べると、見劣りしてしまうのではないだろうか。ブラコンとして、それでいいのか。
「……お兄様のガラスペンも、あらためてお作りしとうございますわ。きっと今なら、さらに素晴らしいものになりますもの。お兄様には、最上の物をお持ちになっていただきたいの」
その言葉に、アレクセイは微笑んだ。
「私は最上の物を持っているとも。私の優しい妹が、誕生日を祝って贈ってくれた物だ。
……それまでは私は、誕生日を祝うことを愚かだと思っていた。ただの一日に過ぎないと。だが、喜ばしいのはその日そのものではなく、その日を祝ってくれる人がいることだと、お前が教えてくれた」
アレクセイは手を伸ばし、エカテリーナの藍色の髪に触れた。優しく梳き下ろす。
アレクセイのガラスペンの色は、彼の髪色である水色と、エカテリーナの藍色だ。
「お前のガラスペンを見るたび、私はそれを思い出して、心が温かくなる。皇后陛下のガラスペンがいかに素晴らしくとも、お前が私に贈ってくれた物が、私の最上。宝物だよ」
兄を見上げて、エカテリーナは大きな目をうるませた。
「お兄様……そのお言葉、わたくし、本当に嬉しゅうございます」
うわーんものすごく嬉しいー!
私のプレゼントを見ると、心が温かくなるってー!
お兄様シスコンだから当然かもしれないけど、いろいろ頑張って心をこめてプレゼントしたんだもの。そんなに大事に思ってもらえるって、すごい嬉しい!
「愚かなことを申しましたわ、お許しくださいまし。物の価値は、それぞれの心が決めるもの。わたくしの贈り物がお兄様のお心を温めていると知って、わたくし幸せですわ」
「いつも幸せでいておくれ、私の愛しいエカテリーナ。ガラスペンにも勝る私の宝は、お前の幸せなのだから」
そう言って、アレクセイはふと微笑んだ。
「もう少し後のことになるだろうが、ある画家を夕餉に招くことになっている。お祖父様と私の肖像画を描いた画家だ。お前も夕餉を共にして、彼をもてなしてほしい」
「はい、お兄様のお望みの通りにいたしますわ」
プレゼントから急に話題が変わったような気はしたものの、はりきって答えたエカテリーナだった。
アレクセイを送り出した後は、約束していた客人を迎え入れる。
「お嬢様、お声をかけていただきありがとうございます!」
テンション高めで挨拶した客は、カミラ・クローチェ。ドレスのデザイナーだ。
彼女は今、飛ぶ鳥落とす勢いらしい。エカテリーナが広めてほしいと頼んだ「天上の青」を活かしたドレスが流行になり、いち早く紹介した彼女には、注文が殺到しているそうだ。彼女が着ているドレスも、心なしか以前より凝ったものになったような。
それでも、エカテリーナが招くと駆けつけてくれるようだ。
「ご活躍のほど、聞き及んでおりましてよ。わたくしどもの染料を広めていただき、ありがとう存じますわ」
「そんな、もったいないお言葉……お礼を申し上げるのは、わたくしのほうですのに。おかげさまで、わたくしもデザインの幅が広がりました」
と言うカミラの目が、期待に輝いている。エカテリーナは微笑んだ。
「領地にも、祖母のドレスが残っておりましたの」
「やはり……!あ、いえ、では」
「こちらへ送らせておりますわ。ドレスの広間に出しておりますの、ご覧になって」
「ありがとうございます!」
カミラは深く頭を下げた。
そう。ユールノヴァ城の北東の翼、祖母アレクサンドラが暮らしていた場所に保管されていたドレスの数々を、エカテリーナは皇都に送らせていた。
発見した時には、これどーしよ、と悩んだエカテリーナだったが、とりあえず皇都には確実にそれが役立つ相手がいるので。
それが、デザイナーのカミラ。彼女に見せて、デザインの参考資料として活用してもらうのだ。
実は前にも、皇都邸に保管されていた祖母のドレスを、クラスメイトに持ち帰ってもらう前に、カミラに見せている。
皇国では、デザイナーは、自分がデザインしたもの以外のドレスをじっくりと見る機会が、なかなかないのだそうだ。考えてみれば、ドレスをまとった貴婦人たちが集う夜会などには、デザイナーは参加できない。デザイナー同士で情報交換なんて、商売敵同士でやるわけがない。
ドレスのデザイナーは、基本的に師匠に弟子入りし、師匠のデザインをある程度引き継いでいくものだそうだ。けれどカミラは、師匠なしで自分の感性だけで勝負してきたという。ゆえに、軌道に乗るまでそれはそれは大変だったと。
それを聞いた時エカテリーナの脳内では、もじゃもじゃ頭のバイオリニスト氏が、情熱な大陸のテーマソングをかき鳴らしてしまったのだった。
こういう話、前世からのツボなんである。
カミラはもう自分のスタイルを確立していて、他のデザイナーのデザインを丸パクリなんてしたら、怪しまれるだけで良いことなどない。消化して自分の感性の糧にするだけ。そう確信できる、というか理屈でそうなる。
そして、彼女がデザイナーとしての実力を向上させることは、彼女が活用する「天上の青」の売り上げ向上にもつながる。タダで広告宣伝効果の拡大を狙える。
というわけで、クラスメイトたちを招いたガーデンパーティーの前に、カミラを招いてドレスを見せていたのだ。
カミラは泣かんばかりに感激しつつ、すごい勢いでドレスをスケッチし、気になる部分の構造を調べたりしていった。そしてしっかり、デザインの幅を広げたというわけだ。現在の飛ぶ鳥落とす勢いには、それも寄与していることだろう。
今回、カミラは手回しよくアシスタント役の弟子を二人連れてきていた。彼女たちにとってもいろいろなデザイナーが手掛けたたくさんのドレスを見ることは、いい勉強になることだろう。皇国の未来のファッション界への、貢献になるかもしれない。
「気になる物があれば、お持ち帰りいただいてもかまいませんわ。素材を新たなドレスに活かしていただくのも、よろしいかと思いますの」
「いえそのような……!」
「どうぞご遠慮なく」
正直、扱いに困っているので減ればラッキー。
「あの中には、祖母が袖を通すことすらなかったものがあるそうですの。どれも美しく、人の手がかかったものですのに、あまりに不憫ですわ。せめて一部でも活用して、どなたかの身を飾って喜ばれることができれば、ドレスも喜ぶのではありませんかしら」
「まあ、お嬢様……」
エカテリーナの言葉に、カミラの目に涙がにじむ。
「ドレスのこと、作り手のこと、そのように考えてくださって……わたくし、お会いする度に、お嬢様への敬愛が増すばかりでございます!」
「あ、あら、いえ、それほどでも」
いや、いらんドレスをリサイクルしたい、というのが本音なんで。カミラさんの成功はうちの利益にもつながるし、とか思ってるんで。そんな感激されると困惑しかないんですが。
「これからも、どうかお嬢様のドレスはわたくしに。お嬢様のお美しさを最も引き立てるドレスを作るデザイナーとご評価いただけるよう、わたくし、全身全霊で精進してまいりますわ!」
「よ、よろしくお願いいたしますわ……」
そんな一幕はあったものの、カミラは弟子たちと共に精力的にドレスをスケッチしまくって、ほくほくして帰っていった。
そしてアレクセイは、予定通りの時間に皇城から戻ってきた。
「あのガラスペンはやはり、大いに陛下のお気に召した。感嘆しておられたよ」
「まあ嬉しい!」
朝に話をした談話室で、向かい合ってすぐそう言われて、エカテリーナは大喜びする。
「きっと皇后陛下もお喜びになるだろう。皇帝陛下がそう確信しておられたのだから、間違いない」
恋女房に最高のプレゼントをこまめにしてきた夫が確信しているというなら、それは間違いないだろう。
「陛下は、ガラスペンに取り入れるべき要素の指定はしたが、細かい意匠は任せておられたそうだ。独創的な意匠が素晴らしい、ガラスでこの大きさで、これほどの精緻な細工が可能だとは思っていなかったと、仰せになった」
「そうでしたの。陛下にレフの才能をお認めいただけて、嬉しゅうございますわ」
陛下に絶賛していただけた……この世界では大国である皇国の、皇帝陛下に絶賛されたガラスペン。声をかけてきた商会の人たちに目利きしてもらう時、絶大なアピールポイントになる。各国の王侯貴族に宣伝してもらおう。
商人ハリルに感化されているエカテリーナである。
喜ぶ妹を優しい目で見ていたアレクセイだが、ふと表情があらたまった。
「そして、領地で起きたことについて、陛下にご報告した」
「……」
エカテリーナは思わず座り直す。
領地で起きたこととは、玄竜こと魔竜王ヴラドフォーレン、一国の軍隊にも匹敵する強さを持つ巨竜との遭遇についてに違いない。遭遇と、そして――求婚について。
「お前から聞いたこと、そしてオレグ、ミナから報告を受けたことを、総合してお話し申し上げた。陛下は黙ってお聞きになり、そして、こう仰せになった」
『それほど強力な竜とあれば、縁を結んだなら皇国に利をもたらすであろうな。労せずして軍備増強ができる。実際に竜を動かすことができるかはわからぬとしても、諸外国への抑えになろう。
しかし余の印象では、余が命じてエカテリーナが嫁ぐのでは、玄竜はかえって不快に思うのではないか。心が自分にない女を側に置くつもりはないと、そう言ったのであろう。
なれば、エカテリーナの心が竜へ向いたなら、それでよし。向かぬなら、無理を強いはせぬ。エカテリーナの心次第、それでよい。
……年端もゆかぬ女子一人に軍備の責を担わせるなど、皇国の名折れというものよ。皇国は、余の軍勢が守る。そうあるべきと、余は考える』
「そのように仰せくださいましたの……!」
粋!
いや、下手なことして怒らせたら藪蛇、っていう判断であって、慎重でまともな考え方なんだけど。軍備を不確定要素である竜に頼るなんて、為政者として避けるべきってことなんだろうけど。
そして魔竜王様は確かに、陛下からの命令なんでーって私がのこのこ顔を出しても、それなら帰れって言いそう。おい、ってドラゴンつっこみいただけるかもしれない。わりと正統派なつっこみで。
アホな君主だったら同じ状況で、魔竜王様を味方にするための人身御供になれ!竜に隣国を次々に征服させろ!とか言うかも。そして魔竜王様が怒って皇国滅亡……ひええ。陛下が賢帝で、ほんと良かった。
それにしても、言い方がかっこいいよね!
皇国の名折れというもの……くうっ、うちの陛下がかっこいい。私、皇国の子でよかった!
「わたくし、皇帝陛下への忠誠を新たにいたしましたわ。なんとご寛大なお言葉、そして的確なご判断でしょう」
「ああ、同感だ。あらためてユールノヴァは、皇室の最も忠実な臣下でありたいと思う」
ネオンブルーの目を細めて、アレクセイは微笑む。
……まさか陛下のご判断によっては、ユールノヴァごと反旗を翻すつもりだったなんてないですよね。いくらシスコンお兄様でも、そこまでは。
ないと言い切れないから怖いんだよね……。
「ところで、その」
アレクセイが小さく咳払いする。
「玄竜だが……お前はどう思っている?先日、目にしたところでは、確かに見目よい姿をしていたが……」
「あら、お兄様のほうが素敵ですわ。お兄様は一番素敵な殿方でいらっしゃいますわ」
一点の迷いもなく、エカテリーナは答えた。いくら魔竜王が絶世の美形でも、ブラコンたるもの、他に答えがあるだろうか。
「そ、そうか」
アレクセイはあからさまに安堵した。
「お前はあいかわらず、こういう点では子供だな。嫁ぎたい相手が出来たら言いなさい。竜のことも他のことも気にしなくていい、お前の望みはすべて叶えよう」
「はい、ありがとう存じます。お兄様の仰せの通りにいたしますわ」
そんな日たぶん来ませんけどね、と気楽に答えたエカテリーナであった。




