無罪とほんのり疑惑
「お兄様……!」
わーん!
お兄様だー!
お兄様だー!
お兄様だー!
会いたかったよー!
ぎゅうっ、とエカテリーナはアレクセイに抱きついた。
「エカテリーナ」
ささやくように、アレクセイが呼ぶ。妹の身体を包み込むように抱きしめて。
「エカテリーナ……私の、エカテリーナ」
「お兄様」
どうしてここに?
と尋ねようとして、エカテリーナははっと息を呑んだ。
アレクセイが震えている。
誇り高きユールノヴァ公爵、十八歳という若さで広大な領地を統治する優れた領主である彼が、震えるなど。時に苛烈なほど強い精神を持つ彼が、こんな風に身体を震わせたことなど、今まで一度もなかったのに。
「お兄様!震えておいでですわ、いかがなさいましたの?どこかお悪いのでは?早くお休みになって!」
「……具合が悪いわけではないんだよ。ただ……恐ろしいことがあったんだ。この世で一番恐ろしいことが」
優しい声で言って、ほっと息を吐いたアレクセイはエカテリーナの藍色の髪を撫でた。
「お前の身に何かが起こったと……何か恐ろしいことが起きたようだとエリクが察知したのに、私は遠く離れていて、お前を守ることができない。――胸がつぶれるかと思った」
アレクセイはエカテリーナの髪に頬を押し当てる。
「お前が無事でよかった。エカテリーナ……私の妹、私の生命、私の愛。お前がいなければ、私は生きてはいけない。お前がいない世界はあまりに暗く冷たいと、あらためて思い知った……」
「お兄様……」
やっぱり、双子アラートが発報されてたか……。
騎士オレグさんと弟のエリクさん。双子の兄弟の片方に危険が迫ると、ほぼ確実にもう一方がそれを感じ取ることができるという、特別な絆は本当に機能したんだ。お兄様がオレグさんを私の護衛に選んだのは、携帯電話のないこの世界で、私の身に何か起きたらすぐわかるようにという意図でだったけど、見事に的中してしまった。
魔竜王様が現れた時だよね。そこから準備して出発して、もうここまで来ているって……ものすごい緊急発進!航空自衛隊も思わず敬礼だ!
なんてこと考えてる場合か。シスコンのお兄様は、さぞ心配だったことだろう。なのに私ったら、魔竜王様とけっこう楽しく話し込んで、竜の背に乗れるって浮かれてはしゃいで……うわーんごめんなさい!
「ごめんなさい、お兄様」
涙ぐんで、エカテリーナは兄の頬に触れて優しく撫でた。さらに頭を撫で、風に乱れた水色の髪を手櫛でなでつける。アレクセイは、妹の手の感触に目を細めている。
エカテリーナは兄の頭を引き寄せて、抱きしめた。精一杯、包み込むように。
「お兄様にそんな思いをさせてしまったなんて、わたくし自分が許せませんわ。こんなにも早く駆けつけてくださって、ご無理をなさったのでしょう。わたくしの大切な大切なお兄様が、わたくしのせいで、震えるほどに苦しんでおられたなんて」
うう……お兄様の役に立ちたくて、代参の旅に出たはずなのに。
こんなことじゃ、ブラコンなんて名乗れないぞ自分!
「いいんだ、無事でいてくれたのだから。お前は何も悪くないよ、私の愛しいエカテリーナ」
太陽は東から昇り、妹は無罪。妹無罪はアレクセイにとっては当然の、自然の法則に等しいことなのだろう。エカテリーナはそれをシスコンフィルターと呼ぶ。
「この世のすべてが壊れて砕けたとしても、お前が微笑んでくれさえすれば私は幸せだ。お前はこの世の何より美しいよ」
「お兄様ったら」
旅立つ前より、若干パワーアップしているかもしれない。
一瞬そう思い、しかしエカテリーナはすぐ思い直した。
お兄様のシスコンフィルターは、前からこれくらい強力だったよ。うん。
「それで、一体、何があった?怖いことがあったのだろう、お前こそ具合は悪くないか。お前はあまりに優しくて、いつも自分を後回しにしてしまうから心配だ」
ああっ!ここで報告を求められた!
でもこれは言っておかなければ。
「いつもご自分を後回しにしてしまうのは、お兄様の方でしてよ。わたくしがいない間、しっかりと栄養をとって、お休みになってくださいまして?」
「ああ、もちろんだ」
アレクセイは即答したが、エカテリーナはじーっと兄を見上げる。なんとなく、あやしい。
そこへ、声がかかった。
「お嬢様。ご無事でなによりでした」
「まあ、イヴァン!」
アレクセイの従僕、イヴァンがいつもの愛想のいい笑みをエカテリーナに向けている。馬をとばして駆けつけたアレクセイについて来られたなら、彼は騎士並みに優れた馬術の腕前を持っているのだろう。
「イヴァンも来てくれたのね。イヴァンはいつもお兄様とご一緒ね」
「閣下をお守りするのが、俺の役目ですから。
ところでお嬢様、騎士様がお戻りですよ。この街でのご宿泊の手配がととのったとおっしゃっています」
ああ、先触れの騎士が戻ってきたんだ。
そう思って、騎士の姿を探して視線を巡らせ――エカテリーナは驚いた。いつの間にか、周囲に多くの人がいる。
ま、まあこの街は物流の要所だから、人が多いのは当然として。なぜに皆、こっちを見ているんだろう。そして皆、なんだか笑顔だ。いや、涙を拭っている人がいるけどなぜに。
あ、さっきお兄様が駆けつけてきたのが目立ったのか。この人たちはそこから、私とお兄様の再会の様子を見てたのか。
すごい長いこと生き別れていた二人の再会と思われたかな……ほんの数日ぶりの再会ですみません。大恋愛の恋人同士とかではなく、シスコンブラコン兄妹の再会なのもすみません。
「閣下もご一緒なさいますよね。久々にご兄妹で、ゆっくり語り合えますね」
「ああ、そうしよう」
うなずくアレクセイは、周囲の視線など気にも留めていないようだ。
「お兄様とゆっくりお話しできるなんて、嬉しゅうございますわ」
うん、とっても嬉しい。
ほんの数日だったけど、思えば私を学園に入学させるためにお兄様がユールノヴァ城へ迎えに来てくれてからこっち、こんなに離れて過ごしたのは初めてだもの。お兄様が視界に入っているだけで嬉しい。
それにこの状況なら、仕事もなく本当にのんびりしてもらえるだろうし。
……忠実で気が利くイヴァン、このタイミングで声をかけてきたのは、実はお兄様への救援もあったんじゃなかろうかって疑惑が消えません。私がいない間、働きすぎてませんでしたかお兄様。今日はゆっくり!休んでいただきます!




