挿入話〜皇城への帰還〜
快速船の船着場は、皇城に近い。エカテリーナたちと別れてすぐ、ミハイルは自宅に帰城した。
皇都の中心にそびえる皇城は、おとぎ話のお城のように美しい。かつては無骨な軍事要塞であったが、皇国が安定し平穏な時代となったのち今の姿へと建て替えられた、という経緯はユールノヴァ城と同じでありつつ、建築様式は大きく異なる。いくつもの尖塔を備え、白亜の壁に青い屋根が映える皇城は、優美な鳥を思わせた。
「お帰りなさいませ、殿下」
「ただいま」
うやうやしく頭を下げて出迎えたのは主にミハイル付きの使用人たちだったが、その中に父の近習が混じっていた。にこやかに言う。
「殿下、両陛下がお待ちです。無事なお顔を見て、旅のお話を聞きたいと仰せです」
「ああ、わかった」
皇城は、皇室の居住区域と、公務のための行政機能区域に分かれている。両親が待っていると伝えられた場所は、行政機能区域の方にあった。二人とも、忙しい公務の合間をぬって時間を捻出してくれたことがわかる。そのことは嬉しい。
しかしおそらくは両親共に、ユールノヴァでの「進展」に野次馬的な興味を持っているであろうことも予想できて、ミハイルはいささか憂鬱だった。プライベートが無いに等しい、皇子という身分に生まれついた彼であっても、両親に恋路を詮索されるのはさすがにアレである。
しかし、今回のユールノヴァ行きをお膳立てしてくれたのは父だ。
エカテリーナへの気持ちを、両親に話したりはしていなかったのに。お見通しだったのはちょっとショックだった。けれど、相手が相手だ。
父は皇帝。何かを隠せる相手ではない。
――いつか、自分もそう、なれるだろうか。
「お帰り」
小さめの談話室で、両親は並んで座っていた。
「ただいま戻りました」
挨拶すると、向かい合う椅子を勧められる。息子といえども皇帝たる父に対しては臣下、勝手に座るような真似は許されないのだった。
「元気そうで何よりだわ。ユールノヴァはどうだった?」
皇后マグダレーナが言う。元々表情豊かな彼女は、少し久しぶりの息子の顔に、晴れやかな笑顔だ。
「楽しい旅でした。アレクセイは順調にユールノヴァを掌握しているようです。それに、身分の上下を問わず、皇室への敬愛の強さを感じました。あそこの人々は、真面目で質実な気質ですね」
「それは重畳」
皇帝コンスタンティンが、重々しくうなずいた。
「魔獣が多い土地柄だけあって、人々はある意味で魔獣に慣れ親しんでいます。催してくれた狩猟大会では、人々は魔獣であろうと普通の獣と変わらないような扱いで、勢子を務めた近隣の村人たちさえ手慣れた様子でした。ユールノヴァ騎士団が精強と名高いのは、そういう土地に住む人々から実力ある者を身分を問わず採用していればこそですね」
旅の土産話というより視察の報告のようだが、やがて為政者となるべき者として、小さな頃からこうした点に目を向けるよう教えられてきたので仕方がない。
ユールグラン皇国は、建国四兄弟が周辺の小国を統合して打ち立てた国だ。
国内の貴族たちの祖先には、三大公爵家を始めとする大帝の同族、建国以前からの家臣たち、四兄弟に征服され恭順した土着の有力者など、さまざまな者がいた。かつてはそれらが権力闘争を繰り返し、内乱に至った時代もあったのだ。
皇国が安定して久しいが、それは代々の皇帝や国の中枢部が、国内のパワーバランス調整などに心を砕いてきたからこそ。
ミハイルは、それを受け継がねばならない。
「父上からの頼まれ事は、つつがなく済ませたか」
コンスタンティンの言葉に、ミハイルはうなずいた。
「先帝陛下がお望みの通り、セルゲイ公の墓前に花を贈りました。……アレクセイとエカテリーナが、母君の命日が近いそうで二人で霊廟の中に入って墓参するというので、託して」
皇室もそうだが、三大公爵家の霊廟は巨大な地下墳墓になっている。地下深くまで掘られた迷宮じみた墓はいくつもの小部屋に分かれており、代々の当主がその家族と棺を並べて眠りについているのだ。アレクセイとエカテリーナの母アナスタシアは、生前は離れて暮らした夫アレクサンドルと、共に永遠を過ごしているのだった。
二人の祖父セルゲイも、ユールノヴァ家の霊廟に眠っている。
しかしセルゲイの妻アレクサンドラは、アレクセイの願いにより皇室の霊廟に埋葬されていた。生前は多くの人に慕われたセルゲイだが、今は独りだ。彼が仕えた先帝ヴァレンティンは、兄と慕ったセルゲイの墓前に、せめて花を供えて欲しいとミハイルに頼んだのだった。
霊廟に足を踏み入れることができるのは、その家の血を継ぐ者と、墓守のみ。ミハイルは墓参に向かう兄妹に花を託して見送った。黒衣に身を包み小さなヴェールをつけたエカテリーナは、少し悲しげで、そしてことのほか美しかった。
と、ミハイルは不意ににっこり笑う。
「そうそう、母上にお土産があるんです」
「まあ、何かしら」
「まだ整えていない状態なので、お見苦しいですが……ルカ」
「はい殿下」
背後へ声をかけると、糸目の青年が大きな包みを抱えて進み出た。親子の間にある小卓の上で、包みを開く。
「まあ!」
「ほう……」
現れたのはもちろん、大角牛の金角。
その大きさに、マグダレーナは感嘆し、コンスタンティンさえ声を上げた。
「ユールノヴァで獲った魔獣の角です。普通は角の色は白だそうですが、ごく稀にこういう色になる個体がいて……運良く巡り会えました」
「なんて大きな角かしら、その魔獣もさぞ大きかったのでしょう」
大角牛の大きさをミハイルが語ると、マグダレーナの目がうるんだ。
「立派になって……」
乗馬が得意なマグダレーナは、狩猟もたしなむ。その大きさの獲物を狩る危険や労力が、きちんと測れるのだ。
皇后とて、一人の母親。息子が生まれた時の、小さな赤子だった時の姿は、今も脳裏に焼き付いている。その子が、これほどの獲物を仕留めるほど強くたくましく育ったと思うと、感慨深くて当然だろう。
が、マグダレーナはすぐ、悪戯っぽい笑顔になった。
「でも、わたくしに?他に贈りたい相手がいるのではなくて?」
「いいえ?僕は母上に、日頃の感謝を込めてお贈りしたいと。それしか思いませんでした」
そらとぼけて、ミハイルは言う。
ほんの少し笑っている息子の顔をじっと見て、おおかた察したマグダレーナはコロコロと笑い出した。
「ほほほ、そう!では、喜んで受けとるわね。どこへどう飾るのが良いかしら、楽しい悩み事ができたわ」
もう行かなければ、と皇后は立ち上がる。
「あの娘は本当に良い子ね。いろいろ楽しみがあって嬉しいこと」
その言葉には、エカテリーナが考案したガラスペンのことが含まれているのだろう。アレクセイが皇帝への献上品としたそれは、その献上の場で皇帝から皇后への贈り物として注文されている。それはもちろん皇后には秘密とされているが、マグダレーナの兄ユールセイン公爵も注文して、出来上がりを心待ちにしているほどだから、まあバレバレなのだ。
「これから、各国の大使夫人とお茶会なのよ。エカテリーナは他国の文化や貿易に興味があるようだったし、そのうち声をかけたいわ。楽しんでくれるかしらね」
「きっと大喜びしますよ。領地でも、あちらの商会と手を組んだり、領内の少数民族の文化を守ろうとしたり、いろいろやっていましたから」
「あら。昔のわたくしを思い出すわ」
ふふ、と笑ったマグダレーナは、頑張りなさいと言い置いて去っていった。
「で、どうであった」
男同士になったところで父に言われて、来た、とミハイルは思う。
「良き友人にはなれたかと」
「それは良かったな」
にんまりと笑われた。
それを見て妙に力が抜けて、ミハイルはふう、とため息をつく。
「ユールノヴァで、恋敵に会いました」
「……ほう」
コンスタンティンは、続く言葉を待つ様子だ。ミハイルは背筋を伸ばした。
「近く、アレクセイが父上に奏上を願い出るでしょう。いや、母上への贈り物をお持ちする時に、お伝えするつもりかもしれません。その時、僕も同席します」
「……」
眉根を寄せるコンスタンティン。さすがに、恋敵とアレクセイの奏上との結びつきが、読めずにいる。
「行幸でノヴァを訪れた時、ノヴァに棲む巨竜の話が出たことを、覚えておいでですか」
「ふむ、確かにあったな――」
顎を撫でて、はっとコンスタンティンは目を見開いた。その後の会話を、思い出したのかもしれない。マグダレーナがセインの竜について話し、人の姿に変わると絶世の美女だと語ったことを。
ならば、ノヴァの竜は。
コンスタンティンは息子を見据える。ミハイルはただ、見返した。
「ふ」
コンスタンティンの口元に、笑みが浮かぶ。と思うや、皇帝は身をのけぞらせて笑い出した。
「そなたの母もとんだ相手に惚れられていたが……どうやら、エカテリーナは超えてきたようだ」
「母上は、どんな……?」
聞くのは怖いが聞き捨てならず、ミハイルは恐る恐る尋ねる。
「余の恋敵は、『神々の山嶺』の向こうから来た大国の王子であった」
あっさり答えられて、返事に窮する。
「向こうへ連れて行くと言われて、決闘しかけた。当のマグダレーナが怒って、自分が相手になるから二人まとめてかかってこい、と剣を抜かれてなし崩しになったがな」
「……さすが母上です」
すごい話だが、想像がつくから母はすごいとも思う。
「こういうものは、最中は苦しいが、過ぎてみれば良い思い出でな」
息子を見て、コンスタンティンは人の悪い笑顔になった。
「まあ頑張れ」




