死の神
「創造神……とおっしゃいまして?」
この世界の神話では、創造神は、マントを着て目深にフードを被り、杖を手にした人の姿をしているとされている。
フードに隠れた顔は双面であるとも無貌であるとも言われ、手にした杖には二つの鈴『宿命』と『偶然』が結び付けられているという。
――創造神は杖を振った。宿命、偶然、いずれかの鈴が鳴り、無に光が生じた。
エカテリーナが読んだ創世神話は、そんな風に始まっていた。挿し絵に描かれていた創造神の杖は錫杖のような形で、少し驚いたことを覚えている。
創造神は杖を振り、鈴が鳴って、世界が創られてゆく。鳴った鈴が宿命であるのか偶然であるのか、それが語られることは決してない。
創造神は、言葉を発することはないようだ。そして、人間とは関わりを持たない。ただ勝手に、宿命か偶然かを投げかけるのみ。他の神々も創造神とは関わろうとせず、創造神に何かを願った人間を制止したり咎めたりした話がいくつか知られている。
そのため、創造神を祀る神殿は存在しないそうだ。
「そうだ。お前たちが聖の魔力と呼ぶものは、創造神の力に繋がっているからだ」
死の神が言う。
ど、どういうことでしょうか。
でもなんか、すごいな聖の魔力。フローラちゃん、さすがヒロイン。
「創造神が杖を振り、お前が前世を生きた世界に偶然が干渉したのやもしれぬ。
お前が読んだ物語をつづった者は、それとは知らずこの世界の、聖の魔力を持つものの宿命を垣間見、それを描いた。それがお前の魂とこの世界のえにしを生み、魂が移ることとなった……。そういうことかもしれぬ。かの者のやりそうなことだ」
おお……じゃあ、あれですか。クリエイターが時々『降りてきた』『最初から出来上がっていたみたいだった』とかって小説とか音楽とかを創作することがあるけど、インスピレーションの正体ってそういうものかもしれないわけですか。異世界の神様の無茶振り?
「……人間に話すべきでないことを話した。他の者には決して話すな、お前のもとに創造神が現れて、宿命か偶然かをもたらすことがないように」
宿命とか偶然とか、それ絶対逆らえないやつですね。気をつけます。
「肝に銘じますわ。あの、わたくしごときが案じることも非礼とは存じますけれど、秘密をお話しいただいて、お二方の御身にお困りごとは起きぬものでございましょうか」
宿命と、偶然。神々でさえ、あらがえるものではないのでは。
死の神はふっと笑った。
「神を案ずるとは、さすが世界を超える魂と言うべきか。……さて、創造神がどう出るかは誰にもわからぬ。ただ、かの者は、我らに対してすでに杖を振っている」
思わずエカテリーナは、死の神とセレーネを見る。
「それがどの時点のことであったかは、我にも解らぬ。我を崇めていた者達がセレーネの先祖に滅ぼされ、我は封じられた神となった。その時か。代々我を封じていた一族の娘が、『冥』の魔力を持って生まれた。その時か」
封じられた神?
そういえば、この世界では神と魔は紙一重。被征服民族の神が、魔物扱いに堕とされることもしばしばあるのだった。
しかし、『冥』の魔力?
「聖の魔力以上にまれな存在ゆえ、人間たちには知られておらぬ。『冥』の魔力は生命と魂に力をおよぼす、我の巫女となるべき者が持つ力だ。だがその時が来る前に、今度はあの一族が謀殺され、セレーネは生ける者ではなくなった……あの時、かの者は杖を振ったのやもしれぬ」
……思考が筒抜けっぽいのは気にしないでおこう。神様だもんね。
フォルリさんが語ってくれた伝説では、死の乙女は冥府へいざなおうとした死の神を拒んだ、という話だった。
でも、セレーネさんはもともと、死の神と関わりのある一族の生まれだったのか。
じゃあ、セレーネさんが今の、触れるものすべてを死に至らしめるという、死の乙女になったのは――。
「……わたしは自分でこうなったの。自分に『冥』の魔力があるなんて知らなかったけれど、殺されて死んでゆく中で、怒りと、怨みで、わたしはわたしを造り変えていた。本当は生命と魂を癒す優しい力を、すっかり歪めてしまって」
こちらもエカテリーナの心を読んだように、セレーネは言う。
「わたしの一族は、結婚式の夜にみんな殺されたの。姉様の結婚相手に。愛してる、一生守る、生命よりも大事と姉様にさんざん言っていた男に。あんなに幸せそうだった姉様を、あんなにむごく殺した奴らを、絶対に許さないと思ったのよ」
エカテリーナの脳裏をよぎったのは、亡き母の姿。母親の嫁いびりから妻を守りもしない夫に、最後まで恋していた。
お母様を守らなかったクソ親父に、拳とか蹴りとか入れたい……うん、セレーネさんの経験とは比べ物にならないのにそう思うんだから、彼女の悲憤を責めることなんてできない。
「だがそのままであれば、肉体が朽ちて死霊になるはずだった。それを留めたのは我だ。初めは封印を解かせるためだったが……応じなかったな」
セレーネの髪を撫でて、死の神は苦笑する。そんな神を見上げて、セレーネは言った。
「あなたは、とうに自由よ」
「囚われている……深く」
死の神の言葉に、セレーネは微笑む。
そして、エカテリーナを見て、ふふっと笑った。
「わたし、幸せなの。こんななのに、おかしいでしょ。お花に触れられないことだけ悲しいけれど、でも、幸せなの」
ああ、彼女が触れると、花はたちどころに枯れてしまうのだ。
ふと、エカテリーナはひらめいた。
「恐れ入りますわ、少々お待ちくださいまし」
急ぎ足に、天幕へ戻る。ミナの道具入れを開けて探すと、すぐ見つかった。
青薔薇の髪飾り。
レフ君、親切にくれた物を、勝手にごめん。
「セレーネ様、どうぞ。枯れないお花ですわ」
「まあ!」
エカテリーナが掲げた、月光にきらめくガラス細工の青薔薇を見て、セレーネは目を見張った。
地面に置くよう頼まれて、エカテリーナがそうすると、セレーネは恐るおそる拾い上げる。
彼女の手の中で変わることなく美しいままの花を見つめて、ぱあっと顔を輝かせた。
「枯れない……枯れないお花だわ。……なんてきれいな……」
そして死の神を見上げ、セレーネは手にした薔薇を差し出した。
「覚えているかしら。生きていた頃、わたしは毎日お花を摘んで、あなたが封じられていた廟に投げ入れていたの。寂しくないかしらと思って」
「忘れはしない」
死の神が、そっとセレーネの手から青薔薇を取る。
そして、彼女の長い金髪に飾った。
死の神と目を見合わせて、セレーネは微笑む。
「エカテリーナ、本当にありがとう」
「ユールノヴァの娘、礼を言う。この恩義は、いずれ返す」
両者の言葉に、エカテリーナは笑顔で首を振った。
「どうかお気になさらないでくださいまし。喜んでいただければ、それだけで嬉しゅうございますわ」
死の神の、絶世の美貌が笑う。
「解っておらぬな。人の身で神に恩義を与えるのは、小さなことではない。この先、創造神がお前に杖を振ることがあるやもしれぬ。その時、思い出すがいい」