青蝶の宴
ミハイル皇子歓迎の宴は、先日の祝宴と同じく、ユールノヴァ城の大広間で開催される。
先日の祝宴では他の広間も開放していたが、今回は大広間のみが会場となっていた。招待客のほとんどは祝宴にも参加した人々だが、それだけに大広間に足を踏み入れて、趣向の違いに驚く姿が多く見受けられる。
皇子の紋章にある青蝶にちなみ、飾られた薔薇の花々に、燭台に、細工物の青い蝶がとまって翅を休めている。料理の盛り付けにも、薔薇と蝶のモチーフがさまざまな形で取り入れられている。飲み物の中に蝶の形のゼリーが沈んでいて、飲み干すと現れる。これには気付いた人々が驚き喜んで、それを聞きつけた人が給仕に飲み物を求める声が相次いだ。
そうした装飾の最たるものが、大階段の近くに青く光る虹石で並んで描かれた、皇子の紋章とユールノヴァ公爵家の紋章であった。その辺りの灯りはわざと少し暗くしてあるため、幻想的な青い光の紋章が浮かび上がって見えるのだ。
そんな趣向を楽しみながら、人々は皇子の登場を心待ちにしている。
大広間の一角で楽器を抱えて待機していた楽師たちが、合図を受けて楽器を構えた。流れ始めた音楽は、主賓の登場を告げるもの。人々は息を呑んで、大階段に注目する。
皇子ミハイルの姿を目にしたことがある者はここにはほとんどいないが、皇国の臣民として、皇室御一家の絵姿は誰もが見たことがある。そこに描かれている皇子は、父帝コンスタンティンによく似た秀麗な容姿、夏空色の髪と瞳を持つ若者だ。
待ち望んだその姿が、階上に現れた瞬間。
大広間は大きな歓声と、万雷の拍手に包まれた。
うわあ、さすがはロイヤルプリンス。祝宴より参加人数が少ないのに、反応が大きい!
アレクセイのエスコートでミハイルの後ろに従うエカテリーナは、すっかり感心している。
何に感心しているかといえば、その反応にも全くたじろぐ様子のない、ミハイルの落ち着きぶりにだ。
人間は、背中のほうが嘘をつけないと思う。表情は取り繕うことができても、自分で見ることができない背中には、自信のなさや脅えが見てとれてしまうものだ。
前世で合唱部だった高校時代、発表会で独唱を任された男子が前へ出た時、その背中が普段の自信家な雰囲気とはうってかわってガチガチに硬く小さく見えた時、思ったことだったりするが。
ともあれ、前を歩くミハイルの背中は、あくまで自然体だ。むしろ、いつもより大きく見えるほど。
学園でミハイルを見ていて、トップになることを宿命付けられた生まれゆえに、いつも一歩引いているのではないかと思うことがあった。
歓迎の宴の招待客数は、祝宴よりもかなり絞り込んでいるとはいえ、三桁に届く。その人数を眼下に見下ろして、ミハイルの背中がいつもより大きいなら。
あの直感は、きっと正しかったのだろう。
ミハイルはフローラをエスコートしている。白を基調に襟と袖に青を配し、金モールの華麗な装飾をふんだんにあしらった衣装の彼は、豪華でありつつ若々しく爽やかだ。春の女神のようなフローラと並ぶと、さながら夏を司る男神のよう。
その二人に続く、黒を基調にした衣装のアレクセイとエカテリーナは、冬の王と夜の女王か。
次期皇帝たる皇子ミハイルを我が目で見られて感激している招待客たちだが、華麗なるプリンスに引けをとらない公爵兄妹の美しさに、郷土の誇りをかきたてられていた。
大階段の踊り場までくると、ミハイルは足を止めた。アレクセイがその隣に並ぶ。
アレクセイがすっと片手を上げると、大広間にはしんと沈黙が落ちた。
「皆、今日はミハイル皇子殿下ならびにご友人フローラ嬢歓迎の宴に、よく集まってくれた。これより殿下のお言葉を賜る。しかと傾聴するように」
簡潔に言って、アレクセイはミハイルに会釈する。
大広間の人々は一人残らず、熱意のこもった眼差しでミハイルを見つめている。
その人々を見渡して、ミハイルは穏やかに微笑んだ。
「ユールノヴァの諸君、素晴らしい歓迎をありがとう」
アレクセイのバリトンに対して、ミハイルの声は甘いテノール。その違いはあれど、よく通る美声だ。王子様然とした外見にふさわしい声音に、女性たちがうっとりとしている。
「この地を訪れて、森と山々の美しさ、人々の勤勉で誠実な気質、そして我が友アレクセイ公爵と皇室への高い忠誠心に、大いに感銘を受けた。これからの滞在、そして今日の宴は、僕の記憶に刻まれる素晴らしい時間になるだろう。皆と共に過ごすことのできるこの機会を得て、嬉しく思っている。皆もぜひ、楽しんでほしい」
そう言葉を結んで、ミハイルが笑いかけると、わあっと人々が歓声をあげた。
「ミハイル皇子殿下、万歳!」
そんなミハイルの後ろで、エカテリーナはにこやかに微笑んでいる。
うむ、さすがだよ皇子。
簡潔でそつのないザ・社交辞令。君らしい!さすが生まれながらのロイヤルプリンス、踏んだ場数が違うね。
お姉さんは感心したよ。
ミハイルが知ったら喜ぶかどうか謎な内心の声はさておき、四人は大階段を降りて、大広間の中央へ進み出た。
戸惑ったようなざわめきが、人々の間に広がる。今回のファーストダンスが異例の形となることは、耳の早い一部の招待客や、ノヴァクまたは夫人のアデリーナに近い人々にしか、知られていない。
音楽が流れ始めた。




