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挿入話〜女たちの帰路〜

ミハイル皇子殿下歓迎の宴は、つつがなく終わった。

招待客の多くがミハイルと言葉を交わしたり、目を合わせて微笑みかけてもらったり、なんらかの思い出を得ることができ、高揚した気分で帰路についている。この夜のことは、彼らにとって、生涯の思い出になるだろう。


そんな帰路をたどる馬車のひとつで、こんな会話が交わされていた。




「海より深く反省なさい」


向かいの席でかしこまる弟にビシッと扇を向けて、姉は鋼のような声音で言う。

ちなみに隣の席には彼女の夫がいるのだが、空気を読んで空気と化していた。


「話しかけたからって、なんで反省しないとならないのさ……」


ふてくされたように弟は言う。姉は怖い存在だが、同時に甘えの対象でもある。単に彼が、懲りない性格なのかもしれないが。


「あわよくばエカテリーナお嬢様に取りつがせて、ダンスにお誘いしようという下心が見え見えだったからです。この愚か者。ファーストダンスを見ていれば、ミハイル殿下がお嬢様に特別な関心をお持ちなことくらい、解ったでしょう」

「だから!未来の皇后陛下と一曲踊ったっていう、ちょっとした思い出が欲しかったんだよ。それくらい、いいじゃないか」

「そのちょっとした思い出が、未来の皇帝陛下の不興を買うリスクを伴うことを理解なさい!その程度の判断もできないから、愚か者だと言っているのです。だいたい」


姉は扇を広げて口元を隠し、思いきり蔑んだ目で弟を見た。


「ちょっとした思い出に一曲?わざと当たったりして『感触』を楽しみたいとか思っていることくらい、お見通しです。はっきり言えば、それしか考えていないでしょう。それが見て取れるような者がお嬢様と踊ってごらんなさい、公爵閣下がその場でお手討ちになさるに違いなくてよ!」

「そ、そんなこと考えてない!……いや少しは、けどそれは普通というか、男としての美人への称賛というか……」


弟の目が泳いで、義兄に助けを求める視線を送るが、空気の読める義兄は向こう側が透けて見えそうなほどに空気である。


「だからあなたはモテないのです」


スパーーーーッ!

一刀両断ふたたび。


「ノヴァラス子爵家の跡取りともあろうものが、学園でさんざん目移りしたあげくに婚約できず、領地でも連敗。ついには、公爵家の執事を務めるひいお祖父様の最後のご奉公の場で失態を演じるなど、許されることではないのですよ」


そう、この姉弟は、ユールノヴァ公爵家の老執事ノヴァラスのひ孫たちであった。


「ひいお祖父様の最後のご奉公……って、あの人は毎回それ言ってるし」

「まあ一部では『不死鳥の風見鶏』と呼ばれているわね」


実は老執事ノヴァラス、その時々の風向きを読んで忠誠心の向き先を変える、風見鶏として有名だった。それだから、苛烈なアレクサンドラにも解雇されることなく、執事の座を守り続けて来られたのだが。あの人、死なないんじゃない?という冗談が囁かれるほどの生命力。不死鳥とはそういうものだっただろうか。


「でもアレクセイ閣下が盤石の体制を築かれたことだし、そろそろでしょう。ノヴァラス家としては、本家とのつながりを失わないために、お祖父様かお父様に、公爵家へ食い込んでいただかなくてはならないのよ。そんな時に公爵閣下の不興を買うような真似をするなら、あなたなど廃嫡した方がマシです」

「うう……」

「それにねえ」


ほぅ、と姉は吐息をつく。


「あの素敵なファーストダンス……アレクサンドラ様の頃には、考えられなかったわ。時代は変わったのだと実感して、涙が出そうになったものよ。あの頃は、ひいお祖父様の風見鶏に守られていたわたくしたちでさえ、ちょっと目につくドレスを着ようものならネチネチ言われ睨まれ……」


ギリリと扇を握りしめた姉だったが、我に返ってこほんと咳払いした。


「あのファーストダンスは、お嬢様のご発案。新たなユールノヴァの女主人は、社交界に開放的な風を吹かせてくださることでしょう。今日も、皆様に楽しく過ごしていただきたいとおっしゃって、いろいろ気配りしてくださったの。優しい方よ。それに皇子殿下が想うお方、未来の皇后陛下……!ユールノヴァの栄光のため、わたくしたち分家の女性は、全力でお嬢様をお支えします」


ぐっ、と姉は扇を握りしめる。


「今日お話しした限りでは、お嬢様はとても聡明な方のようだけど、男女のことにはとっても疎くていらっしゃるようだったわ。見た目は大人びていても、あの方は純粋培養の箱入り娘そのもの。あんな純真無垢なお姫様に、あなたのような低劣な俗物が汚れた目を向けるなど許されません。よおく覚えていらっしゃい」

「ひどすぎる評価!」


弟はキャンキャンと吠えたが、姉のひと睨みで沈黙した。




「それでは、若い夫人たちもお嬢様をお支えすることで一致したのね」

「ええ、お母様」


母アデリーナに答えるマルガリータは、笑みが抑えきれない様子だ。

父ノヴァクと兄アンドレイ、そしてマルガリータの夫ら男性陣は、別の馬車で密談しつつ帰路についている。ちなみにマルガリータの夫はアンドレイの友人で、その能力にノヴァクも目をかけていた人物。アレクセイの爵位継承後、領都警護隊の総隊長を拝命している。アレクセイは反対勢力を粛清するにあたって、その実行部隊である騎士団と領都警護隊を完全に掌握していたのだ。


「皆様、アレクサンドラ様の時代と大きく変わることを感じて、奮い立っておられました。それにお嬢様のセンスは素敵ですし。いつもドレスのどこかに取り入れておられる『天上の青』、手が届かないと思っていたら、新発見の染料で従来よりはるかに安価なのですって。ぜひ試してみて欲しいとおっしゃったの、お母様もぜひ検討なさって」

「まあ!あれなら、年代を問わず身につけられるわね。わたくしもお友達にお薦めするわ」


近頃急増した「お友達」を思い浮かべたようで、アデリーナはにんまり笑う。


「それになんといっても、あのファーストダンスですわ。次代の皇帝陛下が、ユールノヴァの一員のように、郷土のダンスを踊ってくださった。それにまず感激しましたけど、皆様美しいご容姿で、ダンスもお見事。なにより、恋のダンスの中に、本物の恋が見え隠れしているなんて!劇場でお芝居を見るより、ずっとときめきますわ。

それなのに、お嬢様は本当にお気づきでないご様子ですわね。何度かさりげなく触れてみたのですけど、意味がお分かりでないようだったり、勘違いをなさったり。そして、兄君である公爵閣下をただただ慕っていらっしゃる」


ターンしてミハイルの手にリボンをからめた時には、なんという「巧者」だろうと感心したのだが。あれがなんの計算もなく、無邪気にしただけのようなのだから、かえって恐ろしいというか。

ふっと、マルガリータはため息をついた。


「率直に申し上げれば、お嬢様はアンバランスなお方と感じました。ご聡明で、驚くほど大人な面もありつつ、一面ではあまりにも子供でいらっしゃる。それにやはり、家同士の触れるべきでないことなど、社交の不文律はあまりご存知ありませんわね。あの不幸なご境遇からすれば当然ですけど……」


触れてはならないところに触れそうになって、マルガリータはあわてて口をつぐむ。


「そうね、わたくしもダンスをお教えする折に、できるだけお教えしたのだけど……。そうした不文律というものはあまりに多様で、系統立てて教えるのは難しいものね。実践で、その時その時で覚えていかなければ。男性と女性では違うから公爵閣下がお教えになるわけにも……それに閣下は、お嬢様のなさることはすべて良しとされるし」


今度はアデリーナが、苦笑しつつ口をつぐんだ。


「ですが、お嬢様はご聡明でお優しくて、ご自分の判断で周囲を納得させる行動をとることができる方ですわ。天性の魅力がおありです。そうそう、ゾーヤ様とお話しくださいましたのよ。わたくし、嬉しゅうございました」

「まあ。あなたはあの方と仲が良かったものね、今はあの頃とはずいぶん感じが変わられたけど」


ゾーヤは、大胆な衣装で宴に参加していた未亡人だ。


少女時代からのマルガリータの友人だが、厳格な家庭に育った彼女は、当時は成長するにつれ女性らしくなる体形を恥じるように、ぶかぶかの野暮ったい服を着ていつも猫背でうつむいていた。

ゾーヤの父親と兄は女性を下に見るタイプで、彼女を見れば嘲り罵っていて、虐待に近い扱いを受けていたようだ。そして、売られるように歳の離れた夫のもとへ嫁がされた。


幸い夫は若い妻に優しく、似合う服で着飾る楽しみを教えてくれ、息子が生まれた時には大いに喜んだ。結婚生活は短かったが、夫は莫大な財産が必ず息子と妻のものとなるよう、あらゆる手を尽くして逝った。


とたんにゾーヤの父親と兄が遺産目当てに乗り込んでこようとしたが、それを追い払ったのはゾーヤだ。挑発するような、煽情的な衣装を身につけるようになったのはこの時から。元来内気なゾーヤにとって、あの衣装は別人になって戦うための、戦装束。息子のために、生まれ変わる決意の現れだった。


父親も兄も、女性を馬鹿にしているようでいて、女好きでかつ、ある意味で女性を怖れる人間であることを、ゾーヤは無意識に感じ取っていたのかもしれない。女性としての魅力あふれる彼女を見てしどろもどろになる二人の姿は、彼女に大いなる自信を与えたのだった。


その後も、幼い息子の代理で当主の仕事をこなすゾーヤは、戦装束で戦っている。

父親と兄から絶縁されたが、二人はノヴァダインの取り巻きであり、先日悪事を暴かれて捕縛された。絶縁されていて、幸いでしかなかった。


ゾーヤから簡潔にこれまでのことを聞いたエカテリーナは、しみじみと言った。


『お子様のために、強くおなりになったのね。そういうお母様のお話は、胸に迫ってまいりますわ』


その言葉に、夫人たちははっとしたものだ。エカテリーナとアレクセイの母アナスタシア、悲劇の公爵夫人は、強くはなれなかったのだけれど……。


「お嬢様はゾーヤ様に、好意的な言葉をかけてくださいました。お上手だと思ったのは、その後に子育ての苦労などをお尋ねになって、周囲の夫人たちにも話を振っておられたことですわ。苦労話や自慢話で盛り上がって……夫人たちの間では孤立しがちなゾーヤ様は、話の輪の中で一緒に笑えて、喜んでいらっしゃいましたの。お若いお嬢様が、見事ななされようでしたわ」


前世アラサーの経験で、既婚の友人たちが一番盛り上がる話題を心得ていたおかげである。


「お嬢様をお支えすることは、アレクセイ閣下をお支えすること。わたくしたちは女性のやり方で、お父様やアンドレイと共に、閣下の体制を支えてゆきましょうね」

「はい、お母様」

読んでくださる皆様のおかげで、3巻の発売日が決まりました。ありがとうございます!

また、ご感想への返信に関するご連絡も、活動報告に記載いたしました。

ご覧いただければ幸いです。

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