飛翔と推参
単刀直入な問いに、ヴラドフォーレンの視線が一瞬、鋭くなる。
が、すぐににやりと笑った。
「関係か。どうやら――お前と同じようなもののようだ」
両者の視線が同時に横へ流れ、エカテリーナへ注がれた。
エカテリーナはまだコアラ状態でアレクセイにべったり貼り付いたまま、紫がかった青い目をきょとんと見開いている。
それを見てヴラドフォーレンは笑い、ミハイルはもう一度ため息をついた。
……えっと、なんなんでしょうか。
もしもし、そこのお二人ー。何か妙に解り合ってません?初対面ですよね?
魔竜王様との関係が、皇子と同じようなものってどういうことでしょうか。
私がなんの話かわからないのに、なんで君がわかってる風なんだよ皇子!くそう、なんか腹立つ!
わからない本人が悪いので、これは逆ギレである。
「答えてくれてありがとう。よくわかった」
ミハイルが言うと、ヴラドフォーレンはふっと笑った。
「お前もなかなか面白い。昔、アストラ帝国の皇帝と会ったことがあるが、奴隷に担がせた輿に乗った、太った傲慢な男だった。お前は、だいぶ違うようだ」
えっ、アストラ帝国の皇帝?
誰?何代目の何帝ですか?
あ、いかん。つい、歴女の血がたぎってしまった。
それにしても皇子、魔竜王様を相手に気圧されてないね……言葉遣いも、丁寧だけど対等……。
人間バージョンとはいえ、尋常な存在ではないことは、ありありと感じられるのに。十六歳ですごいな、さすが皇位継承者。
「エカテリーナ」
「はい!」
思いがけずヴラドフォーレンに声をかけられて、つい元気よく返事をしてしまったエカテリーナである。
「兄と一緒にいて、幸せか」
そう訊かれて、思わずまばたく。
しかし、すぐにうなずいた。
「はい、わたくしはとても幸せですわ」
お兄様と一緒にいられて、私は本当に幸せですよ。
全面的に絶対的に愛してもらえて、精一杯の愛情を返すと受け取ってくれて喜んでくれて。
過労死するまで頑張っても何も報われなかった前世の記憶があるから、今の幸せがよくわかる。社畜だった前世では私の精一杯は、何の価値もないように扱われていたもんでした。それを思い出すと、今の人生はなんて幸せなんだろうって思う。
それに、危険かもしれないのに駆けつけてくれる、すごくいい友達もいて。守ってくれるミナとイヴァンもいる。
破滅フラグとか皇国滅亡とか、いろいろあったりはしますけど。
前世が庶民なのに公爵家のご令嬢とか、腰が引けてしょうがなかったりもしますけど。
でも、考えれば考えるほど、私は幸せだなあと思いますよ。
「そうか」
ヴラドフォーレンは微笑んだ。
「ならば、当分はそうしているがいい。女は幸福な方が美しい」
うっ……。
な、なんか「うっ」てなった!胸にきた!
絶世の美形の笑顔って危険。そうだよ、この方は危険物だったー。
でもお兄様がいてくれるから、安全。
などとエカテリーナは思ったが。
微笑んだままヴラドフォーレンはわずかに目を細め、ささやいた。
「だがいつまでもそのままにしておくとは……思うな」
ひええええええ。
ひしっと兄にしがみついた腕にいっそう力を込めて、エカテリーナは固まる。
声が!ささやきが!
危険!なんか知らんけど危険ー!
そんなエカテリーナを抱きしめて、アレクセイはネオンブルーの瞳でヴラドフォーレンを睨んだ。
「我が妹を怯えさせるのは許さないと言ったはずだ」
「お前たち兄妹は、見目は似ていないが中身は似たところがあるようだな」
平然と言われた言葉に、アレクセイはけげんな顔になった。
この兄妹、恋愛関係にやたらと疎いところは確かに似ている。
「俺を恐れないのは蛮勇というものだ。だが、エカテリーナの守り手ならば、それくらいが望ましい」
傲然と言い放つと、ヴラドフォーレンはすっと退き、窓際に立った。
「騒がせてすまなかったな。俺はこれで去る」
「あ、あの!」
声を上げたのはフローラだった。
「エカテリーナ様のお知り合いとは存じ上げず……失礼をして申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げる。
ヴラドフォーレンは、初めて戸惑ったような顔をした。
「聖女たちとは対立するのが常だった。頭を下げられると、妙な気分だ。……俺が人間の常識に反した訪ね方をしたのが悪いのだろう、お前が気に病む必要はない」
そして彼はあらためて、室内の人間たちを見渡した。エカテリーナとアレクセイ兄妹、そしてフローラ、ミハイル、さらにミナ、イヴァン、ルカ。
「思いのほか、楽しい夜だった」
そう言い残して、ヴラドフォーレンは黒い猛禽の姿に変じ、窓の外へ飛び去っていった。
猛禽が消えた窓には、夜の空。雲の切れ目から、月の光がのぞいている。
その月の光が――消えた。
雲も光もない、ただ闇だけが満ちる。
いや、闇ではなく、それは影であった。
上空から圧し寄せる魔力にはっと息を呑み、魔力を持つ者は皆、窓に駆け寄る。
大きな窓から見上げても、それとはわからなかった。あまりに巨大で。けれどゆるゆるとその影は、天をよぎってゆく。
魔竜王ヴラドフォーレンが真の姿を顕して、巨大な漆黒の翼を広げて飛翔していた。
月の光に輪郭だけが浮かぶその巨きさ、圧倒的な強大さに、アレクセイ、ミハイル、フローラは言葉を失っている。エカテリーナでさえ、人が住む街と比較できる状況で、あらためてヴラドフォーレンの威容に圧倒される思いだ。
そしてこれもあらためて、竜バージョンのかっこよさはヤバい!などと思っていたりする。
ミハイルが、窓枠に置いた手をぐっと握った。
「……アレクセイ。僕たちがユールノヴァに着いた日、エカテリーナの旅について父上に奏上したいことがあると言っていたね」
うわあ。
内心で、エカテリーナはのけぞりそうになっている。
その旅で魔竜王様と遭遇したことに、気付いたんだ。今更ながら、本当に頭いいよね。
「君のことだ。その内容を僕に話せと言っても、応じないだろう。――父上に奏上する時には、僕も同席する」
「陛下のお許しがありましたら」
アレクセイの答えは静かだ。
「許しはいただく」
「御意」
短くアレクセイが答えた。
と、ミナがすすっと動いて、エカテリーナとフローラの肩にショールをかける。エカテリーナがアレクセイに駆け寄った時に落ちて、忘れられていたものだ。
それで初めて、少女たちが夜着、それも夏用の薄手で衿ぐりの大きいものしか身にまとっていないことに気付いたようで、ミハイルがいきなり真っ赤になって目をそらした。
その時。
「お嬢様!」
聞き覚えのある声がして、ゼイゼイと息を切らせた老人が、開け放たれた部屋の扉の前に現れた。
「老兵、推参いたしました。ご無事であられましょうか!」
この屋敷の主人、小領主である。年代物の剣と盾を手にしているが、重そうだ。
彼は、神経痛をわずらっているという話だった。フローラの魔力を感知して飛び起きたものの、階段を上がるのに時間がかかったと思われる。
「あなた、お気をつけて……」
小領主の後ろでは、小領主の老妻が怯えながらも扉の陰から角灯を掲げて、夫の足元を照らしていた。
さらに、ようやくと言ってはなんだが、騎士たちが駆けつけてくる足音が聞こえてくる。これだけ出遅れたのは、おそらくヴラドフォーレンが護衛を遠ざけるようななんらかの干渉をしていたのであろう。
「……」
無言のうちに、アレクセイとミハイルが視線を交わした。
そして共に進み出て、さりげなく少女たちへの人々の視線をさえぎる立ち位置をとる。
「我が妹のために駆けつけてくれたこと、感謝する」
「何事もなかったことを、確認したところだよ」
そして見事な連携で、「エカテリーナの部屋の外に現れた魔鳥に気付いたフローラが、聖の魔力で撃退した。魔鳥は迷い込んだだけでたいした害のあるものではなかったようだ」という穏便な作り話を創作して、エカテリーナとフローラの名誉に傷が付かず、忠義な小領主の責任問題にもならない形で、その場を収めたのだった。