再起動
ヴラドフォーレンは戸惑った様子で、しばし応えなかった。
よるべない子供のような目で自分を見つめる少女を、ただ見返している。
ややあって、微笑んだ。困ったように、優しく。
「どうした……?つい先刻、数億年もの太古の出来事を理路整然と語ったお前が、子供のように」
「わたくしは、ずっと、閉じ込められて育ったのです」
エカテリーナの頬を、また涙がつたい落ちた。
「ずっと、お母様と二人きりで、不自由な暮らしをしておりました。お父様と、お祖母様が亡くなられて、ようやくお兄様に助け出していただいて、まだ一年にもなりません。お兄様と同じ邸に暮らせるようになって、きちんとお話しできるようになってからは、半年も経っていないのですわ。
お母様も、亡くなられました。わたくしと、お兄様は、お互いのほかに誰もいないのです」
先ほどよりは年相応の口調になったが、その表情はなお子供のようで。
「わたくしは、もっともっと……お兄様とご一緒しとうございます」
エカテリーナは、とうとうしゃくりあげた。
「……泣くな」
ヴラドフォーレンは、エカテリーナの髪をくしゃりと撫でる。指先で触れた時とは違い、子供にするように、少し荒っぽく。
そして、腕の中に抱き寄せた。
エカテリーナはあらがわない。ヴラドフォーレンの胸にもたれて、くすん、くすんとすすり泣いている。
ヴラドフォーレンはふっと嘆息した。
「お前は、一体、何者だ……?その輝くばかりの美女の姿で、賢者のように語り、子供のように泣く」
「わたくしは……」
わたくしは悪役令嬢です。
言ってはいけないけれど。
「わたくしは、ただの、わたくしです。ただ、このように、生まれてきたのです」
「……そうか」
単純なようで、哲学めいた答えに、ヴラドフォーレンは苦笑した。
「美女であり、賢者であっても――子供では、娶るわけにもいくまい。
わかった、帰してやろう。望みはなんなりと叶えると言ったのだ、竜に二言はない」
……!
「好きな男がいると言うなら奪うまでだが、兄ではな」
「ありがとう存じます……!」
エカテリーナはぱあっと顔を輝かせる。
再起動ー!
ころりと表情を変えたエカテリーナに、ヴラドフォーレンは呆れたような、けれど眩しげな顔をした。
その顔からさっと目をそらし、エカテリーナはヴラドフォーレンの腕の中から、じりじりと抜け出そうとする。
悪戯な表情で、ヴラドフォーレンはつと彼女の肩を押さえた。
「お前は、年齢はいくつなのだ」
「わたくし……十五歳にございます」
「嫁に出る年頃ではないか」
うっ……。
いや普通にお嫁に行くのと、この状況は違いすぎますから!
「ぜ、前世、わたくしが暮らしておりました国では、十五歳はまだ婚姻を許されておりませんでしたわ。女子は、十六歳にならなければ婚姻してはならないと、法で定められておりましたの」
いや結婚可能年齢って、男女共に十八歳に法改正されたんだっけ。もうされてたのかな、これからされるって話だったかな。駄目だ、はっきりわからないや。
「ほう。寿命の短い人間が、ずいぶんとのんびりしていたものだな」
「前世の世界、特にわたくしの生まれた国では、この皇国よりもはるかに人間の寿命は長うございました。百年生きることも、珍しくありませんでしたのよ」
「ほう。……やはり、お前の話は興味深い」
ええー!
やだーおうちに帰してー!
青ざめたエカテリーナにヴラドフォーレンは笑い、彼女の身体をひょいと抱き上げると、少し離れたところへ下ろしてやった。
「心が俺にない女なら、側においても詮無いことは知っている。無体をするつもりはない、安心するがいい」
よ、よかった。
……安心しろと言うなら、人の反応見て面白がるのをやめてください。
「魔竜王様は、人間の女性に詳しくていらっしゃいますのね」
ついつい、エカテリーナは皮肉っぽく言ってしまう。ヴラドフォーレンは平然と言った。
「人間の女は、俺の見た目を好くからな」
ぐわー!
なんかやり場のない感情が!
「三つの国を越えて追ってきた女もいた。それでしばらく『神々の山嶺』の向こうで過ごしたこともある」
嫌そうな表情からして自慢ではないらしい。これが自慢でないことがすごいが。
「御心にかなう女性はおられませんでしたの?」
ふと、ヴラドフォーレンの視線が遠くなったようだった。
「……三千年生きて、二人いた。どちらも聖の魔力を持つ、聖女だったが」
聖の魔力!
エカテリーナの脳裏にフローラの顔が浮かぶ。
聖の魔力の持ち主は、古代アストラ帝国で聖女と崇められていたんだった。聖の魔力に目覚めた人がいるだけで、魔獣の活動は鎮められると言われるほど、影響力があると。
そして……『玄竜クラスの強大な魔獣を鎮める巫女の役割を担っていた』と聞いたような。
あと、かつて魔獣掃討のために、聖の魔力の持ち主にユールノヴァ領に滞在してもらったことがあるそうだ、とお兄様が教えてくれた。
「聖の魔力の本質は、循環だ。世界を創り出したきり放り出す創造神を補完し、世界を継続させるための存在らしい。世界に魔力が滞留しすぎ、荒廃する時代に生まれてくる。魔獣は生物に魔力が憑りついて変質したものだからな、魔力を循環させ和らげる聖女の存在は、心地よいと感じる」
ちょ……。
今サラッとおっしゃいましたが、それはこの世界の秘密レベルのことでは⁉︎
ああっ、そういえば乙女ゲームのタイトル!
「インフィニティ・ワールド〜救世の乙女〜」!
インフィニティって永遠とか無限のことだけど、♾マークはウロボロス、自分の尾を咥えた蛇の図案。終わりなく巡り続けることが、すなわち永遠であるという言葉。
それがまさに、ヒロインの役割を示す言葉だってことか!
わー!なんで、こんなとこでタイトル回収してるんだよー。
そういうことは、ゲームのクライマックスでフローラちゃんに言って!悪役令嬢に言うたらあかん!
魔竜王ルートって、ゲームのトゥルーエンドだったのかな。多分そうだよね。
「どうした」
ヴラドフォーレンにけげんな顔をされて、エカテリーナは我に返った。
「ご無礼いたしました。その……わたくしの友人が、聖の魔力を持つ聖女でございますので」
「ほう」
とは言ったものの、ヴラドフォーレンの表情は皮肉げだ。
「本物かどうか。人間は、魔力の質をよく見誤るからな」
なにおうフローラちゃんは間違いないぞ!
一瞬ムキーとなったエカテリーナだが、はたと気付く。聖の魔力は一世代に一人いるかどうかの超稀少属性だが、それでもヴラドフォーレンが言った『世界に魔力が滞留しすぎ、荒廃する時代に生まれてくる』からすると、多すぎるのではないか。
土属性に、アイザック大叔父のようなそこに入れるのはどうかと思う魔力の持ち主がいるように、聖の魔力の持ち主とされた先達にも、実は違う人がけっこういるのかもしれない。
そこでエカテリーナはにっこり笑い、自信を込めて言った。
「友人は本物の聖女ですわ。間違いございません」
「何かを知っているようだな。そうか、本物か」
ヴラドフォーレンは笑う。いくらか関心は持ったようだ。
しかし、紅炎の瞳がエカテリーナを捉えると、燃えるように揺らめいた。
「聖女はまれな存在だが、お前は唯一無二だ。……今は手放すが、いつまでも放っておくとは思うな」
美声がいっそう低く、熱が込もっている。
ひえええええええ。
ええええ。
えええ。
やめてーフリーズするー!
動揺しまくるエカテリーナであった。
が、ふと拳を握ると、きっとヴラドフォーレンに向き直る。
「これだけは申し上げとうございます」
「うん?」
「わたくしのお兄様が、貴方様のそうしたお言葉をお聞きになった場合、貴方様に決闘を申し込む可能性がございます。
その場合、わたくしは必ずや、お兄様に助太刀いたしますわ!」
ヴラドフォーレンは笑い出した。




