帰還
申し出にとびついたものの、エカテリーナははたと悩む。頭上に浮かぶ竜の背中にどうやって乗ればいいのだろう。
が、悩んだのがむなしくなるレベルで、あっさりと解決した。
「エカテリーナ」
ヴラドフォーレンの声が上空の竜からではなく聞こえてきて、エカテリーナは驚く。大きな羽音と共に、赤く光る目をした黒い猛禽が現れた。
「魔竜王様……でいらっしゃいますの?」
「これは俺の分身だ。腕を出してみろ」
眷属ではなく分身だったのか……と思いながらエカテリーナが腕を差し伸べると、黒い鳥はその繊手に舞い降りた。
猛禽が腕にとまった状態だが、重くはない。本体である竜がなんらかの魔力で上空に留まっていられるのと同様に、分身である黒い鳥も、普通の鳥とは違って翼の浮力で飛ぶわけではないのだろう。
それにしても、この状況。
腕に大型の猛禽をとまらせている。しかも、意思の疎通が可能な。外見も、黒い体色に赤く光る目という、自然界には存在しないであろう特異な、超カッコいい猛禽。
こ、これはこれで厨二心のうずきが止まらない!
などとエカテリーナがアホなことを考えていると。
ザザッ――と、ノイズのような音が耳の中で鳴った。
突然視界が変わり、エカテリーナはめまいに似た感覚によろめく。これは、ここに連れて来られた時にも体験した、転移だ。
抱き上げられた状態で空中で転移した前回より、自分で立っている状態からの今回の方が、感覚がついていかない感じがする。
「大丈夫か」
「はい、少し……驚いただけですの」
身体を立て直して、エカテリーナは周囲を見回す。
竜の背に転移していた。翼と翼の間だ。ドラゴンの骨格がどうなっているのかわからないが、肩甲骨的なものがあるらしく、その中間にあたるこの位置は少しくぼんでいる。他の場所より安定した状態で居られそうだ。
地上からたてがみのように見えていた棘のような突起が、首から背中、尾の方までずっと続いている。くぼみの中央をよぎって生えていて、風よけになりそうだし、掴まることもできそうだった。
それにしても、広い。背中が。何十メートルあるのだろう。広すぎて、下の景色などほとんど見えない。
足元を見下ろすと、漆黒の巨大なうろこが連なっている。刃などはじいてしまうであろう強度は感じるが、金属的な感じはなく、もっとしなやかな印象だ。
わくわくきょろきょろ周囲を見回しているエカテリーナに、ヴラドフォーレンは笑う。
「落としはせんが、座って掴まっていた方がよかろう」
「はい、ありがとう存じますわ」
ありがたく、エカテリーナは言われた通りにした。黒い猛禽はエカテリーナの腕を離れ、突起のひとつに移る。
俺様なところも確かにあるけど、意外に面倒見のいい性格みたい。そういえば子供って認定されたんだった、だから親切なのか。子供好きだったのかー。中身アラサー入ってるのにすみません。
残念思考を発揮するエカテリーナであった。アラサーと言いつつ、ある点では幼児並みなのだが、自覚がないのが致命的だ。
「行くぞ」
その声は、黒い猛禽ではなく巨竜の口から発せられたようだった。竜と鳥どちらかが人格の主導権を持つわけではなく、並列処理が可能なようだ。ザ・ファンタジーな存在なのに、マルチタスクで動けるとは。
そして、竜の翼が動き、打ち下ろされる。
バサッ――!と大きな羽音が響き、竜は飛翔を始めた。
わー!
翼の浮力は関係なく宙に浮くことができるようなのに、移動するときは羽ばたくのは、方向とかの制御をしているんだろうか。背中にいると、筋肉や骨格の動きがダイナミックに伝わってくる!
ゆったり飛んでくれているおかげで、風圧はそれほどでもなくて――気持ちいい!
「このまま北都まで連れていってやろうか。皇都であろうと、一飛びでいけるぞ」
黒い鳥が言い、エカテリーナは一気に我に返った。
ぎゃー!それはヤバい。皇都は論外。北都のお兄様のところだって、これで帰ったら大変なことになってしまう!
しまった、竜の背に乗れることに浮かれて、到着した時のこと考えてなかったー。
「い、いえ、先ほどお会いしたところへお連れくださいまし。側仕えの者たちに、待つよう命じておりますの。きっと、わたくしを案じていることでしょう」
ミナや騎士さんたちだって驚くだろうな……。
ああっ、私のバカバカバカー!
だ、だけど千載一遇の機会だったんだもん!反省するけど後悔はしないぞ!
「魔竜王様は、皇都や北都にも、一瞬で移動することがお出来になりますの?」
「いや。俺は『北の王』だ。転移が可能なのは、俺の領土であるこの北の大森林のみ。それ以外への移動は、こうして飛ぶ必要がある。特に皇都は、実に面倒だ。神々が飽和している上、人間の魔力防衛やら何やらが入り組んでいるからな。
とはいえ今のように、竜の姿で押し通れば、俺を止められるものなどありはしないが」
その言葉に、前世のゲーム画面で見た皇国滅亡シーン、燃え盛る皇城を踏み砕いて咆哮するヴラドフォーレンの姿が脳裏に浮かんで、エカテリーナは小さく震えた。
あの中で、皇帝陛下、皇后陛下は、どうなってしまったのだろう。魔法学園は、燃え落ちていたはず。クラスメイトたち、先生、仲良くなった厨房の人たちに、何が起きたのだろう。皇都ユールノヴァ公爵邸の使用人たちは……。
「魔竜王様。どうか……皇都にはお行きにならないでくださいまし」
気が付くと、エカテリーナはそう口にしていた。
「貴方様が皇都においでになれば、人間と争いになりましょう。貴方様は、この皇国を滅ぼすこともお出来になるお方。ですがこのように語り合い、心を通じることもできるお方でございます。争っていただきたくはありません。
死の神様とセレーネ様がわたくしを案じてくださったことは、ありがたいことにございますわ。ですが、そのように案じていただくほどの危険は、皇都にはございませんもの」
一番の危険は魔竜王様、あなたがもたらす皇国滅亡なんですよ……。
私とお兄様の破滅フラグは、ちゃんと折れたのか確信が持てないですけど。そこは、魔竜王様になんとかしてもらえるものではないでしょうし。
「わたくし、来年の夏には再びこの、ユールノヴァに戻ってまいります。その折にはまた、貴方様にお会いして、前世の世界についてお話しいたしますわ。もしもわたくしども人間の為すことで、ご不快なことがございましたら、わたくしにおっしゃってくださいまし。必ずお兄様にお伝えし、皆で正す努力をいたします。どうか、お聞き届けくださいまし」
「俺はもともと皇都は好かん。それがお前の望みなら、来年の夏にまた会うとしよう」
あっさりとヴラドフォーレンは言う。
ふと、その声に笑いが混じった。
「来年には、お前の心も少しは子供でなくなるか?そうであって欲しいような、欲しくないような、複雑な気分だ。そういえば、前世のお前は何年生きたのだ」
う。
「わたくし、前世では二十八歳まで生きましたわ」
「……人間が百年生きる世界で、若くして生命を終えたのだな」
ヴラドフォーレンの声は優しい。
それは……前世の記憶を取り戻したら十五歳だったし、すぐ学園に入学して周りも子供ばかりだったから、アラサーってすごく歳食ってる気分だったけど。確かに早死にしちゃったなあ。
「前世でも、お前には兄がいたのか。家族が大事だったか」
ふと思い付いたようにヴラドフォーレンは尋ねたが、答えはすぐには返らなかった。
しばしの間の後に、エカテリーナは低い声で言う。
「……いいえ。わたくしは一人っ子で……薄情な娘でございました」
その言葉に、黒い鳥はけげんそうにエカテリーナを見た。
しかし、竜がばさりと翼を鳴らして、高度を下げた。
「そろそろ着くぞ」
竜の首と翼の間からちらりと見えた、街道沿いの湧水のある小さな空き地。
その上空を一度旋回すると、ヴラドフォーレンは地上に着地した。
背のエカテリーナに気を使ってくれたのだろう、ソフトランディングである。
竜が首を地上すれすれまで下げてくれたので、停まっている馬車と駆け寄って来る数人の人間が見えた。ミナと騎士たちだ。
「ミナ!皆様!」
立ち上がって、エカテリーナは手を振ってみせる。
よほど驚いたのか、数名の騎士が足がもつれたようになっているのが見えた。
「お嬢様ーっ!」
ミナの声が聞こえる。ずいぶん心配してくれたのがその声音だけで解って、申し訳なさにエカテリーナの胸がきゅっと痛んだ。
「あそこに下ろしてやろう」
「はい、お願いいたします――」
エカテリーナがまだ言い終わらないうちだった。
凄い迅さで駆けてきたミナが、大きく跳躍するや、竜の頭に跳び乗ったのだ。
そこから、首の突起から突起へと跳躍し、ミナはあっという間にエカテリーナのもとへたどり着く。
「お嬢様!」
「ミナ――」
その言葉すら言い終わらないうちに、抱き上げられていた。
ギッ、と鳥の姿のヴラドフォーレンを睨み付けたのも一瞬で、ミナはすぐさま竜の背を後にし、腕の中にエカテリーナを抱いているとは思えない軽やかさで来た経路を逆にたどると、元の空き地へ降り立った。
「……」
今、何が起きたんでしょうか。お姫様抱っこでジェットコースター状態だったんですが。
状況に全くついていけていないエカテリーナであった。
「お嬢様……!」
ミナは、エカテリーナを強く抱きしめている。初めて聞く、ミナの震える声。
ああ、本当にすごく、心配をかけてしまった。
「お嬢様、ご無事で!」
オレグを始めとする騎士たちも駆け付けてきて、エカテリーナを取り囲む。彼らがヴラドフォーレンに武器を向けるのを見て、エカテリーナははっとした。
「心配させてごめんなさいね、ミナ」
ミナの身体に腕を回してぎゅっと抱きしめると、しかしエカテリーナは厳しい声で言った。
「でも、わたくしを下ろして」
「お嬢様」
「皆様、武器を下ろしてくださいまし。あの方はわたくしに親切にしてくださいました。ユールノヴァに敵対する存在ではございません」
「はっ……」
ためらいがちに彼らが指示に従うと、エカテリーナはヴラドフォーレンの前に進み出て、跪礼をとった。
「ご親切にお送りくださり、ありがとう存じました。楽しいひとときでございましたわ」
「エカテリーナ」
竜の姿で、ヴラドフォーレンは穏やかに言う。
「これから幾千年の時が過ぎようと、俺はお前と交わした会話の全てを、忘れることなく思い返すだろう。
お前が在る限り、俺はユールノヴァに敵対することはない。お前が望むなら、皇国とも、人間とも、敵対しない。争いを望まないなら、自分を大事にするがいい。すべて、俺がお前を望むがゆえだからな」
ヴラドフォーレンは巨大な翼を広げた。周囲に大きな影が落ちる。
「また会おう」
その言葉を最後に、巨竜は颶風を巻き起こして飛び立った。
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