報告〜遭遇について〜
「旅の出来事の中で、お兄様に早急にご報告すべきことは二つございますの」
街の宿で、エカテリーナはそう言ってアレクセイに指を二本立てて見せた。
何があったのかをアレクセイが尋ねてから、かなり時間が経ってからのことだ。
ゆっくり時間が取れるようになってから話したい、とエカテリーナに頼まれて、アレクセイは了承した。それで、この街では最上の宿に入り、一緒に食事をとり、さらには駆けつけてきた街の代表からの挨拶を受けるなどを済ませて、アレクセイの部屋でイヴァンとミナが淹れた茶を前に兄妹向かい合い、すっかり落ち着いたところで初めて、エカテリーナはそう切り出したのだった。
もちろんエカテリーナはそうやって時間を稼いで、旅の出来事をどう報告するかを頭の中で練り直していたのである。その場の空気に合わせて報告内容を修正するのは、社畜時代に培った報告スキルその一だ。
そして、アレクセイにゆっくり食事をしたり、他愛ない会話をするだけのくつろげる時間を過ごしてほしいという、一石二鳥の狙いもある。
「オレグ様からエリク様に伝わった危険がいかなることであったか、それがお兄様がお尋ねのことですわね。けれど、公爵たるお兄様にまずご報告すべき問題がございますの。それを一つめにお話しいたします。そののち二つめとして、お尋ねのことをお話しいたしますわ」
報告内容を数で示し、順序を前置きして相手の理解をうながす――と見せかけて、面倒になりそうな問題よりも先に別のことを報告して意識を分散させるのは、社畜の報告スキルその二である。
いやそもそも、急いでアレクセイに報告すべきことがあったから早く帰ろうとしていたのであって、それを先に報告するのは当然。何かをごまかそうとしているわけではない。やましいことは、何もない。潔白証明は完璧だ。
という社畜スキルを発揮していても、本人が夢にも気付かないことが一つ。
ビジネスパーソンらしくビシッと指など立てて見せても、外見が完璧なまでに深窓のご令嬢なため、違和感が拭えない。ましてや相手はアレクセイだから、大人ぶって可愛い、としか思われないのだった。
「ああ、その、わかった。それで、問題とは」
「山岳神殿に降臨なされた三柱の神々のうち、一柱の神様が神託を下されました。近く、その神様の御山が、噴火すると」
アレクセイはネオンブルーの目を見開いた。
「それは、確かに緊急事態だ」
「はい、そうですの。ですけれど山岳神殿の神官たちによれば、過去にこうした神託があった際は、実際に噴火が起きるまでに数ヶ月から百年ほども時間差があったそうですわ。
ですので、フォルリ卿がその御山におもむいて、噴火までにどれほどの猶予があると思われるかを確認し、ご報告くださることになっております。そしてアーロン様は、近隣の村人たちが避難する必要がある場合に備え、旧鉱山の鉱夫の宿舎が利用できるかを、確認していらっしゃいます」
一瞬緊迫した表情になったアレクセイだったが、エカテリーナのてきぱきとした報告に、雰囲気が和らいでいる。
「そうか、的確な対処だ。その件については、フォルリ翁とアーロンの報告を待とう」
「はい、そうなさってくださいまし」
うなずいてから、エカテリーナはこほんと咳払いした。
「それで……二つめの件ですけれど」
言いかけて、ためらう。兄を動揺させたくない。
「あの、お兄様……手を握っていただいてもよろしくて?」
「ああ、もちろん」
他に応えがあろうはずはなく、アレクセイは妹が差し出してきた両手を、両手でそっと包むように握った。
よし。これで、お兄様も落ち着いて聞いてくれるはず。セオリー通り、要点からいこう。
「わたくし、玄竜と遭遇いたしましたの」
ビシッ!と、何かが割れるような軋むような音が響き渡った。
ひええ準備が甘かった!
お兄様の表情が変わらない。それなのに、なんだか寒気が。
いやこれ本当に寒くないか?室温が下がってる?おーいエアコン強すぎー、なんてボケはいらん、これってもしやお兄様の魔力で⁉︎
「エカテリーナ、可哀想に……」
表情を変えないまま、ネオンブルーの瞳だけに凄い光をたたえて、アレクセイは妹の手を握る手に力を込める。
「手を取り合わねば話すこともできないほど、恐ろしい思いをしたのだろう。私が奴を放置してしまったばかりに、お前がそのような目に……。ユールノヴァの総力をあげて、討伐してくれよう」
まさかの逆効果!
お兄様のシスコンが私の予想を上回った!さすがお兄様!
いけません、人類がジャンボジェットに闘いを挑んでも勝ち目ないです。ていうか、せっかく敵対しないって言ってもらったのに、やめてください!
「いいえお兄様、違うのです。怖いことなどなかったのですわ。どうか、お気持ちを鎮めてくださいまし。どうか」
エカテリーナも動揺してしまって、おろおろと同じことを繰り返すばかりだ。
と、ミナが動いた。
すすっと兄妹に歩み寄ると、いつの間に取り出したのかショールをふわりとエカテリーナの肩に掛ける。
そして一礼すると、またすすっと戻っていった。
そしてイヴァンも。
「お茶を淹れ直しましょう。これを飲むとお身体が冷えそうです」
と声をかけて、ささっとカップを下げていった。……カップの中のお茶、凍っていたような。
「……私としたことが。お前を凍えさせるなど、どうかしていた。許してくれ」
あっお兄様に表情が戻った。ミナ、イヴァン、グッジョブ!
「いいえ、わたくしがいけないのですわ、お兄様にこれほどのご心痛を与えてしまうなど。わたくしの身にはなんの危険もありませんでしたの、それをお解りいただけるよう、順を追ってお話しすべきでしたわ」
そして、エカテリーナはイヴァンが手早く淹れ直してくれたお茶を一口飲むと、旅での出来事をかいつまんで話し始めた。




