求愛
フリーズ。
エカテリーナの脳内には、『予期しない問題が発生したため終了します』と書かれたポップアップがどーんと表示されている。BGMは、いかにもエマージェンシーチックなビープ音だ。
前世社畜SEのトラウマが全開すぎるが、処理が停止していて何も考えられない。
さ、再起動。
復旧時の最終手段、電源ボタン。……電源ボタンはどこに……。
「もうひとつ、言うべきことがあった」
エカテリーナの手を取ったまま、ヴラドフォーレンが言う。
「お前は美しい」
予期しない問題が発生しました!
「生き物にはそれぞれの美しさがある。人間の女として、お前は美しい姿をしていると、俺にも解る。
……この山々の奥地に、まだ人間の知らない滝がある。白い滝の流れ落ちる岩肌が、深い青色をしている。青と白の対比が、世にも美しい。お前の色彩は、あの滝に似た美しさだ」
ヴラドフォーレンのもう一方の手が、エカテリーナの藍色の髪に縁取られた白い顔の輪郭をなぞる。指先が触れるか触れないかの、微かな感触。
「大陸の中央にそびえる『神々の山嶺』の一角に、巨大な氷河がある。裂け目をたどった奥底に、大伽藍のような空間がある……そこでは、人間が誰一人見たことのない、氷の中を泳ぐ魔魚を見ることができる。
お前は氷河の青を知っているか?宵空よりも深い青、海の底のような青が満ちている。青い氷の中を、魔魚の群れは金銀の光を発して泳ぎ、たゆたっている。夜空を流星の群れが泳ぎまわるかのようだ。この世界にも、お前がまだ知らない驚異、見たことのない美が存在している。
お前が望むなら、見せてやろう。俺だけが知るこの世界の驚異を、ことごとく。
俺の手を取れ。共に来い、エカテリーナ」
――青い氷河の中を流星の群れのような魚が泳ぐ……。
なにそれ見たい。前世のネット記事でよくあった、死ぬまでに見たい世界の絶景十選とかぶっちぎる勢いで見てみたい。
なんて思ってるのも現実逃避だよね!
魔竜王に手を取られたままずーっとフリーズしてて、ピクリとも動けてませんよええ。
ようやく動いた頭の片隅でさえ、しょーもないことしか考えられません。
だって苦手なんだよー!
前世、恋愛は黒歴史しかなかったのよ……モテない女でしたよ……。それでも高校大学と一回ずつ、告白してもらってお付き合いしましたけどね、二回ともなぜか相手がすぐ俺様化して、嫌になって別れたらストーカー化して、しまいにゃ刃物を突きつけてくるという、そっくりな流れをたどってしまい…… 高校の時はちょっとチャラ男タイプで、大学の時はおとなしい地味男子だったんだけど、どうしてああなった。私の何が悪かったのか。
不幸中の幸いというか、どっちも警察にパトロール強化をお願いしてたおかげで、すぐお巡りさんにドナドナしてもらえたけども。
あの時はほんっとに、疲れた。怖かったし……悲しかったし。
『もう男と付き合うのは懲りた。もう一生おひとりさまでいい。もーやだ』
って友達に愚痴ったら、
『あんたはその方がいいかもしれない。他をスルーしてあれに行っちゃうあたり、とにかく恋愛に適性がない』
と真顔で返されたのは痛い思い出。
わーん他をスルーって何のことだよー!私の何が悪かったってんだよー!
だから今生はブラコンですごく幸せ!あんなに素敵なシスコンお兄様と、シスコンブラコンのラブラブ兄妹で幸せだもん。
伴侶とか手を取れとか言われても……。
前世でも今生でも見たことないレベルの美形にそんなこと、プ、プロポーズみたいなこと言われて、なんかもう気が遠くなりそうに舞い上がる気持ちもあったりするけど。前世でだってプロポーズなんかされたことないもん、嬉しくなっちゃったりもするんだけど。
たちまち手が冷たくなる。頭の芯が凍るみたい。
ひときわ大きなビープ音と共に思考がダウンしました。閉店。
「……わ、わたくしの、婚姻は、お兄様がお決めになること。わたくしの、一存では、お答えできませんわ。どうか、お許しあそばして」
処理がいろいろ終了している頭のため、とぎれとぎれの震え声で、エカテリーナはようやく言う。
「そうか。植林のことを話した男が言っていたな、お前はユールノヴァ公爵の妹だと。現公爵はお前の父でなく兄か」
ああ、フォルリさんのことだ。植林の試行を確認しに行った時、玄竜の眷属とされる竜告鳥と遭遇して、植林について説明したと話してくれたことがあった。
「お前はそれでいいのか。ただ公爵の言うがままで」
「もちろんですわお兄様はわたくしのことを世界で一番想ってくださる方ですもの」
突然ノンブレスで力説するエカテリーナ。頭が半分閉店していても、ブラコン揺るぎなしだ。
「わたくしはお兄様が大好きですの。お役に立ちたいと思っておりますわ」
「……ふん」
気に入らない様子で、ヴラドフォーレンは眉をひそめる。それでも容貌の美麗さに陰りがない、どころか若干迫力が増したのが恐ろしい。
「お前を得るには、公爵を同意させねばならんのか。居場所は……北都だな。俺がおもむいて、挨拶とやらをするのか」
人間の爵位も礼儀も慣習も、意にも介さぬこの存在にとって、それはあまりにわずらわしいことだろう。エカテリーナ自身については、好ましく思う上、死の神という後ろ盾がある。しかしその家族は、ただの人間にすぎない。
そして彼は、挨拶という知識はあれど、それがいかなるものか理解していないだろう。
「面倒だ」
多少の考慮を、ヴラドフォーレンはすぐに放り投げてしまったようだ。
「お前はすでに、俺の側にいる。このまま、ここにいてくれればいいだけだ」
いや寄らないで!さらに距離をつめてこないで!
威力わかってるくせにその顔を近づけてくるなー!危険物は取り扱えませんってば!
フリーズさえも突き抜けて、あわあわしているエカテリーナを間近で見つめて、ヴラドフォーレンはふっと微笑う。
その笑みは、国をも滅ぼす最強竜のものとは思えぬほどに、優しかった。
「望みはないか、エカテリーナ」
紅炎の瞳がエカテリーナの視線を捕らえる。響きの良い声が、甘く囁いた。
「やりたいこと、欲しいもの、なんなりと叶えてやろう。お前はその美しい姿のまま、老いることなく生きられる。宮殿で暮らしたいなら建ててやる、俺の配下の者共を、人間の姿で仕えさせよう。古い神のもとへ伴い、英知の言葉を聞かせてやろう。共に世界を駆け巡り、この世界の驚異を見せてやる。
ユールノヴァが気になるなら、奴らには益をもたらしてやろう。魔獣を抑え、人間どもに森の恵みを分け与えてやる。ユールノヴァの人間たちにとって、森は平穏な場所になるだろう。森を保つ譲歩をしてきたのだ、俺としても否やはない。
俺を望め、エカテリーナ。ここに、俺の側に、留まるがいい」
……。
……。
……。
エカテリーナを見つめていたヴラドフォーレンが、はっと息を呑む。
少女の目から、はらりと涙がこぼれ落ちた。
「……わたくしを、おにいさまのところへ、かえしてください」
はらはらと涙をこぼしながら、童女のような声音で、エカテリーナは言った。




