リボンと猫
気が付くと、エカテリーナとフローラの周囲には、若い夫人だけでなく未婚の令嬢たちも集まってきて、女の園と化していた。
こんなに若い女性の分布が偏ってしまって、招待客に宴を楽しんでもらえるのだろうか?と女主人として心配になるエカテリーナ。
が、男性たちの一人が、女性たちの防衛網の外縁付近にいる令嬢に声をかけて舞踏フロアに連れ出すのを目撃して、なるほどと思った。令嬢たちの中には、エカテリーナやフローラと話したいというより、周囲をうろうろしている男性狙いでここにいる、ハンタータイプもいるようだ。目立つ囮のそばで獲物を待つ……チョウチンアンコウ型?
ま、獲物といっても男性側もハンターだろうから、食うか食われるかの弱肉強食か。
えっと……頑張ってください。私にはわからない世界です。すまん!
そして宴の会場を見渡すと、いくつかの人の固まりができているのが見てとれた。一番大きいのはアレクセイとミハイルを囲む人垣だが、他にもいくつか。
エカテリーナの周囲にいる夫人や令嬢より年長のおねえさまがたが囲んでいるのは、アデリーナ夫人だった。今回のファーストダンス採用の立役者と言っていい彼女だから、当然とも言えるが、公爵アレクセイの側近として権勢をふるう立場となったノヴァクの妻だ。ご機嫌伺いが殺到してもいるのだろう。
そういえば思い出した、前世の大ヒットドラマ。銀行の内幕を描いた、倍返しするやつ。あれに、社宅の奥様ヒエラルキーなんかもちらっと出てきたような気がする。ここでも、同じようなものなんだろうな。ただこういう場での情報収集や情報提供は、あれよりもっとシビアに活きてくるんだろう。
彼女から離れたところで、小さなかたまりを作っている人々もいる。その中には、苦々しげにアデリーナ夫人を見ている人が含まれているものもあるような。生き残りの旧勢力だろうか、粛清されなかったのだから悪事は働いていなかったのだろうけれど、時流の変遷に反発する人は必ずいるものだ。
……こういう人間関係とか派閥とか、前世からの苦手分野ですすみません。
でもとりあえず、情報操作がお家芸らしいノヴァク家の娘マルガリータさんのおかげで、私はこの女の園で落ち着いていても大丈夫らしい。というか、こうしているのがあるべき役割でさえあるのじゃないかな。変に動き回ると、ハンターたちの猟場を乱してしまいそうだから。
大変ほっとしつつ、エカテリーナは給仕を呼び寄せた。フローラと自分にノンアルコールの飲み物を、マルガリータたち夫人には好みの飲み物を持ってきてもらう。飲み干すと現れる小さなゼリーの蝶は、ほんのり飲み物の味が染み込んでいて、口に流し込んで食べても美味しい。
「フローラ様は初めてのパーティーですもの、楽しんでくださいまし。踊っていらしては?」
けれどフローラは、首を横に振る。
「知らない方と踊るのは……エカテリーナ様とでしたら、踊りたいと思いますけど」
後半を悪戯っぽく言われて、エカテリーナはコロコロと笑った。
「そうですわね、わたくしも、知らない殿方よりフローラ様と踊りとうございますわ」
「お二人は本当に仲良しでいらっしゃいますのね」
マルガリータが微笑む。
「色違いの対の衣装をお召しになるほどですものね。お二人とも、よくお似合いですわ」
「本当に素敵なドレスですわね。あのダンスの中で、その長いリボンがとても映えて!わたくし次のドレスは、必ずこういうリボンを取り入れたデザインにいたしますわ」
「わたくしも!妹など、ダンスが始まったとたんにお母様におねだりしていましたのよ。美しいかたのドレスは、真似したくなりますわ。自分も同じように、美しく踊れるような気がしてしまいますの」
「さきほどのダンス、素敵なアレンジでしたわ。昔はわたくしも、あのダンスを領地の祭りで領民と一緒に踊ったものでしたが、もっと素朴で。ターンを入れると、一気に洗練された印象になりますのね」
そんな会話を交わしながら、女性たちはさざめき笑う。
「あら、衣装といえば……」
夫人の一人が、ちらりと会場の中央に目をやる。アレクセイとミハイルを中心とする、一番大きな人の群れ。
エカテリーナもそちらへ目を向けて、その目をまんまるにした。
がっつり背中見えてる!
ミハイルに挨拶しようと集まっている人々は、男性が多めなのだが、その中に非常に大胆なデザインのドレスをまとった女性が交じっていた。エカテリーナの位置からは彼女を斜め後ろから見ることになるが、髪色は地味めの茶色ながら、スタイルがたいへん見事であることは見て取れる。それを惜しげもなく、かなり露わにしていることも。
こういうドレスが流行した時代は過去にあって、夏の夜会なら既婚女性の選択肢としてアリらしいことは、デザイナーのカミラさんから聞いたことがある。しかし悪役令嬢も負けそうなダイナマイトな体形により、威力が最終兵器。
おお……皇子、大丈夫かな。十六歳の男の子には、刺激が強いよね。いつだったか、ドレスの私を見て赤くなってたことがあったはず……これはあれより難易度高いぞ、頑張れ!
妙にハラハラして見守ってしまうエカテリーナ。
しかし彼女が拍子抜けするほど淡々と、ミハイルは大胆女性と軽く言葉を交わし、穏やかに微笑んで、それで終わり。女性はミハイルの前から下がった。
なお、アレクセイがその女性を見る視線は、花瓶やタンスを見る時とたいして変わらないようだった。
あれ?
あんなの前にしたら、思わず視線がさまよっても仕方ないぞ。どこらへんにかは、言わないけど。思春期男子だ、お姉さんは許す。
とか思ってたのに、びくともしないんかい。
皇子、ああいうのけっこう慣れてる?……じゃあ、いつだったかの赤面はなんだったんだろ。
「殿下は紳士でいらっしゃいますのね」
マルガリータが、どこか安堵を感じる口調で言う。ミハイルを見ていたエカテリーナを、気遣う様子だ。
「お嬢様、あのかたとは……?」
「祝宴の折に、ご挨拶いただきましたわ。未亡人でいらっしゃるとか」
「ええ、そうなのです。頼る人もあまりいない中、幼いご子息とお家を守っていらして」
この歓迎の宴でミハイルに挨拶が許されるくらいだから、れっきとした名家の奥方だ。ずいぶん歳の離れた夫に嫁ぎ、今は未亡人となって幼い子供を育てながら、当主の代理として婚家を守っているとのこと。
前世の歴史小説でも、貴族女性が人生を謳歌できるのは、未亡人になった時だけだという描写を読んだことがあった。今までの人生の鬱屈を、自由を得た今になって晴らしているのかも。
とはいえ、マルガリータさんはかばう口調だけど、周りの夫人たちは賛否両論……それも否のほうが多い空気。セクシー系の女性って、同性からの目が厳しくなりがちだよね。
「マルガリータ様がそのようにおっしゃるなら、きっと良い方なのですわね。お子様と嫁ぎ先を守っていらっしゃるなど、ご立派と存じますわ。それに目を引くドレスですこと、実は少し、興味を引かれましたの」
個人的には、ヘソ出しとかミニスカとか普通だった前世の記憶ゆえに、嫌悪感とかはないです。祝宴では軽く挨拶しただけで、彼女がどんな人かはわからなかった。だからマルガリータさん情報で判断します。知らない人のことを否定的に言うもんじゃないよね。
あと、あれを前から見るとどんな感じか知りたい、という好奇心があったりする。
「お言葉に安堵いたしましたわ。のちほど改めて、ご紹介させてくださいませ……」
マルガリータの言葉が不自然に途切れ、彼女はエカテリーナの背後を見つめて息を呑んだ。
なんぞ?
と思って振り返ると――ミハイルを先頭とする一団が、こちらへ歩み寄ってきていた。
あれ、もう挨拶はいいのかな?
と思ったが、思い起こせば祝宴でも、ある程度の地位の人々から挨拶を受けたらゆったりと会場を歩いて、あちらから寄ってはこられない程度の立場の人々にこちらから声をかける、という流れになったのだった。ミハイルも回遊のタイミングになったのだろう。
あちらから間近に寄ってきたロイヤルプリンスに、令嬢たちはもとより既婚夫人たちも声にならない悲鳴をこらえる様子だ。
「歓談中にすまないね、エカテリーナ、フローラ。きれいな花園が見えたものだから、寄ってみたくなってしまった」
そんな言葉と共に、にこ、とミハイルが笑顔を見せると、ついに押し殺した声が上がった。
おお、美辞麗句が言えてるよ皇子!えらい!
という思いで、エカテリーナはにっこり笑う。
「ミハイル様、宴は楽しんでいただけておりまして?」
「もちろん。皆から温かい言葉をもらって、嬉しく思っているよ。エカテリーナの素晴らしい提案に、感謝している」
「嬉しいお言葉ですわ」
「あのダンスは、楽しかったね。そのドレス、踊っている時は一段と素敵だった。そのリボン」
すっと手を伸ばして、ミハイルはエカテリーナの肩から垂れるリボンに、触れるか触れないかのところで指先を止めた。
「思わず、掴まえたくなったよ」
その言葉に悪戯っぽい表情になったエカテリーナは、その場でくるっとターンする。リボンがひらめいて、ミハイルの手にふわりと絡んだ。
その瞬間のミハイルの表情を見て、周囲の夫人たちが揃って扇の陰で声にならない悲鳴を上げたのだが、エカテリーナは気付いていない。
「お気に召して嬉しゅうございますわ」
「うん……惹かれるね」
少し赤くなったミハイルの手から、さらりとリボンが流れ落ちる。名残惜しげな顔をしたものの、ミハイルはフローラにも声をかけた。
「フローラも楽しんでいるかな?」
「はい、こんな華やかな場所にいられるだけで夢のようです。とても良くしていただいていますし」
「それは良かった。邪魔をしてすまなかったね」
その間に、ミハイルに従ってきたアレクセイがエカテリーナの髪を撫でる。
「エカテリーナ、疲れていないか」
「いいえ、お兄様。優しい方々と楽しく過ごすばかりで、申し訳ないほどですの」
嬉々として兄の手に頭をすり寄せて、エカテリーナは笑顔で兄を見上げる。
「それは良かった。お前はまだ社交に慣れていないのだから、無理をしてはいけないよ」
「はい、お兄様。仰せの通りにいたしますわ」
アレクセイはいつも通り妹には優しい笑顔で、これはこれで周囲の女性たちが悶えている。
そしてミハイルたちは、その場を去っていった。
しかしエカテリーナの周囲を固める夫人たちは、目線で興奮を分かち合っている。
(やはり殿下は、お嬢様を想っておいでなのですわ!)
(ええ!ダンスの時のお顔で、そうとわかっておりましたわ!)
(お似合いのお二人ですもの、応援して差し上げなければ!ユールノヴァの臣下として、お嬢様を未来の国母に!)
(あれほど切ないお顔でリボンに触れて……ときめきますわ、青春ですわね!)
しかし彼女たちは知らない。リボンに触れるミハイルにエカテリーナが思ったことは、
――皇子って、子犬みたいだと思ったことがあったけど。リボンが気になるなんて、猫みたいなところもあるんだなあ。
という、残念きわまりないものであった。




