歓迎
エカテリーナとフローラはあの後もいろいろ話し込み、結局フローラはそのままエカテリーナの部屋で一緒に眠った。
同級生が泊まりがけで遊びに来たらこうなるのが当然、というのがエカテリーナの、というより前世アラサー日本人の感覚だが、この世界の貴族としてはどうあるべきなのかよくわからない。とりあえず目覚めたフローラが嬉しそうだったので、問題なし。
そして毎朝のことではあるが、エカテリーナが目覚めるとすぐミナが現れて、カーテンを開けてくれた。今朝はミナと一緒に、西棟の迎賓館でフローラの世話をするはずだったメイドが現れて、もともとこういう予定であったかのような顔で着替えを差し出したり、髪を梳いたりし始める。先日メイド頭のアンナが解雇された後、メイドたちの規律がちょっと乱れた時期があったようだが、家政婦ライーサの統制ですぐに持ち直したらしい。
「フローラ様、朝食はこのお部屋でお取りになるかしら、それとも食堂で?」
「どちらでも……エカテリーナ様がいつもなさっている通りにしたいです」
フローラはにっこり笑う。兄と会いたいがために毎朝食堂で朝食をとっていることを、フローラはお見通しなのかも知れない。という気がしつつ、エカテリーナはフローラと連れ立って食堂へ向かった。
そこでアレクセイと、ミハイルに遭遇したのだった。
「ごきげんよろしゅう、ミハイル様、お兄様。良い朝ですこと」
にこやかに挨拶しつつ、なんで君がここにいるんだ、と視線で問うエカテリーナ。
ミハイルはさわやかな笑顔を返してきた。
「おはよう、エカテリーナ、フローラ」
「一緒に朝の鍛錬をしたいとのお申し出があって、そのまま食事もご一緒することになったんだよ」
アレクセイが補足する。ごくごく微量に、不本意そうな気配がなくもない。
「まあ……昨日もあれから剣を振るうと仰せでしたのに、今朝も鍛錬を?」
「昨夜は、食後にあまり激しい運動は良くない、と止められたものだから。その埋め合わせを今朝しただけだよ。それに、精強で名高いユールノヴァ騎士団の鍛錬に加わることは、皇国騎士団のいい刺激になると思ってね」
うむうむ。この世界でも、食後の激しい運動は控えるべきであることは知られているのだね。
そして皇子、真面目だなあ。いずれ皇帝の位に即く身だもの、皇子の心身の健康は皇国の重要事項。それをわきまえて、しっかり鍛えているんだろう。
さらに、護衛として従えてきた六騎の皇国騎士団、あの騎士たちの練度を上げることまで考えているって。すでに視点が上司っていうか、上に立つ者の考え方が身についているんだ。
長旅を終えた翌日にこれだけ元気なのって、若いなあ男の子だなあって思うけど、前世の同じ年頃の男子と比べるとすごい違いを感じる。偉いなあ、と感心するよ。
でもまあ。
ちら、とミハイルの隣にいるアレクセイに目をやって、エカテリーナは微笑んだ。
お兄様はもはや前世の男子と比べる気にもならないレベルで、できる男だけどね!
「無理はなさらないでくださいましね。今宵はミハイル様とフローラ様、お二方の歓迎の宴なのですもの」
弟を諭すような口調でエカテリーナが言うと、ミハイルは苦笑して、大丈夫だよと言った。
そう、今日は歓迎の宴が開かれる日。
先日実施された祝宴より規模は小さいが、より豪華に、かつ洗練された宴にしなければならない。三大公爵家の一角たるユールノヴァが、皇子ミハイルを歓待するにふさわしく。そんな気概が、ユールノヴァ城に満ちているようだ。
あわただしく使用人たちが行き交い、シェフたちは朝から下ごしらえに余念がない。秘蔵のワインやブランデーなどが貯蔵庫から運び出され、銀器やグラスが磨き上げられる。
そんな中、一団のメイドたちが、女主人エカテリーナの部屋に詰め切りになっていた。
彼女たちの仕事はおもてなしの最重要任務ともいえる、お客様フローラの衣装や髪型の最終調整、そしてエステというか美容系のケアである。手入れなどしなくてもフローラは美少女だが、せっかくなので楽しんでもらおうとエカテリーナが手配した。
そして自分も巻き込まれた。
当たり前である。
夕刻となり、ユールノヴァ公爵の正装に威儀を正したアレクセイと、皇子らしく華麗に装ったミハイルが、エカテリーナの部屋を訪れた。
「お支度ならお済みです。どうぞ」
メイドのミナが二人を部屋へ迎え入れ、脇に控える。
エカテリーナとフローラは、二人並んで微笑んでいた。
「ミハイル様、お兄様。お迎えありがとう存じますわ」
ミハイルが、ほうっと息を吐いた。
エカテリーナとフローラの衣装は、エンパイア風。胸のすぐ下に切り替えがくる、古代の女神像を思わせる優美なデザインだ。それに、丈の短い半袖のボレロを合わせている。
ただし色彩は対照的で、今回のエカテリーナは黒が基調。トレードマークの天上の青は胸元に配し、スカートとボレロは黒である。
黒いボレロには金糸で薔薇の刺繍がほどこされ、豪奢な印象となっている。細身のスカートの上にひだの多いレースチュールを重ね、胸下の切り替え部分には金細工の薔薇が縫い付けられていた。薔薇からは極細の金の鎖で、小さな鈴と小さな金の葉が下がっており、動きにつれて揺れ、しゃらしゃらと音を立てるだろう。こちらも豪華にしてあでやか。
だがそのドレスで最も特徴的なのは、ボレロの袖に付けられたリボンである。小さな蝶結びから垂れるリボンは、軽やかでつややかなサテン生地。先端にやはり金糸で薔薇が刺繍されていて、エカテリーナの膝あたりにまで届く長さがあった。エカテリーナが前世で見た新体操のリボン競技を思い出したほど、このリボンは彼女の動きにつれてひらりとなびく。そこがまた、人目を惹きつけるのだった。
結い上げた藍色の髪には、きらめく金細工の薔薇が飾られている。レフの青薔薇と比べると、本物かと見紛うほどのリアルさとは言い難いが、それがむしろ公爵家の家格にふさわしい絢爛豪華さだ。
いつもより大きく開いた胸元を飾るネックレスも、金細工の薔薇にサファイアの花芯を配したもの。極細の金鎖でさらにいくつかの薔薇を繋いでいて、エカテリーナは前世で見た菩薩像の胸を飾る瓔珞を思い出したほど、繊細にして華麗な職人技が光る逸品であった。
今宵のエカテリーナは、黒と黄金の豪奢な美女だ。
フローラの衣装は白が基調。しかし、ボレロと胸元が七色のきらめきを放っている。それは、遠い海からはるばる運ばれてきた光蝶貝の真珠母がちりばめられているゆえだ。光蝶貝は淡い光を放つ真珠を育む貝で、この衣装も、暗いところでは淡い光を帯びて見えるのだ。
白い細身のスカートにレースチュールを重ねているところは、エカテリーナと同じ。切り替え部分にはローズクォーツの飾りをつけて、フローラの髪色と合わせている。レースチュールのところどころに、蝶結びにした桜色の細いリボンをつけているのが愛らしい。
ボレロの袖に付いているリボンは、衣装と同じ白。エカテリーナと同じく長く軽やかなサテン生地。
編み込みにした桜色の髪には、香り高いガーデニア――八重咲きのクチナシ――の生花が飾られている。
胸元には、大きな月長石から彫り出したガーデニアのネックレス。宝石を彫ったものとは信じられないほど真に迫った細工で、フローラにふさわしく清楚で神秘的。
花の精の名前の通り、かぐわしいばかりの美しさだった。
「エカテリーナ」
アレクセイが妹に歩み寄った。
「今宵もお前は美しい」
うやうやしく手をとって、指先に口付ける。
「私の青薔薇が、黄金の薔薇に変じたか。黄金など人間の欲望の象徴のようで好きにはなれなかったが、少し見直した。お前の輝かしさを称える役には立つようだ」
「お兄様ったら」
お兄様のシスコンフィルターは今日も有能ですね!
「嬉しゅうございますわ。でも、まずお客様にお言葉をおかけになるのがマナーでしてよ。フローラ様は、とても素敵ではありませんこと?」
「すまない、私としたことが。愛しいお前のあまりの美しさに、この世の全てを忘れてしまったようだ」
美辞麗句スキルも絶好調です。
アレクセイはフローラに向き直り、微笑んだ。
「失礼した、フローラ嬢。実に美しい、春の女神のようだ。冬の厳しいユールノヴァでは、春はことのほか尊ばれる。貴女はユールノヴァの人々を夢中にさせるだろう」
「恐れ入ります」
恥ずかしそうに、フローラはお辞儀をする。
「エカテリーナ様が良くしてくださったおかげです。素敵な服やアクセサリーまで、本当にありがとうございます」
「とてもお似合いですもの、ドレスもネックレスも、フローラ様に身につけていただけて喜んでいるに違いありませんわ」
うふふと微笑んで、エカテリーナはミハイルに視線を移した。
いつも如才のない君が、なんか無言が長くないか?
「……二人とも、とても素敵だ」
「恐れ入りますわ」
うん、今回も高校生男子として合格な、まともな褒め言葉だよ。
内心でうんうんとうなずいているエカテリーナだが、ミハイルに付き従う糸目の従僕ルカがつんつんとミハイルの肘をつつき、ミハイルが力なく呟くのが聞き取れた。
「あんなの真似しても火傷するだけだ……」
あ、お兄様の真似をしたかったのか。
いずれは君も、皇帝陛下みたいに美辞麗句スキルを磨かないといけないんだろうけど。まだしばらく、そのままでいてほしいよ。




