夏休みの近況報告
邸内の談話室に移った四人は、まずは近況報告に花を咲かせた。
一番ほのぼのしていたのはフローラで、母親亡き後に引き取ってくれた男爵夫妻のもとへ帰って、男爵を手伝って庭の手入れをしつつ、料理上手な夫人から料理を教わっていたそうだ。
「お昼に作れそうなものをいろいろ教えていただいたんです。学園へ戻ってエカテリーナ様と一緒に作るのが楽しみで、想像してドキドキしてしまいました」
頬を上気させているフローラに、ミハイルが苦笑している。
「まあ素敵!わたくしも楽しみですわ、ぜひレシピを教えてくださいましね」
学園では毎日フローラと一緒に、食堂の厨房を借りて昼食を手作りしていたけれど、それがなんだか遠い昔のような気がしてしまうエカテリーナである。夏休みに入ってからはすっかりノーブル生活で、自分で料理は一度もしていない。
「わたくしずいぶんお料理から遠ざかってしまって……かまどの火加減の仕方も、すっかり忘れてしまったかもしれませんわ」
ガスのレンジ台やIHなどないこの世界では、かまどで薪を燃やして料理をする。その火加減はなかなか難しいのだ。
なお、木炭や泥炭、石炭もこの世界に存在しているが、燃料としては高価なので、料理には使われないようだ。
「火加減か……あらためて聞くと、火傷でもしないかと心配になる」
表情を曇らせて、アレクセイがエカテリーナの手を取った。
「エカテリーナ、休み明けからは、手ずから料理をするのはやめておかないか。学園に掛け合って、昼食は外部から取り寄せるなり、食堂に専用の人員を入れるなり、方法を考えるから」
お兄様ったらシスコンなんだから。
エカテリーナはアレクセイの手をきゅっと握り返して、ネオンブルーの瞳を見つめる。
「お兄様がそうお決めになるなら、仰せの通りにいたしますわ。ですけれど、わたくしがお作りしたものをお兄様に召し上がっていただくお昼のひととき、とても幸せでしたの。その喜びがなくなってしまうのは、悲しいことでございます」
「……」
少しの間ののち、アレクセイは小さく咳払いした。
「お前が幸せだと言うのなら、それを失わせたりするものか。すべてはお前の望みのままだよ」
「ありがとう存じますわ、お兄様。フローラ様に教えていただいて、必ず美味しいものをお作りいたします」
よっしゃ言質いただきました!これからも学園では、お兄様のお昼は私が作ります!
内心でエカテリーナは拳を握る。
にこにこしているフローラの隣で、ミハイルが遠い目をしていた。
「……こういうやりとりを聞いて、もはや調和を感じるのはなぜだろう」
すまん。シスコンブラコン兄妹ですまん。
それはさておき皇子とフローラちゃん、一緒にいて前より自然体になった気がする。特にフローラちゃん、皇子の前だと遠慮がちだったけど、そういう垣根がぐっと下がって臆せず話ができるようになったような。
やっぱり一緒に旅をするって、親密度が上がるよね。悪役令嬢プロデュースのヒロイン親密度上げイベント、成功かな?ふふふ、よくやった自分!
「ミハイル様は、お忙しくお過ごしでしたのね」
「いろいろ国の行事があったから。あとは、自分の領地を視察していたよ」
夏休みの過ごし方が、国の行事に参加だもんなあ。ロイヤルプリンスは大変だよね。
しかし、自分の領地とな?
「ミハイル様はご自分の領地をお持ちですの?」
「うん、生まれた時から」
「エカテリーナ、皇国の第一皇子は、誕生と同時に『青蝶の領』を与えられると決まっているんだよ」
アレクセイが補足してくれて、エカテリーナは目を丸くした。
すげえ、さすが皇位継承権第一位。
『青蝶の領』とは、皇室が保有する直轄領の一つだそうだ。
皇室が保有するというか、直轄領の持ち主はもちろん皇帝陛下だが、皇后を娶ったり子供が生まれたりすると、その一部が皇后や皇子皇女に下賜される。どの領地が与えられるかはほぼ決まっていて、『青蝶の領』は代々、第一皇子の所領となっている。皇子の紋章に青い蝶がデザインされているのは、これが理由だ。
領地の経営は代官が行うが、第一皇子が十二歳になると、自分で領地経営ができるよう学び始めるという。領地からの税収が皇子の内廷費の源泉になり、その使い方、年間の予定を見据えてどこにどれだけ使うか、翌年に繰り越すかなども、皇子が自分で考えるのだ。
皇室の収入源は直轄領だけではないが、領主としての仕事を学ぶことは、やがて皇帝の位に即くための帝王学の一環に違いない。
十二歳ですか。おこづかい帳とか渡されて、おこづかいのやりくり自分でしましょうね、って年齢で、領地経営、内廷費の管理ですか。周囲がきっちり支えて教えるにしても、ロイヤル容赦ねえ!
「ユールノヴァ領とは規模が違う。アレクセイがやっていることとは比べものにならないよ」
ミハイルは微笑むが、彼は彼でアレクセイとはまた別の苦労があるはずだ。それなのに、みじんもそれを感じさせない。
これも、いずれ至高の位に即く者として、臣下にどういう姿を見せるべきかを計算してのことかもしれない。
……なんだかなー……。考えたら気が遠くなるわ。
領地の規模はユールノヴァほどではないといっても、領主は彼にとって通過点というか、それがいかなるものかを知っておくためにやっていることなんだもの。
領民がいて、領主がいて、そのはるか上の存在である皇帝。目の前で微笑んでいる十六歳の少年は、いつかその座に即く。それを受け入れ、倦まず弛まず、玉座へ至る道を進んでいる。
まだ子供なのにね。偉いけど、やがて主君に戴く方と思うとその優秀さに安心もするけど、前世の感覚では、ただの少年でいられない十六歳の彼に、勝手な同情心が湧いてくるわ。
学園で会っていた時には、そういうことをちっとも意識しなかった。だって、皇子だと皆に知られていても、一人の生徒として溶け込んでいたから。
でも思えば学園生活は、彼の人生にとって、とても特別なひとときなんだろう。