世界と脅威と
「植林とやらも、前世の知識によるものか」
「さようにございますわ。わたくしが生まれた国では、古くからおこなわれておりましたの」
高校時代にレポート書いた時に調べたけど、日本では室町時代からだそうな。
「前世の世界でも、人間は魔獣との共存を考えるようになったのか」
う。誤解。
「いいえ、前世の植林は、それが理由で始まったわけではございませんわ。あの世界には、魔獣は存在いたしませんでしたの。それだけでなく、魔力も、神々も、伝説に語られることはあれど、実際には存在しないものとされておりました」
「存在しない?」
ヴラドフォーレンが瞠目する。
「ばかな。魔力がないなら、空飛ぶ乗り物とやらはどうやって空を飛ぶのだ」
ああっ、飛行機は魔力で飛ぶと脳内補完されていた!
動力の話をしていないから仕方ない、というより当然か。ど、どうやって説明すれば!
「油を燃やして、熱を力に変えるのですわ。その力で空を飛ぶのです」
これくらいが精一杯です……。
間違ってはいないと思うぞ。エンジンって超ざっくり言えば、そういうことをやっていたはず。
「油……」
と納得いかなそうに呟くヴラドフォーレンから、エカテリーナはそっと目をそらす。彼の脳内はどんなことになっているのか、考えると怖い。巨大なランプみたいなものが空を飛んでる想像とか、してないだろうか。
それにしてもここまでの美形になると、納得いかなそうな表情が美形にちょっと可愛さを添えて、さらなる危険物になるから怖いわ。
「魔獣も、魔力も、神々も存在しないか」
ヴラドフォーレンの、燃えるように赤い瞳がエカテリーナを見た。
「それでは、人間に脅威は何ひとつないことになる」
おおう、そうきた!
ランプ想像してるとか思ってすみません。
「何ひとつ、脅威がなかったとは申せませんわ。火山の噴火や、地震、洪水といった自然災害の前には、人間など小さな存在でございました。けれど……あなたさまや神々のような、人間を圧倒する存在は、前世には確かにおられませんでした」
「人間はやりたい放題だな」
うぐ。
「仰せの……通りと言って過言ではなかったと存じますわ」
だって、ねえ。
人間が絶滅させた動植物って、どれだけあるんだろう。
どこかで、人類の影響で地球上の動植物の二十五パーセントが絶滅危機にある、って一文を見たことがある。なかなか衝撃的だったから、覚えているんだよね。
対して人間の世界人口推移グラフって、ここ二百年くらいでえげつないくらいの急カーブで上昇してた。1800年頃、世界人口は十億くらいだったらしいんだよね。キリのいいことに。そこから、2000年頃には七十億だか八十億だかだよ。百億に到達する日も近いと言われてたっけ。
前世、人間は世界を食い尽くして肥大していたと言って、間違いないんだろう。
……1800年頃って、産業革命が始まった頃なんだよね。
それを思うと、この世界の蒸気機関にあたるであろうアイザック大叔父様の虹石魔法陣が、どう世界を変えるかが恐ろしくなる。
前世の産業革命の良い面を見れば、人類は多くの病気を克服し、栄養状態が改善し、治水などの技術も進んで、かつては住めなかったようなところにも住めるようになり、多くの人が生きられるようになった。
けれどそれは、多くの他の生き物からすみかを奪い、絶滅へ追いやることでもあった。
そうして結局、気温は上昇するわ、気候変動は激しくなるわ……自分たちに跳ね返ってきていた。
虹石魔法陣には、温暖化の懸念はない。それがあらためてありがたいわ。
そしてこの世界には玄竜、翠竜など神に近いほど強力な竜がいて、自然破壊を許さないでくれる。神々も、人間があまりに勝手なことをすれば怒り災いをもたらす。それを恐れることが、人間のやりすぎを防いでくれるだろう。前世と違って。
私が過労死した後、あの世界はどうなったんだろう。
なんとかなったんだろうか……。
「どうした」
ヴラドフォーレンに声をかけられて、エカテリーナは我に返った。
「ご無礼いたしました。やりたい放題は結局、己の身を滅ぼすものだと、思い起こしておりましたの」
「前世では、人間は滅んだのか」
「いいえ、わたくしが前世の生命を終えた時には、人類は未だ繁栄のさなかでございました。ですが、その繁栄が世界に大きな影響を与え、多くの種を危機に追いやり、人類の存続をも危うくする危険な兆候が数多くある、と警告する声が高まっておりましたわ。あの危機を人類が乗り越えることができたのか、答えを知り得るものではございませんが、気になりますの」
「滅びて何もおかしくはない。身の程を超えて栄えたものは、滅びるのがさだめだ。ましてや世界を変えて、他の多くの種を絶やすような繁栄ではな」
三千年を生きる最強無敵の竜はあっさりと言い、エカテリーナは苦笑した。
「異世界でも、人間は強欲な生き物だったようだな。そこまで世界を危うくしていたか」
「仰せの通りにございますわ。ですが、人間は特別でございましょうか。生きとし生けるものは皆、生きて生き抜きたいものでありましょう。食べたいものを食べて腹を満たし、伴侶を得て多くの子を成し、その子らが健やかに成長してさらに栄えることを望むのは、人間だけのことではないはず。人間はただ、それを叶える機会を持っただけでございます」
ヴラドフォーレンは赤い目を細める。エカテリーナの反論に、むしろ興を覚えたようだ。
「人間の他に、世界を変えて他の多くを滅ぼすような繁栄をした生き物がいるか?」
「前世の研究では、いるとされておりました。はるかな太古に、実際にそうしたことが起きたと」
全地球凍結。
地球全体が氷河に覆われた、氷の星になった時代があった。当時の赤道付近にさえ、氷河の痕跡が見付かっているそうだ。
その気候変動により、大絶滅が起きた。
その原因は、とある生き物だと言われている。
「ほう。その生き物とは」
「藻ですわ」
エカテリーナの答えに、ヴラドフォーレンはけげんな表情になった。
「藻だと」
「はい。水中に繁茂する植物でございます」
全地球凍結を引き起こしたとされていたのは、光合成バクテリアだったと思うけど、あれ植物でいいんだよね。違っても、細菌が発見されていないこの世界では説明できないので、これで勘弁してください。
「藻がどうやって世界を変える」
「ただ生きて、息をして、ですわ。
植物も呼吸をいたします。ただ、吸うものと吐くものが、動物とは逆ですの。植物が吐く息には、世界を冷やすものが含まれます。動物はその冷やすものを吸って、世界を暖めるものを吐くのですわ」
酸素も二酸化炭素も、ついでに初期の地球に充満していたメタンとかも、この世界では発見されていなくて概念すらないので、こんな説明で勘弁してください。呼吸っていうか光合成だけど、植物だって夜には二酸化炭素を吐くのだったと思うけど、そこも勘弁してください。ほんとにいろいろ雑な説明するしかないなー。
「太古の昔、目に見えぬほど小さな藻が大繁殖し、世界を暖めるものを食い尽くしたのです。そのため、世界のすべてが凍りつき、生き物は死に絶えました。先ほど仰せになった、南の密林の国々にあたる地域でさえ、すべてが凍りついてしまったのですわ」
「そんなことが、なぜわかる」
「岩を調べればわかるのです。そうした技術が、前世の世界にございましたの。岩も永遠の存在ではございません、かつて泥であったり生き物の遺骸であったりしたものが、積み重なり固まって岩となります。それを調べ、岩の元となったものを分析すれば、岩が生み出された太古に起きたことを、知ることができますのよ」
放射能年代測定とかこの世界では……って、もうええわ。
「そこまで凍ったなら、どうやって世界は戻ったのだ」
「長い時間をかけて、火山の噴火と太陽の熱によって。火山の噴火でも、世界を暖めるものは吐き出されるのです。それが少しずつ世界を暖め、氷を溶かしたと考えられておりました。
世界が凍ったのは、数億年もの昔のことでしたの。氷が溶けるまでは、数千万年もの歳月が必要であったとされておりましたわ」
「……」
呆れたような、しぶしぶながら感心したような表情で、ヴラドフォーレンは口をつぐむ。
「わたくし、前世でこのことを知りました時、人間は藻とさして変わらぬ程度の生き物だったのだと、なんともいえない気持ちになりましたの」
正確には、漫画やネットでちょいちょい見かけた、人間は他の生き物と違って自然を破壊する醜い存在、とかって台詞が思い浮かんで、いや、藻でも機会があれば環境を滅ぼすんだわ、人間はたいして特別じゃないんだわ、と思ったんだよね。
極論っちゃ極論かもしれないけど。
ただ生きて繁殖しただけのバクテリアに対して、人間は自分たちの手で世界を作り替えたのだけども。
それに、バクテリアと違って人間は、他の生き物がやらないことをやっている。このままじゃ大変なことになる、って予測して、京都議定書やらパリ協定やらでCO2削減しようとしてたり。
でも、CO2排出量の多い国ほど反発してて、見通し暗かったなー。国以外にも、そんなことより経済活動!っていう企業や人は多かったし。
経済活動っていう言葉を使っても、その根っこは、どこまでもさらに繁栄したいっていう動物的欲求なんだろうね。
私だって人のことは言えない。連日深夜まで残業して、電力使いまくって、エコとは程遠い生活でしたよ。日々の暮らしで精一杯でした。
明日は今日と同じだと思ってた。数字を見て、グラフを見て、温暖化の知識を持ってはいても、今生きている今日は昨日と同じだったもの。未来に破滅があるなんて、考えることはできなかった。
ま、人類が破滅するはるか前に私は過労死して、今は破滅フラグに祟られてますけれども。
未来を考えず、ただ今だけを考えて生きた結果、他の種を巻き込んで滅んでしまったなら。結果として人間はバクテリアと同じことをしてしまった、同レベルの存在という結論になるんだろう。
「ですが、藻も人間も、どうして繁栄を目指さない生き物になれるでしょうか。しょせん生き物の本能には、さらに増え、さらに栄えようとすることしかないのですわ。繁栄の頂点を極めたのだから、ここからはもう栄えてはならない、という考え方ができるほどには、前世の人間たちは特別な生き物ではなかったのでございましょう。
それは、悪でありましょうか」
万物の霊長なんて自称してたんだから、ちゃんと本能を制御できなきゃいかんやろ。とは思うけど、生き物として行き着く果てにきて、サクッと適切な方向転換をするのは、難しい。
方向転換が必要、ということに気付けただけ、人間は今までの生き物より頑張っていると思うんだけど。
物事って、結果がすべてだからなあ。
ただ、人間は悪だとか、醜いとか、そんなことはないと思ってる。人間は、他の生き物と、たいして変わらないんだろう。良くも悪くも。
「人間の多くは、日々を精一杯生きることしか知らないだけなのですわ。できましたら、どうか、あまり嫌わないでくださいまし」
と言って、エカテリーナはヴラドフォーレンに微笑みかけた。