差し入れしてみた
執務室のドアをノックすると、アレクセイの従僕イヴァンがドアを開けてくれて、エカテリーナを見て目を丸くした。
「お嬢様、そんな大きな荷物をお持ちになるなんて」
さっとバスケットを取ってくれる。ミナと違ってにこにこと愛想のいいイヴァンは、ミナと同じく気の利く従僕なのだ。ライトブラウンの髪と琥珀色の瞳が優しげで、アレクセイとそう変わらないほど背の高い、なかなかのイケメンである。
「ありがとう。皆様にお茶を淹れていただける?」
「いい匂いしますね。これ、どうされたんですか」
「うふふ。わたくしが作りましたの」
思わずニッコニコで言ってしまったら、驚愕された。そんなすごい顔しなくても。
「閣下、お嬢様がお越しです」
立ち直ったイヴァンが声をかけ、アレクセイが顔を上げた。
「エカテリーナ。どうしたね」
「お兄様に、お食事をお持ちしましたの」
「お嬢様がお作りになったそうですよ」
イヴァンがバスケットを差し上げて見せ、アレクセイは目を丸くした。アレクセイだけでなく、執務室にいる公爵領幹部たちまでが、一斉に頭を上げてこちらを見ている。
そんなに驚くか。
ま、ちょうどいいや。
「皆様、少しお手を止めて、お食事なさいませんこと?軽食程度ですけど、お料理してみましたのよ」
「作ったとは……まさか」
「はいお兄様、食堂の厨房を借りて、わたくしが。……あの、教わりながら作りましたし、それほど心配はないと思いますわ」
言っている間にも、できる従僕のイヴァンが皿を並べ、バスケットから出したクレープもどきを盛り付けてくれる。そうそう、と思い出してエカテリーナはしっかり紙で包んだものをイヴァンに渡した。
「これはあなたの分ですわ、冷めないように包みましたの。皆様へのお給仕が済んだら、召し上がってね」
「俺にもですか」
イヴァンは驚きつつも嬉しそうに受け取った。
「……美味い」
一口食べたアレクセイが軽い驚きを込めて呟いたのを聞いて、エカテリーナは舞い上がった。
やったー!今のはお世辞じゃなかった!ぽろって口から出てたもん!
お兄様に褒めてもらえたー!
「これは、庶民が屋台で買って食べるような軽食ですね。学生の頃はよく食べたものです、懐かしい……や、ソーセージに辛子が塗ってあって美味い」
しみじみ呟きながら噛み締めているのは、幹部たちの中では若い鉱山長。眼鏡をかけた学者風の容貌で、名前はアーロン・カイルと言うそうだ。
「皇都では家庭の味だ。私の実家ではタマネギとベーコンを炒めた具が定番だったが、ジャガイモとベーコンも美味いものだ」
渋い声でのどかなことを言うのはアレクセイの右腕、ボリス・ノヴァク。ノヴァク家はユールノヴァ家の分家なので公爵領の出身と思いきや、皇都の下級官吏だったところを祖父セルゲイに取り立てられ、ノヴァク家の入り婿になったらしい。
「公爵領でジャムなどを乗せた甘いやつを食べたことがありますが、こういう具もよいですね。他国にも似た料理があります」
興味ありげに料理をためつすがめつしているのは、商業流通長を務めるハリル・タラール。褐色の肌から、他国の出身であることが明らかだ。世界各国に拠点を持つ大商会の宗主の血を引き、他国の事情にも詳しくいくつもの言葉を話せるという。
彼らの他に、森林農業長、財務長、行政長、騎士団長、弁護士(法律顧問)などがアレクセイのブレーンとして働いており、入れ替わり立ち代わりこの執務室を訪れて、報告や裁可願いなどを行う。彼らの多くが祖父セルゲイが見出した人材で、それぞれの分野の精鋭ぞろいだ。セルゲイが孫に遺した最大の財産と言っていい。彼らがいればこそアレクセイも、学業と公爵としての業務を両立することが可能なのだった。
そんな彼らが庶民的な食べ物を囲んで、仕事と関係ない雑談を和やかに交わすのは、珍しい光景である。
「ノヴァクの実家の話など初めて聞いた。皇都のどの辺りだ?」
「下町です、閣下はご存知ありますまい。私ももう、かれこれ二十年は足を向けておりません……だいぶ変わったことでしょう。
アーロン、お前はどうだ」
「私も実家はとんとご無沙汰です、なにせ五男ですから。実家のほうは、私がいたことなんぞ忘れ果ててるでしょうね」
「五男ならまだまだ、うちは男兄弟だけで十人です。父は妻が三人おりますので」
「それはすごいな、ハリル」
男たちの笑い声が上がりーーーエカテリーナの存在を思い出してピタリと止まった。
「皆様、どうぞお気遣いなく。楽しそうでいらして、何よりですわ」
エカテリーナはにっこり笑う。前世の会社生活でセクハラパワハラ一通り体験してますんで、妻が三人て話題で気を遣われても、それがどうしたどんと来い、としか。
「皆とこんな話をすることはあまりないんだ。お前のおかげだよ、エカテリーナ」
「お兄様に喜んでいただけて、嬉しゅうございますわ」
うふふ、とそれはもう満面に微笑んでしまうエカテリーナであった。短くても気分転換するのは良いことなんですよ、過労死フラグ対策として。
「明日も何か作ってまいりますから、召し上がっていただけますかしら」
と言うと、アレクセイは顔をしかめた。
「気持ちは嬉しいが、お前が手ずから料理など。こういうものを厨房に用意させるようにするから、もう止めた方がいい。怪我でもしたらどうする」
「でも、作らせるのは気乗りしなかったのでございましょう。学園に特別扱いを要求するのはほどほどにいたしませんと、ユールノヴァ公爵家の評判に傷をつけることになりかねないというご配慮は、ごもっともですわ」
「む……」
あ、やっぱり。
食にこだわりがないせいもあるけど、この辺も気にしてるんだろうと思ったら当たりだ。
以前、お前の為なら成績くらいなんとでもする発言してたのに、自分のことでは遠慮しちゃうってお兄様らしいわ。
「同じクラスに、お昼をご自分で作る方がいらっしゃいましたの。一緒にお料理して、おしゃべりして、楽しゅうございました。どうか続けさせてくださいまし」
「……お前がそう望むなら」
渋々ながらアレクセイがうなずくと、幹部たちがこっそり笑いを噛み殺した。仕事では情にほだされることのないアレクセイが、妹には大甘な姿は彼らにとって微笑ましいものだった。
アレクセイたちが仕事を再開してからも、エカテリーナは執務室に残って細々とした手伝いをし、昼休みの終わり近くになってアレクセイが仕事を切り上げてから、教室へ戻っていった。
アレクセイが去ってからも、幹部たちは執務室で仕事を続ける。昼休みに決定した方針に沿って彼らの部下へ指示を出したり、書類を作成したり、やるべきことは山ほどある。放課後アレクセイが戻ってくるまでに、それらに区切りをつけねばならない。
「まさか、ご令嬢の手料理をいただけるとは思いませんでしたよ。初めてお会いしましたが、エカテリーナ様はお美しくてお優しい方ですね。
それに兄君思いでいらっしゃる。公爵閣下にもようやく御身を気遣ってくれる家族がお出来になったと思うと、感慨無量です」
アーロンが嬉しげに言う。
「同感ですが、それだけではないお方のようですね。
ノヴァク卿、この提案、いかがでしょう。エカテリーナ様のご発案です」
「なんだと―――何だこれは、荷馬車?」
受け取った書類を見て、ノヴァクはけげんな顔をした。
「以前からの懸案だった公爵領の商業活性化策です。あれをご覧になったエカテリーナ様が、アーロン卿への報告書で見た、鉱山から皇都へ地金を運ぶ荷馬車を活用してはどうかと。
皇都から公爵領への帰り、荷馬車の荷台は空です。どうせ護衛まで付けて公爵領へ帰るのなら、自前の荷馬車を持たず皇都からの仕入れが出来ない小さな商店などの荷物を、格安で載せて帰る。こうすれば皇都の品を扱える店などが増え、商売が活発になるのではとおっしゃったのです。
思えば、我が実家の商会が所有する貨物船は、往きも帰りもなるべく荷を積んでいます。荷馬車で同じことをするわけです」
「……」
ノヴァクは真顔で書類を読み込み始める。
「商売は専門外ですが……何気ない思いつきのようでいて、なかなか画期的な提案のように思えますよ。我々の発想は、つい縦割りになってしまう。そこを超えて柔軟に組み合わせられる人材はまれです」
アーロンの言葉に、ハリルは頷いた。
「その通りです。世間をご存知ない深窓のご令嬢が、このような案を思い付くとは驚きました。さすが閣下の妹君、セルゲイ公のお孫様です」
エカテリーナがこの評価を聞いたら『前世で物流システム開発したことがあるアラサーなだけです!サーセン!』と内心で叫ぶだろう。
しかし、これは始まりに過ぎないのだった。