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公爵の効率主義と猫パンチ

ついつい妄想してしまうけど、当時のアストラ支配者が、ジョヴァンナさんが女性であることに気付いていた、少なくとももしかしたらと疑っていたとしたら、『他人に渡すくらいなら……』という言葉の味わいが変わるよね。


支配者の名前は手記に書かれていないけど、まだ若いのになかなかの切れ者だったことは語られている。ヴァシーリー公はこの頃たぶん二十代後半、そのアストラの支配者も同じくらいの年齢だったかも。男装の天才美少女ジョヴァンナさんを奪い合う、地位も能力も備えた若き男性二人……誰かー!この三角関係を映画化してー!

……その前に、この世界に映画を生み出してもらわないとならないか……。


まあ結局、ジョヴァンナさんはアストラを脱出してユールノヴァへ来ることに成功したわけだけど、かなりきわどい所だったらしい。



完全武装の警備兵の一団が、どこへ行くにも付いて来るようになった。発明家ジョヴァンニ・ディ・サンティを警護するためといいつつ、逃がさないための監視だ。発明家は水道の修復などの現場をいくつも掛け持ちして毎日駆け回っていたから、そうした現場の監督に出かけることは禁じられなかったが、それ以外の外出はいっさい許されなくなった。

ヴァシーリー公からの使者とは、会うことを禁じられた。手紙のやり取りはできたが、内容は検閲された。

そんな状況でも脱出できたのは、ジョヴァンナ達自身も思いがけなかった鬼札ジョーカーの出現ゆえだ。


兄ジョヴァンニが父親の前に現れて、ユールノヴァとの橋渡し役を引き受けたのだ。金に困ってる、と言って報酬を要求してのことだったが、最後にジョヴァンナが脱出した時には、突然現れて逆方向へ追っ手を引きつけていった。


『兄さんには感謝してる……兄さんのことだから、お金に困ってたのも、きっと本当だと思うけど』


妹の心情は複雑だったようだが、兄が時間を稼いでくれたおかげでジョヴァンナはアストラの城壁の外へ逃れ、ユールノヴァからの使者と、そして発明家をユールノヴァに連れて行くために来た迎えと合流することができた。



そして合流したとたん、迎えの男に馬の背に押し上げられ、使者と父親とを置き去りにして、二人乗りで爆走することになったそうだ。


『いつ兄さんが囮だとバレて追っ手がこっちに来るかわからなかったから、正しい対応だった。でも、無茶苦茶だった!』


……その時のことが話題になると、ジョヴァンナさん毎度キレ気味になってますね。

しかし、本当にこんなだったら、確かに無茶苦茶だわ。


なにしろ、普通は七日かかる道のりを、一日で駆け抜けたそうなので。


七日を一日。

いやこれは記載ミスだろう、と思ってフォルリさんに確認したら、いえ事実にござります、と無造作に断定されました。可能なんだそうだ。

まあ、七日かかるというのは馬をポクポク歩かせちょくちょく休憩する普通の移動でのことで、早馬なら二日の距離だそうだ。でも、途中で何度も馬を替えてめいっぱい走らせての最速で、もちろん二人乗りなんかしない。それでやっと二日。

それを、あちこちでショートカットしてとはいえ、ずっと同じ馬に二人で乗ったまま、一日で駆け通した。

それが可能な馬が、この世界には存在するのだね。


クルイモフの魔獣馬。


フォルリさんが可能と断定できるのは、セルゲイお祖父様の親友だっただけに、お祖父様の魔獣馬ゼフィロスをよく知っていたから。ゼフィロスも同じくらいのことが出来たそうだ。

セルゲイお祖父様と同じくヴァシーリー公も、当時のクルイモフ伯から魔獣馬を贈られていた。


つまりユールノヴァから発明家を迎えるために来た男は、ヴァシーリー公その人だった。


ジョヴァンナさん、あなたは正しい。確かに無茶苦茶!

三大公爵家の公爵閣下が何をやっとるんですかー!

しかしヴァシーリー公、効率の権化というか、そうするのが効率的とか効果的とか判断すると、前例も常識もほっぽってサクッと実行してしまう人だったらしい。それだからこそ、賢公としてユールノヴァの歴史に名を残すほどの功績を残すことができたわけだけど、同時代の身近な人間にとっては、いろいろ困った人だったと。


ジョヴァンナさんはこの時まで、馬に乗ったことがほとんどなかったそうだ。

ただでさえ、初心者が馬の背に乗ると高くてびびるし、馬が歩くと意外に揺れて怖い。

それが、いきなり爆走。

魔獣馬は並みの馬の全速力くらいの速さをずっと維持できるそうで、周囲の景色がちぎれとんで見えたそうだ。馬の全速力って、時速五十キロくらいなのかな?車や電車での移動に慣れている前世とは違う、ジョヴァンナさんにとっては想像を絶する体験だっただろう。後ろからがっちり抱きかかえられていたけれど、とにかく怖かったと。さらに、人の背丈ほどもある壁を跳び越えた時には悲鳴を上げ、河を大跳躍で跳び越えた時には――。


『気絶したけど悪い⁉︎』


それから数年後であろう森の民の長相手に回想している時点でなお、キレ気味、というかキレているジョヴァンナさん。

あなたは悪くないです。……ご先祖様、なんて事をしてるんですか。

いや捕まるわけにはいかなかったのは解るんですけどね。当時のアストラ周辺だと、魔獣馬も異端とか穢れた存在とか言われてアウトだっただろうし。普通の馬に見えるように偽装して行ったろうけど、こんな爆走しちゃったらバレバレだから、いったん走り出したら安全圏まで駆け通すしかなかったのは解る。

でも酷い。


ジョヴァンナさんはすぐ意識を取り戻し、その時には二人を乗せた魔獣馬はゆったりした速足程度で進んでいた。

それを停めて、ヴァシーリー公は言ったそうだ。


『君は女だな。本物の発明家はどこにいる』


言われた瞬間、ジョヴァンナさんは思わず、相手を引っぱたいていた。


『私は偽者じゃない!私が発明家、私がジョヴァンニ・ディ・サンティだ!水道を修復したのは私、巻き上げ機やクレーン、工具を発明したのも私、この私!男だろうと女だろうと、頭の中身に違いなんかない!』


溜まりに溜まった鬱憤やら疲れやらストレスやらが爆発して、叫んだ後に大泣きしたそうな。

なお、この時彼女は、相手が公爵とは夢にも思っていない。思わないよね、そりゃ。


『そうか。では、仕事で証明してもらう』


慰めるでもなくジョヴァンナさんが落ち着くのを待って、ヴァシーリー公はあっさり言った。嘘をつくなとか、女にできるわけがないとかいった言葉を予想していたジョヴァンナさんが驚いて見上げると、何を驚くと言いたげに見返したそうだ。


『上手にネズミを獲る猫なら、雄だろうが雌だろうが気にするものか』



この後、無事にユールグラン皇国の勢力圏内にたどり着いて、迎えの一団から相手がユールノヴァ公爵だと聞かされたジョヴァンナさんは、もう一度気絶したとのこと。

深く同情します。


のちにヴァシーリー公はこの時のジョヴァンナさんのことを、『毛を逆立てた子猫のようだった』と評したらしい。ビンタも、子猫の猫パンチみたいで可愛いもんだったと。余裕だなー。


お兄様も、私に引っぱたかれたらそんな風に思ってくれるかしら。

いや……駄目だっ。想像でもお兄様をはたくなんてできない!

代わりに想像でお兄様の頭をなでなでしておこう。ついでにハグ。えへへ。

アホか自分。


そんな道中でありながら、ユールノヴァ領へやって来た後のジョヴァンナさんは、大活躍だった。

水道の遺跡修復を手始めに、鉱山の作業を効率化する機械や工具の発明、改善。高炉などの性能向上。さらにはかつて戦闘要塞だったユールノヴァ城を、現在の瀟洒な政治行政の拠点に変える設計を担った。床下暖房やら斬新な採光やらの創意工夫をこらし、建築も監督。まさに八面六臂。

一時は、彼女が撒き散らすアイディアを書き留めるために四人の書記が付き従って、メモを取りまくっては試作担当の職人の元へ走っていたそうな。天才こわい。


故国アストラからちょいちょい発明家を返せという交渉があったり、当時の皇帝陛下からも皇国全体の発展のために発明家を皇都へ出仕させるよう命令が下ったりしたけれど、全部ヴァシーリー公が潰したそうだ。

その中で、発明家の権利を守るための特許の仕組みを考え出して、まずユールノヴァ領の領法として施行した。うちは発明家のために、ここまでやった。アストラも皇国も、まず同じものを作ってみろ。話はそれからだ。――って感じですね。

先進的な取り組みを実現して、巧みに交渉カードにした、ヴァシーリー公も凄い。


もっとやりたいことがたくさんあるのに時間が足りない、と嘆くジョヴァンナさん、完全にワーカホリックです。過労死イエローカード。

しかし、あまりに寝食忘れて働いていると、ヴァシーリー公が首根っこを掴まえて、ベッドへ投げ込んで休ませたそうだ。やだもっと働く、と駄々をこねる彼女を押さえ込んで寝かせたと。

そんなことをやってた割には、この二人まとまるまでに時間がかかったそうで、森の民の長にちょくちょく揶揄われている。


『我が伴侶』


細密画ミニアチュールの裏に記されていた言葉。

あらためて思うけど、ユールノヴァ公爵が『伴侶』という言葉を使うのは、とても重いことだ。性別を偽っている上に、大きな身分差のあるジョヴァンナさんを、ヴァシーリー公は本当に深く愛したのだろう。言葉ひとつに、それが表れている。


手記の終わり近くの晩年、公爵位を嫡子に譲ったのち、ヴァシーリー公は何度かジョヴァンナさんにプロポーズしたらしい。結婚しておかなければ、ジョヴァンナさんはユールノヴァ家の霊廟に入ることができないから。

皇室や三大公爵家の墓は、巨大な霊廟というか迷宮じみた地下墳墓カタコンベのようなものだそうで、内部は数多くの部屋に分かれており、代々の当主とその家族は同じ部屋で棺を並べて眠りについているという。ヴァシーリー公はジョヴァンナさんと、死した後も一緒にいたかったのだ。

発明家ジョヴァンニ・ディ・サンティの名を捨てて貴族女性に身分を偽る必要のある申し出だし、やはりいろいろ無理があるから、ジョヴァンナさんは頷かなかった。なにより、若くして亡くなった奥様に悪いからと。


でも、ヴァシーリー公の棺をデザインして、そこに猫を彫らせたそうだ。

猫の傍らには古代アストラ語が刻まれている。『生ける時も死せる後も離れざりき』と。




「……驚くべきお話ですわ」


読み終わった手記を見つめて、エカテリーナはしみじみと言う。


「当時の森の民の長、ルシオラ様は、ジョヴァンナ様のまさに親友でしたのね。これほど何もかも包み隠さず話せるお友達がいらして、さぞ心強かったことでしょう」

「大王蜂と共生する私どもの生き方に、きっと最初は驚いたでしょう。彼女の故郷アストラでは考えられないことだったはずですから。だからこそ、自由を感じたのかもしれません」


アウローラは微笑んだ。現在の森の民の長としての誇りが、その言葉ににじんでいるようだ。


「森の民が、わたくしどもユールノヴァ家にとってどれほど信頼できる友であるかが、よく解りましたわ。このような秘密が、当時も今も守られてきたのですもの。ユールノヴァの娘として、お兄様と共に大王蜂の森を守り森の民との友誼を大切にしていきたいと、あらためて思いましてよ」


この手記を見せてくれた目的のひとつは、きっとそれだろう。

ユールノヴァ公爵家にとっての森の民は、忍者の里か影の軍団みたいと思っていたけど、本当に深い信頼関係にあるんだ。これからも、Win-Winでお願いしたいです。


「ところで、お尋ねいたしますけれど」


エカテリーナは咳払いする。前世日本人として見逃せない言葉が、手記に書かれていたもので。


「森の民は……森にある温泉をよくご存じですの?」

「はい。この居住地にもございますよ。ただ、屋内ではありませんので、お嬢様は落ち着かないのでは」


そ、それってつまり。

天然温泉露天風呂ですね!

皆様のおかげで、本作書籍化2巻の発売予定日が6月1日に決まりました!

活動報告にカバーイラストを掲載しました。今回もとても素敵ですので、よろしければご覧くださいませ。

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― 新着の感想 ―
アストラさん、気づいていたのでは?とそわっとしてしまいました
[良い点] 温泉。何と心温まる響きか。ついにお披露目ですな。どんな効能があるのかな?鉱山の土地だけに成分も豊富そうですね。 そういえば、体を洗うにあたっては何を使うのでしょう? 石鹸などは元からあるの…
[良い点] 過去ヒロイン素敵です。可愛い系美人と想像しています。 それにしてもこの物語、本当に奥が深くて広い広い。 [一言] 美女二人で温泉露天風呂...やったね!サービスシーンですね!(見えない) …
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