単眼熊vs悪役令嬢と仲間たち
打ち合わせ通り、全員配置についた。
エカテリーナは地中に魔力を流し込む。距離があるので、細い線のように土中をたどらせて、単眼熊の下へ溜め込んでゆく。
エカテリーナが操る魔力の量と速度を感じ取ったのだろう、フォルリがほうと唸っていた。
準備ができたエカテリーナがうなずくと、フォルリが片手を上げる。振り下ろす。
それと共に、エカテリーナは思い切り魔力を発動した。
(どおりゃー!)
この内心の気合い、令嬢としてとても人には聞かせられない。しかし効果はあった。
ドオン!
地響きを立てて、甜菜の畑が局地的に陥没する。もうもうと土ぼこりが上がって、まるで狼煙が焚かれたようだ。それがいくらか鎮まってみると、よけられた土が周囲に盛り上がって、巨大すぎるモグラの穴といった風情だった。
直径約三メートル、深さ、推定十メートル。
単眼熊の姿は、どこにも見えない。
フォルリが手を振り下ろした時、それを合図にレジナを始めとする猟犬たちが馬車の側から駆け出していた。放たれた矢のように疾走し、あっという間に穴を囲んで吼えたてる。
「単眼熊め、もう登ってきておりますな。頭が見えておりますが、猟犬に吼えられて、出ることはできずにおるようです」
……フォルリさん、この距離でそんなの見えるんですか。ワイルドライフな現場主義すげえ。
そして単眼熊の身体能力もすげえ。十メートルもある垂直の穴を、どんだけ速く登ってくるんだ。
でも魔獣でなくても、前世の熊だって身体能力はすごかったからなあ。熊が車に並走してくる動画を見たことがあったけど、あれ確か時速四、五十キロで走ってたはず。魔獣の単眼熊なら、垂直の崖だって、人間が階段登るより速く登ってしまえるんだろう。
あ、見えた。穴のふちに盛り上がった土を盾にして、外へ出ようと様子をうかがっている。
ガアッと吼え声が聞こえて、熊がレジナに向けてごつい爪の生えた前足を振り上げた。けれどそこへゴウッと突風が吹いて、熊は盾にしていた土ごと穴の中へ転げ落ちる。
エカテリーナがフォルリを見ると、ふっと笑みを返された。フォルリの魔力属性は風、突風は彼が起こしたものだ。
この発動の速さと制御の正確さ。さすが老練の技。
単眼熊はすぐにまた登って来て、猟犬たちが退いた隙に穴から出てきたが、その時には騎士たちが到着していた。槍を構えた騎士たちに包囲され、熊はかえって穴に逃げ込もうとする。
そうはいかーん!
エカテリーナは魔力を放ち、穴のふちに土壁を築こうとした。が、単眼熊は強引に突っ込んできて――。
土壁にめりこんだ。
「……」
正確には、地面から盛り上がりかけていた土壁に突っ込んだせいで巻き込まれて、頭と両前足だけが土壁の向こうに出て、胸から下が土壁のこちらに残った状態で、宙吊りになってじたばたしている。
コントかよ!身体張って笑いを取ってどうするんだクマー!
……しかし銃火器なしで熊を止められるなんて、魔力って便利。なるほど、魔力持ちが支配階級になるわけだ。貴族が強い魔力を欲するわけだ。実地で理解しました。
苦笑した騎士たちが、気を取り直して槍を構えた。
(あっ……)
とっさに、エカテリーナは目をそらしてしまった。
見届けるべき、だろう。責任があるんだから。でも、見られない。
ただ、声は聞こえてきた。
考えてみたら……生き物が生命を絶たれるところに立ち会うのは、前世と今生を通して、これが初めてだ。
いや、ただ立ち会ったわけじゃない。この掃討を決めたのは、私なんだから。手を下すのが自分でなくとも、あの生命を絶ったのは、私だ。私が、あの熊の生命を奪った。そう自覚しなきゃ。
「お嬢様、お加減が悪いんですか」
主人の様子にすぐさま気付いて、ミナが声をかけてくる。
「いいえ、大丈夫。体調は問題なくてよ」
エカテリーナは首を振ったが、我ながら顔色が悪いだろうと思う。どうしたんだ自分。まるで繊細なご令嬢みたいじゃないか。
と、ミナがエカテリーナの身体に腕を回して、ぎゅっと抱きしめた。
「あたしとしたことが。普通の女は死体が苦手なんでした。ましてや優しいお嬢様には、無理に決まってます。どっかへお連れするんでした」
「ミナ……」
今の、なんかお兄様が言いそうな台詞と行動なんだけど。この世界では、マジでシスコンが空気感染する病気だったらどうしよう。
って、そんなわけないだろ自分。
「わたくし、本当に大丈夫よ。それに死体が苦手なんて、いつもお食事でお肉をいただいているのですもの、そんなことを言うのはおかしいと、わかっているの」
うん。忘れちゃいけない、肉は生き物がお亡くなりになった姿だ。それをいただいているのに、生命を奪うのは残酷だとか嫌だとか、寝言は寝て言えってもんだよね。
だから目をそらしてどうする、って思うんだけど。
……すみません、見られません。なんだろう、理屈が通用しない……震えてますよ。うう、惰弱。
「あの……皆さま」
おずおずとした声がかかって、エカテリーナははっとした。
「ありがとうごぜえやす。おかげさまで、残りの甜菜は育てられそうで。本当に、なんてお礼を言ったらいいか」
助けを求めてきた老人が、ぺこぺこと頭を下げている。ミナから離れて、エカテリーナは老人に微笑みかけた。
「お礼なんて言わなくてよくてよ。領民を守るのは、わたくしたちの務めなのですもの。あなたの力になれたのなら、嬉しいこと」
「ありがたい、ありがたいこって」
老人は涙ぐんだ。
フォルリが、ふっふと笑う。
「お嬢様、単眼熊は全身が利用できる、よき獲物にございまする。毛皮は丈夫で暖かな外套になり、肉は滋養に富む。なにより特殊な器官を持ち、そこに溜まる液はすぐれた回復薬の原料となりまして、高価に売れますので」
……さっきまで熊に食われる心配をしていたけど、今は熊を食う側になっているわけか……まさに食うか食われるかの関係。
しかしそうか、フォルリさんありがとう!
「借財があるのでしたわね。単眼熊のお代が返済の役に立てば、何よりですわね」
災い転じて福となす。人生万事塞翁が馬。たくさん辛いことがあったおじいさんに、良い事があったと感じてもらえるといい。
でもって、これからも甜菜を栽培して、真面目に暮らして、納税してくれれば、為政者側としては一番ありがたいですよ。
昔、アイヌの人たちは、狩の獲物を神として祀ったそうだけど、ちょっとわかる。
ありがとう、単眼熊。おまえの生命で、生きていける人がいる。
老人はあわてて首を振る。
「いえ、そんな……熊は皆さまが獲ってくださったんで、皆さまのもんで」
「あなたのものよ。お孫さんがいらっしゃるのでしょう、滋養のつくお肉を食べさせてあげられるわね」
本来なら、故郷で被災した時にケアしてもらえていたはずだったもの。今ごろだけど、埋め合わせに。
「うまいものを食わせてやれる……ありがたいこって……!」
老人はもはや、涙にむせんでいる。
この頃には、他の村人たちも様子を見に来ていた。先ほど熊を穴に落とした時の、狼煙のような土ぼこりで気付いたのだろう。
遠巻きにしている中の一人が村長だとフォルリが気付き、呼び寄せた。単眼熊の処理と取り分についててきぱきと取り決める。
毛皮や回復薬の原料などは老人と孫たちのもの、大量の肉(今回の単眼熊は体重推定二百キロ)は老人一家が多めに取るが村人たちにも分ける(冷蔵庫も冷凍庫もなく保存がきかないこの世界ではそれがベスト。一部は干し肉にするらしいけど)、骨も村人たちで分けるが頭蓋骨は老人のもの(獣害よけにとても効果があるそうだ)と、いうことになった。
エカテリーナは村長を讃えておいた。行くあてなく困っていた老人と孫に空き家を貸し、畑(耕作放棄地的なものだが)も貸したのだから。人道的で優しいことですわ。これからも、この方をよろしくお願いしますわね。と。
ま、家も畑もタダじゃなかったから、おじいさんが借金に苦しんだわけですが。まあそこは、仕方ない。村長だって慈善やる余裕はないわけで。
そこをつっこむより、これからおじいさんと孫たちがここで暮らすなら、好感度を上げといたほうがいいでしょう。……農村とよそ者って、悪くするとすごく悲惨なことにもなりかねないイメージ、あるしねえ……。
村長はあたふたしながらも、貴族令嬢に褒め讃えられてかなり嬉しそうだったので、これからおじいさん一家に良くしてくれると期待しよう。
熊を捌くのは老人と村人にもできるけれど、回復薬の原料になる器官を採るのはコツがあるそうで、それは騎士たちがやってくれることになった。
「お嬢様にいいところをお見せできませんでしたので、せめて役に立ちましょう」
拍子抜けだった単眼熊掃討をオレグがそんな風に言ったので、エカテリーナは首を振る。
「皆様の連携が完璧で、熊をひるませたからこそですわ。危険をかいくぐるのではなく、危なげなく勝利した皆様の技量のほど、わたくしは感服しております」
結果的にコントになったけど、騎士の皆さんに隙があったら、単眼熊は穴に逃げ戻るより、特攻かけるほうを選択したんじゃないだろうか。
ファインプレーより、一見地味なアシストのほうが大事。って、サッカーファンの友達が言ってました。
その言葉に騎士たちは再び胸に拳をあてて一礼し、作業に向かった。
それを待つ間、エカテリーナは村はずれの手が回らず荒れた畑を、土の魔力で土起こししてあげることにした。自分も魔力制御の訓練になって、一石二鳥だ。
雑草が生い茂る空き地に魔力を流し、土を深く掘り起こす。全面でぼこぼこと土がうごめいて、雑草と地表を突き破り黒々とした地中の土が盛り上がって、ぐねぐねとのたうつ。
トラクターなんて存在しないこの世界、土起こしは重労働。それが見る間に進んで、あっという間にフカフカと柔らかそうな土に覆われた、作物を植えるのにうってつけの農地が出来上がった。
ふうっ、とエカテリーナは笑顔で息を吐く。
さすがに疲れたー。けど、いい汗かいたぜ!
そこへ、わーっと歓声と拍手が起こった。
「すごーい!貴族様って、すごい!」
「奥様、ありがとうございます!」
見ていた村人たちが、やんやの喝采を上げている。
……ん?
「これ、皆の者。このお方は奥様ではない、公爵閣下の妹君である。ユールノヴァの姫君であるぞ」
フォルリが言うと、えっ?と本気で驚いた声が返ってきた。
「こ、これはご無礼を。公爵さまがうつくしい奥様を連れてこられたと、もっぱらの噂でしたので」
あわてて村長が頭を下げる。
どっから出てきたんですかその噂。うつくしい奥様って私ですか。お兄様の。
あらやだ嬉しい。
ブラコンとして、ちょっとツボです。




