旧鉱山と虹石
もうひとつお土産がありますの、と言ってエカテリーナがガラスペンを渡すと、アイザックはこちらも大いに喜んでくれた。
アレクセイにプレゼントしたような華やかな色ガラスではなく、色なしの試作品だ。フィールドワークで足場の悪いところを旅することも多いアイザックだから、破損してもいい物のほうが適切でしょう、というアーロンのアドバイスに従った結果である。
「すごいねえ、羽根ペンよりずっといい。こんなことを思い付くなんて天才的だ、エカテリーナはすごい子だ」
いえ、天才は大叔父様です。そしてこれは、私が思い付いたわけじゃないんです。ガラスペンの本当の発明者、前世明治の風鈴職人さん、本当にすみません。
「こういう細長いものをガラスで作ると、強度が難しそうだね」
「やはりそこにお気付きですのね!職人の工夫で、強度を高めておりますのよ」
「そうなの?どんな工夫だろう」
興味深げに、アイザックはガラスペンを見つめる。
「うーん、温度かな。強いガラスを作るには、高温が必要なはずなんだ。他にも方法があるかもしれないけど」
「ああ、思い出しましたわ。炉に工夫があるということでしたの。先代親方の工夫が詰まった炉でなければ、強度が出せないと」
「それは興味深いね。一度見てみたいなあ」
「ぜひ、皇都にいらした折には、ご覧になってくださいまし。大叔父様の学識で職人に助言をいただければ、いっそう素晴らしいものが生まれるに違いありませんわ。顕微鏡の職人にも、会っていただきとうございます」
大叔父様に助言をもらって工房の設備をさらに向上して、レフ君に亡き先代ムラーノ親方を超える作品を生み出してもらえたらいいな。彼も天才なんだから、あながち夢じゃないよね。
ていうか、ただミーハーに、天才と天才のツーショットが見たい!
熱心に言うエカテリーナを、アイザックはにこにこと見た。
「君も鉱物に興味があるんだね。嬉しいなあ」
誤解!
いや嫌いではないですが、ガラスを鉱物と捉えているわけではないのでして。ガラス工房に関わることになったのも、なりゆきだったんです。
でもこんなに純粋に嬉しそうな大叔父様にそんなこと言えない!
そんなわけで、ええまあその、とにごしてホホホと笑うエカテリーナに、アイザックはこう言った。
「僕からも君に、ちょっとお礼がしたい。一緒に旧鉱山に来てくれないかな」
かくして、エカテリーナは大叔父に同行することになった。
お礼などとお気遣いなく……と答えかけたのだが、アイザックの背後でアーロンが『ぜひ!』とジェスチャーゲームばりに身振り手振りを加えて勧めてきたので、受けることにしたのだ。
「アレクセイは元気かい」
「はい、お元気ですわ。でも、日々お忙しくて心配ですの……」
あわよくば大叔父を、アレクセイの過労死フラグを折る陣営に引き込む下心満載のエカテリーナである。
「大叔父様からもお兄様に、働きすぎないよう身体をいたわってほしいと、おっしゃってくださいませんこと?」
「あの子はそんなに忙しいのかい」
目を見張って、アイザックはショックを受けた様子だ。
「兄様もそうだったのかな。僕ときたら、仕事を増やしてしまうばっかりで、役に立てなくて……」
ああっ地雷が埋まってた!
いえ大叔父様、あなたが増やす仕事はユールノヴァの未来につながるものですから――って仕事を増やしていることを肯定してるぞ自分!口に出してないからセーフ。あぶないところだった。
などという会話をしながら鉱山事業本部を出て、旧鉱山へのゆるやかな勾配を登る。
公爵令嬢たるもの、こんなわずかな距離でも、邸や学園の敷地の外を自分の足で歩くなど稀なことだ。しかもこの道、鉱山から出てきた筋骨たくましい鉱夫たちが、手押し車に採掘した虹石を乗せて行き交っていたりする。
アレクセイがここにいたなら、エカテリーナが下賤な男どもの視線にさらされて歩くなどとんでもないと、馬車か輿でも用意させたかもしれない。しかしアレクセイは不在で、立場的にエカテリーナの保護者たるべきアイザックは、鉱夫たちから「先生、お元気そうで」などと声をかけられて「ありがとう、元気だよ」などと気さくに返したり手を振ったりしているのだった。
「えらい別嬪さんとご一緒で」
にやにや笑って言う鉱夫もいるが、エカテリーナがにこやかに「恐れ入りますわ、ごきげんよろしゅう」などと返すとぽかんと見惚れ、その後アーロンやミナにぶっ殺されそうな目で睨まれてビクッとなったりする。雉も鳴かずば撃たれまいに、だ。
灰色の岩山にポッカリと口を開けた、鉱山の入り口が見えてくる。
そして蒼みがかった灰色の岩山は、やはり異様な迫力というか、圧力をもってのしかかってきた。
「お嬢様、坂がしんどいですか。あたしが抱いてお連れしましょうか」
山を見上げて足取りが重くなったエカテリーナに即気付いて、ミナが言う。エカテリーナはぷるぷると首を振った。ミナはエカテリーナをお姫様抱っこしてスタスタ歩ける戦闘メイドだから、本当にやってくれかねないが、それはあまりに恥ずかしい。
「いいえ、疲れたわけではなくってよ。ただ……」
言葉が見つからず、エカテリーナは眉を寄せた。この感覚に覚えがある気がするのに、思い出せない。
そんなエカテリーナを見て、アイザックはおやという顔をした。
「エカテリーナは、神々のどなたかにお会いしたことがあるのかい」
「えっ⁉︎」
思いがけない言葉に、エカテリーナは声を上げる。
「今、この山には山岳神が三柱くらい降臨なさっているみたいだよ。公爵家の参拝があることを、神官たちが言上したからだろうね」
さらりとアイザックはすごいことを言った。
「大叔父様、そのようなこと、お解りになりますの?」
「うん、山岳神にはよくお会いするから」
さらりとアイザックはすごくとんでもないことを言った。
いやあなたは何者ですか大叔父様⁉︎
歴史に残る天才学者に加えて、どういう属性を持っているんだ!
しかしそれで、エカテリーナが感じていた疑問は氷解する。
そうか、これは、神威だ。死の神と対面した時に、感じたもの。
山岳神殿に祀られている山岳神は、一柱ではない。ユールノヴァ領のすべての山々の神を祀るのが、この神殿の役目だそうだ。特に採鉱する山々の神に、山肌を傷付けて鉱物を採取する罪科への赦しを請い、怒りを宥めることが、この山岳神殿の最大の役割。
しかし神殿に山岳神を祀っても、神そのものが降臨するとは限らない。呼びつけるような非礼は許されておらず、気まぐれに降臨されるのを願うばかり。とはいえここ数十年、つまり祖父セルゲイが参拝するようになり、その後アレクセイが役目を引き継いでからは、公爵家の参拝の際には少なくとも一柱の山岳神が降臨されるそうだが。
「存じませんでしたわ。山岳神が神殿に降臨なされる場合、この山に宿られるとは」
「この山の神は山岳神の中でもとりわけ位が高い方でね、他の神々も、山岳神殿に降臨される前に挨拶に立ち寄られるそうなんだ。温厚なお方で、開祖セルゲイ公の正妻クリスチーナ様はこの神殿の巫女でいらしたんだけど、あの方のことがとてもお気に召していたそうだよ。今でも、山岳神殿とユールノヴァ公爵家に良くしてくださる」
そうだったんだ……クリスチーナさん、ありがとうございます。
そういえば、ユールノヴァ騎士団の忠誠の誓いが騎士の肩を軽く叩く派で、思い切りぶん殴る闘魂注入派にならずに済んだのも、初代貴婦人だったクリスチーナさんが優しい性格だったおかげだったな。温厚な神様と優しい巫女で、相性が良かったのかも。
そんな話をしているうちに、一行は旧鉱山の入り口に着いていた。
鉱夫たちが降りてゆく本坑道の他に、鉄格子で塞がれ立ち入り禁止の札が貼られた坑道がある。現在は使われていない鉄鉱を採取していた頃のものだと、アーロンが教えてくれた。鉄格子には、南京錠で鎖された扉がついている。アーロンが持ってきた鍵で南京錠を開け、さらに準備よく持ってきていた虹石のカンテラを出し、彼の先導で細い坑道をたどっていった。
「ここに何かがございますの?」
「いいや。本坑道でもいいんだけどね、ここの方が人がいなくてやりやすいだけ」
と言って、アイザックははたと立ち止まった。
「ああ、怖いよね。女の子にこんな暗いところへ来てもらってごめんよ。僕はまたうっかりして……」
「大叔父様、どうぞお気遣いなく。皆様とご一緒ですもの、怖くなどありませんわ」
中身、アラサーですから。暗くてこわーいきゃー、とか言っても需要のない人生くぐってますから。SEは夜間リリースも普通でしたし、帰宅は深夜がデフォの社畜でしたし。すげえ、大丈夫な要素しかないな前世の自分。
しかし、やりやすいって何がだろう。
「エカテリーナは優しくてしっかりした子だ。頑張っていいのをとってみるよ」
また謎の言葉を口にして、アイザックはその場に片膝を突いた。
(あっ……)
魔力が張りつめる。
アイザックの魔力が、足下の岩盤に流れ込んでゆくのを感じる。稲妻のように素早く、深く深く、地の底へと。
土の魔力、では、ないのだろうか。エカテリーナの土の魔力は、岩盤にはこんな風に流れない。アイザックは特殊な魔力属性の持ち主なのか。土とは近しいけれど土ではない、岩の魔力とでもいうべきもの?
その魔力の流れゆく先は、エカテリーナには到底追いきれない。
と、アイザックが呟いた。
「掴んだ」
魔力が反転する。
はるかな深みから、何かが引き上げられてくる。
「これは大きい!」
エカテリーナと同じ土属性の魔力でアイザックの魔力を感じていたのだろう、アーロンが興奮気味の声を上げるのと、彼が持つカンテラよりはるかにまばゆい光が坑道に満ちるのとは、ほぼ同時だった。
「ああ、これはいいのが持ってこれた」
アイザックがのんびりと、しかし少し疲れのにじむ声で言う。
その腕の中に、まばゆいばかりに強い光を放つ、抱えるほどに大きい虹石があった。




