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挿入話〜皇子と従僕〜

狩猟大会の後のガーデンパーティーは、空がまだ明るさを残した時刻で終わりを迎えた。


とろけるように美味であった大角牛など、豊富な猟果で腹を満たした招待客たちは、満足のうちに去ってゆく。エカテリーナとアレクセイ、そしてミハイルとフローラはこの別邸にもう一泊することになっていて、今日の疲れを癒すべく早々に部屋に引き上げた。



割り当てられた部屋に入ると、ミハイルは大きく息をついた。

そして付き従ってきた従僕ルカを振り返り、微笑する。


「先ほどはご苦労だった」


ルカは主人に頭を下げた。


「あまり時間を作れなくて、申し訳ありません。……さすがユールノヴァ、とんでもないのを飼ってますよ。まともに当たったら、俺なんか秒でのされるでしょうね」


糸のような目をさらに細めて、ルカはにっと笑う。細身も相まって、その印象はいかにも狐だ。


皇国には、幻惑の力を持ち人間に変化して人と子を成す、妖狐が存在する。


「まともに当たるのはお前の流儀ではないだろう。今日のところは、あれで充分だ」

「進展がおありでしたか」


興味津々で言われて、ミハイルはちょっと嫌そうな顔をした。


「友達だとは認識された」

「……ささやかですね」

「毛虫から人間になったんだ、大きな進歩だ」


ルカはため息をつく。


「殿下をお慕いしているご令嬢は、山ほどいらっしゃるというのに」

「仕方がないだろう。僕は、彼女が好きなんだ」


言い返して、ミハイルはふと口をつぐんだ。ややあって、そっと言い直す。


「僕は、エカテリーナが好きなんだ」


そして、すたすたベッドへ歩いて行くと、仰向けにどさりと倒れ込んで、ぐいぐいと顔をこすった。


「本当に……こんなに制御が利かなくなるものなんだな。ああもう、顔色ひとつ思い通りにならない」

「そんな殿下を拝見する日が来ようとは」


揶揄うような言葉だが、ルカの声音は優しい。


「美しいご令嬢たちと接しても、平等に優しくされるばかりでしたのに。エカテリーナ様はそんなに特別なお方ですか」

「……」


ルカの言葉に、ミハイルは考え込んだ。が、すぐに苦笑する。


「言葉に形はないけど、心と比べたらずっと無骨な代物だと思わないか。彼女のどこを好きなのか、自分に説明しようと思って考えたことがある。だけど、優しいとか、賢いとか、きれいだとか……言葉にしてしまうと、彼女をありきたりにするだけだった。感情を説明しようとしても、言葉を通すと陳腐にしかならないな。

だけど、エカテリーナは」


言葉を切って、あがくように考える。けれど、結局、こんな言葉にしかならなかった。


「不思議で……可愛い子なんだ」




エカテリーナは、大人っぽい美人だ。けれど、中身はかなり可愛いと思う。


最初に見かけたのは、学園の入学式。アレクセイの在校生挨拶の後、新入生代表として挨拶するために、舞台袖に控えていた時だった。

最前列に座る、藍色の髪の少女。それで、ユールノヴァ公爵令嬢だろうと見当がついた。その時にはいかにも気品に満ちて大人びた、ちょっときつそうな感じに見えた。

けれどアレクセイが挨拶を終えた後、兄と目が合ったのだろう、ぱっと笑顔になって手を振った。その笑顔が、とりすましたところが少しもない、弾けるような笑みだった。

可愛いところもあるんだな、と思った。


それだけで好きになったわけではない。ただ、それからも彼女は、会うたびに可愛い面と、不思議な面を見せて。その度にだんだんと、好きになっていった気がする。


エカテリーナは、一見、公爵令嬢として完璧に見える。上品な言葉遣い、ちょっとした仕草にも気品がある。


それなのに、元平民の男爵令嬢フローラと友達になり、彼女に習って料理をして、アレクセイにお昼を届けにいく。

そして、高位貴族ならば当然の自衛を知らない。


初めて言葉を交わした、昼休みでのことだ。毛虫を見たようにぎょっとされた時。

アレクセイのために作ったお昼を分けてくれるというから、フローラと親しくする姿を見せて彼女の学園内での立場を確かにするために、もらうことにした。

その後、エカテリーナからも一つもらった。皇族としての自衛であり、たしなみとして。何かを与えるにせよ受け取るにせよ、誰かを特別視しているわけではないことを示すために、複数の相手は平等に扱わなければならない。特に未婚の皇族が、異性を相手にする場合には。


あの時のエカテリーナの反応は、高位貴族のものではなかった。領地の臣下には同じ配慮が必要なはずの彼女が、少しも理解せずただ空腹なのだと思っている様子で、お姉さんぶった笑顔でバスケットを差し出してきた。

ちょっと小癪で……あれも、可愛かった。


そして、共に魔獣を撃退した時。


『一人で立ち向かうなんて無謀だけど、でも僕は、君のしたことはとても立派だったと思う』


そう言ったら、エカテリーナの目に涙が浮かんだ。

その前には、フローラと一緒にへたり込み、アレクセイに飛びついて大泣きして。

ついさっきまで、強力な魔力を駆使して、魔獣と的確に闘っていたというのに。内心は怖くてたまらなかったのか。それなのに、逃げずにとどまり、自分とアレクセイと共闘してくれたのか。


思わず手を取ってしまうほど、可愛かった。


エカテリーナは学園でも人気だ。男子の間であの魅惑の体型が話題になることもしばしばで、その度に会話に割り込んで、何の話?と微笑むことにしている。皇子の出現で、すぐに話は終わる。終わらせる。


そこでうっかり水の精ウンディーネのようだった彼女の姿が浮かんで、あわててミハイルは頭から振り払った。本当に真っ白だった……だから、考えるな。


予想はしていたけれど、領地でも男性が群がっているようだ。アレクセイが蹴散らしているようだけれど。本人は自分の欠落と魅力に少しも気付いていないのが、心配でならない。


今日交わした会話でも、浴室の水の精ウンディーネ像のことで、エカテリーナが公爵邸で育っていないことがはっきりした。そうさせたのが、ミハイルの大伯母でありエカテリーナの祖母である、アレクサンドラであることも。


会話での情報戦に、彼女は全く不慣れだ。公爵邸で育っていないだけでなく、公爵令嬢としてふさわしい社交ができる環境に置かれていなかったとしか思えない。

前々から、エカテリーナと彼女の母は、アレクサンドラに虐げられていると、皇都の社交界でもっぱらの噂だった。それは事実であったらしい。


はっきり言えば、ミハイルはアレクサンドラが嫌いだった。会うたびに母マグダレーナ皇后を貶し、アレクセイにも冷たく接していた彼女。好きになれようはずがない。公爵家へ降嫁した身でありながら皇族としての特権を振りかざし、それでいて義務は当然のように拒絶する。皇室の人間として、こうあってはならないという反面教師そのものだった。


それでもアレクサンドラには、存在価値があったのだ。先帝陛下が全幅の信頼を置いていたセルゲイ公へ嫁いだことで、セルゲイ公は皇帝の義兄、準皇族と扱われる立場になっていた。祖父はくだけた場ではセルゲイ公のことを『我が義兄あにセルゲイ』と呼んでいたものだ。それが、セルゲイ公の権威を高め、革新的な政策を押し進めることを可能にしていた。

革新を嫌うアレクサンドラとの夫婦仲は、最悪だったようだけれど。


そんな環境に育ちながら、エカテリーナは明るく優しい。欠落している部分もありつつ、聡明さには目を見張る。試験では学年一位をとり、行幸では貿易関連の会話で母がすっかり気に入るような理解力を示していた。さらに、あのガラスペン。すごい発想力を持っている。



試験結果の発表の場で、エカテリーナはこう言った。


『ミハイル様は、重いお立場にしっかりと向き合っておられて、ご立派ですわ』


後になればなるほど、あの言葉は深く、胸に沁み入ってくる。


皇帝を継ぐ者という、立場の重み。それを理解する者は少ない。ましてや、同世代では。

エカテリーナは公爵令嬢でありながら、ふさわしい境遇で育たなかった。それなのに、いつかミハイルが肩に負うであろう重荷がいかなるものかを、他の令嬢たちの誰よりも、想像できているような気がしたのだ。


今日の会話で、それは確信になった。

孤独、という言葉に、胸を痛める表情になったエカテリーナ。皇帝の孤独について、思いを巡らせているようだった。とても深く。

気楽にわかったようなことを言うのではなく、精一杯に考えて、言える言葉をくれた。優しさを込めて。


――いつか玉座に昇る時……そんな女性が傍にいてくれたら。


彼女はなぜ、それができるのだろう。それがなにより、不思議だった。



皇帝皇后たる両親も、かなり彼女を気に入っている。皇室からユールノヴァ公爵家へ、正式に婚約を打診してもらうことは、容易にできるだろう。

けれど、そういう流れではなく。エカテリーナに自分を、ミハイル・ユールグランを、好きになって欲しかった。

普通なら、皇位継承者としてはある意味贅沢な願いだろう。けれど、両親は互いに好き合って結婚した。父が母を学園での三年間、ずっと追いかけたらしい。おかげで応援してくれる。


ミハイルの配偶者が誰になるかに、人々は激しい関心を向ける。ミハイルがユールノヴァを訪ねただけで、エカテリーナが最有力だという噂になっているようだ。それは、仕方がない。

皇室として彼女に関心を持っていることを示さなければ、彼女の身に危険が及ぶ恐れがある。エカテリーナはミハイルの婚約者候補として、特別に扱われるだろう。それが、彼女の守りになる。


……けれどもエカテリーナは、全然わかっていないような気がする。あれほど聡明でありながら、そのあたりも欠落しているところだ。



はっきり想いを伝えたい、と思うこともある。けれどそうしたら、彼女はあわてて逃げてしまうような予感がするのだ。それはもう、兎みたいに。そうなったらアレクセイが嬉々として彼女を懐に入れて、決して渡してはくれないだろう。

そもそもアレクセイは、エカテリーナを嫁に出す気がないように見えるくらいだし。


アレクセイとあんなにべったりだから、エカテリーナに好きな相手はいないに違いない。なぜ最初、あんなにぎょっとされたのかは謎だけど。彼女は僕を嫌いではないはずだから。

だから、ゆっくり近付いて――そっと、捕まえよう。


アレクセイとは、決闘しないとならないかな。

いつか位を継いだ時、その分、彼を使い倒してやるつもりだ。

お祖父様の時のセルゲイ公のように、重臣として国政を担ってもらい、一緒に皇国を動かしていこう。皇帝、皇后、そのすぐ側に、彼を置く。位人臣を極め権力を握っても、私欲の薄い彼は悪用などしないと信じられる。ただ、エカテリーナを守るためなら、なんでもやってのけるだろうけれど。

それこそ、望むところ。エカテリーナの欠落を、変えてしまうつもりはない。むしろ、彼女は今のままで。母マグダレーナだって、皇后らしからぬ言動を批判されても変わらず、自分らしく皇国を盛り立ててきたのだ。


皇帝は孤独だ。けれど、三人で国を支え、動かしていける未来があるなら……。

アレクセイと僕はずっと、エカテリーナを取り合っていくことになるんだろうな。




「殿下、お召替えを」

「ああ」


従僕の声にもの思いから醒めて、ミハイルは身を起こした。

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― 新着の感想 ―
[一言] エカテリーナは破滅エンドが怖いのと、祖母と父に纏わるものが大嫌いなの以外では、皇家もミハイルも嫌いじゃないもんね。 エカテリーナが抱えている事情を正確に理解できる人が中立の女性として現れた…
[一言] 先日から読み始めました。 まだまだ最新話まで届かないなか、感想を書かずにはいられませんでした。 よく言った。皇子。いいぞ。いいぞ。青春だ。 しかし私自身は兄激推しなので、神に嫁いで皇子泣いて…
[一言] 『アレクセイと僕はずっと、エカテリーナを取り合っていくことになるんだろうな。』 そうね♪(*゜∀゜)*。_。)*゜∀゜)*。そぅ言ぅのも悪くナイ♪ ただしこの場合、ココにフローラも参戦…
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