悪役令嬢はじめてのおつかい
アレクセイの執務室は、あわただしい雰囲気だった。
ノヴァクやアーロン、財務長のキンバレイに騎士団長ローゼンといった側近メンバーの他に、領都警護隊の制服を着た隊員たちがしきりと出入りしている。昨晩捕らえたノヴァダイン派の者たちの邸から押収した証拠や、彼らを尋問して得られた自白内容について、報告しに来ているらしい。
「おはようございます、お兄様。お忙しいところに申し訳ございませんわ」
「おはよう、エカテリーナ。来てくれて嬉しいよ」
アレクセイは微笑む。
「お忙しい中でも朝食をとってくださったと聞いて、嬉しゅうございました。お身体だけはおいといくださいましね」
「ああ、お前がそう望むなら」
いつも通り妹には優しいアレクセイだが、そんな彼を、領都警護隊の隊員が驚愕の目で見ている。エカテリーナが来るまでは、捕らえた者たちに対して、血も涙もないかのように果断にして苛烈な対処を進めていたのだろう。
うーん。
さっき恐れられるのは正しいと思ったのに、私がいると恐れが薄らいでしまうような。しばらく、あんまり会わないほうがいいのかな。
でも同じうち(って言うにはめっちゃデカいけど)にいるのに会わないなんて、ちょっとつらいなあ。
あ、でも思えばお兄様、祝宴でも公衆の面前でシスコン全開だったわ。今さらか。
そこへ、ノヴァクが言ったのだ。
「閣下、問題となっていた山岳神殿への参拝の件、お嬢様に代参していただいてはいかがでしょう」
山岳神殿とは、文字通り山の神々を祀る神殿だそうだ。
この世界では神々は確かに存在しており、気まぐれに人間と交流して、恩寵をもたらすこともあれば災厄をもたらすこともある。
ユールノヴァ領内には、いくつかの鉱山がある。ゆえに、山の神々の不興を買ってはならない。山の神々が鉱山に災厄をもたらした場合、その被害はすさまじいものになる。
そのためユールノヴァ公爵家は、開祖セルゲイの頃から山岳神殿を篤く信仰してきた。奉納を欠かさないのはもちろん、節目節目には当主自ら参拝する。ユールノヴァ公爵の責務のひとつだ。
しかし先代のアレクサンドルは、爵位を継承した直後の一回しか、山岳神殿に参拝しなかった。皇都の社交界で、華やかに過ごしているばかりで。そのため嫡子のアレクセイが代参して、山の神々をうやまう務めを果たしていたのだ。
が、そのアレクセイが公爵を継承した今、魔法学園での学業と領都での公爵の職務で、領都から数日かかる山岳神殿への参拝は難しくなってしまった。それでもこの夏期休暇には参拝を予定していたのだが。
まず皇子ミハイルがユールノヴァ領へ来訪することになって、スケジュールが厳しくなった。
さらに、昨日からのノヴァダイン一派の捕縛、その後始末というか調整に、思いのほか時間を要する見込みになってしまった。
そのため、山岳神殿への参拝が難しい状況なのだ。
ぴんときました。あれほど用意周到なお兄様と幹部の皆さんさえ、予想外に時間がかかる調整とは。
ノヴァダインたちの爵位や財産を没収して、他へ振り分けるんですね!
おそらくノヴァクさんの爵位を、子爵から伯爵に引き上げる。爵位を上げることを、陞爵といったっけ。
それをやるための調整は、そりゃあ面倒でしょう。分家の爵位は本家が裁量する慣例とはいえ、魔力を持たないのに爵位をあげてもらえるノヴァクさんへのやっかみは、激しいだろうし。
叩き潰すべき敵より、味方にしておきたい相手のほうが、慎重に対処する必要がある。嫉妬ややっかみへの対応を誤ると、あとあとまで引きずってしまいますからね。ここをしっかりケアしなければならないこと、よく解ります。前世で社会人だった頃、根回しで話を持っていく順番ひとつでヘソを曲げる偉いさんの対処とか、ほんと大変でしたから。
「わたくしがお兄様のお役に立てるとは、嬉しいことですわ。ぜひそのお役目、お任せくださいまし」
はりきってエカテリーナは言ったのだが、アレクセイは渋い顔だ。
「しかし……ユールノヴァ領には、魔獣が多く出現する。途中の山間部には、盗賊など無法者も出る。か弱いお前に一人で旅などさせるのは、危険すぎるだろう」
いえ私はか弱くないんです。そりゃ体力はあんまりないですが、前世の性格を引き継いですっかり図太くなりましたし、か弱いなんて言われると違和感が仕事をしまくります。
とは絶対に言えない!
「閣下、山岳神殿までは街道をたどれば良いだけです。危険な魔獣の出現はほとんどないと、ご存知のはず」
「騎士団の貴婦人たるお嬢様の参拝とあれば、騎士団が同行しお守りいたします。お嬢様お一人ということはございません」
ノヴァクとローゼンが言う。
レアだわ、側近の皆さんに総ツッコミをくらうお兄様。初めて見ました。
そしてふいっと目をそらして聞こえないふりをする、子供ですかあなたは、なお兄様も初めて見ました。いつもは、あなたは本当に十八歳ですか、なのに。
エカテリーナはアレクセイに歩みより、兄の手を取った。
「お兄様、わたくし、行ってみとうございます。ユールノヴァの娘として、我が家が統べる地をこの目で見て、理解したいのです。お兄様のお役に立てるように」
「閣下、閣下のご予定がこうなった以上、山岳神殿への参拝はお嬢様にお願いするしかございません。代参は閣下に近いお立場の方でなければ神々への礼を失すると、ご存知のはず」
「……わかっている」
妹と、ノヴァクから連打を浴びて、アレクセイはふっと嘆息する。そして、エカテリーナの手を握り返した。
「すまない、ただの私のわがままだ。お前が城を出れば、朝、挨拶を交わすこともなくなると思うと……。
いや、たとえ言葉を交わすことがなかろうと、姿を見ることさえなかろうとも、朝目覚めた時、いつも思うんだ。同じ城の中にお前がいると。それを思えば、心が温かくなる。
だから、お前がいなくなってしまうのは辛い。いつも私の側にいてほしいと、そう願ってしまう」
「お兄様……」
はいわかりました私はどこにも行きませ――。
「それほど大切な妹君であればこそ、代参をお願いする意義をお考えください」
アレクセイの嘆きに流されることなく、ノヴァクがいかめしく言う。
「お嬢様が山岳神殿への代参を果たされれば、閣下に次ぐお立場として、神々からも承認を得たと言えましょう。また、昨夜の祝宴で主要な者たちへのお披露目は済んだとはいえ、領民たちには、閣下に妹君がおられることすら知らない者が多数おります。お嬢様の存在を広く知らしめる、よい機会とお考えください」
「山岳神殿へお嬢様がお出ましになるなら、アイザック博士とお会いになる、よい機会にもなりますね。博士は旧鉱山にいらっしゃいます。お嬢様、山岳神殿は旧鉱山のすぐ側なのです」
ノヴァクに続いて、アーロンも言う。その言葉に、エカテリーナははたと思い出した。
「それでしたらわたくし、アイザック大叔父様にお渡ししたい物がございますの」
今朝届いたばかりの、大きな荷物。
「わたくしのガラス工房で作らせていた物が、さきほど届いたのですわ。学術研究に、役立てていただきたい物なのです」
送り主の名はエゴール・トマ。エカテリーナがガラスペン作成のために購入したガラス工房に、畑違いの眼鏡工房から転職してきたレンズ職人。
エカテリーナが頼んでいた、顕微鏡の改良品ができたと送ってきたのだ。もともとエカテリーナは、高名な学者である大叔父アイザックに顕微鏡を使ってみてもらい、使用感を聞きたいと思っていて、改良品ができたら領地に送るよう頼んでいたのだった。
「我が妹は、また興味深いものを作り出したようだ」
笑って、アレクセイは妹の髪を撫でる。
「わかった。お前がそう望むなら、山岳神殿への参拝を頼もう。大叔父様に会って、その顕微鏡を渡しておいで」
「ありがとう存じますわ、お兄様。嬉しゅうございます。たとえ離れても、わたくしの心はいつもお兄様のお側にありますこと、お忘れにならないでくださいまし」
「ああ、その言葉を心のよすがにして待とう。だから、早く帰ってきてくれ」
そう言ったアレクセイだが、その後も四度、愁嘆場を繰り返すことになったのだった。




