第2話 「パイの実」
「お願いします! もっかいウチの酒入れて下さい!」
オレは、東通り商店街にある『パイの実』に来ていた。
そして、店の前の路上で店長に向かい田中と二人で土下座した。
ジャケットの袖を捲り上げ、頭を擦り切れるくらい地面に擦りつける。
朝の会議で、キタの飲み屋まわりのOKをもらったオレは、自分の担当の東通りの飲食店を朝から隈なくまわっていた。
青山カンパニーに奪われた飲食店に、もっかいウチの酒を入れ直して貰うには、こうすることしかオレは思いつかんかった。
朝から四六時中、地面に頭擦りつけて土下座してきたから、額がめっちゃヒリヒリしてる。
おそらく、オレの額の皮は擦り切れてるんやと思う。
でも、オレにはこうすることしか出来んかった。
何やかんや言うても、長い付き合いの飲食店ばっかりや。
義理と人情がこの大阪キタの良さやし、きっとみんな分かってくれる。
そう思い、必死でオレは額を地面に擦りつけ叫び続けた。
「頼んます! もっかい、もっかいウチんとこにチャンス下さい! 青山に負けへんくらいのええ酒揃えますよって!」
ーーしかし。
「本宮はん、ホンマすまんけど、帰っておくんなはれ。青山の滝沢はんから、青山以外のとこから1本でも酒入れたら、今まで紹介した女の子みんな引き揚げる言われてんねや」
「ーーっ!」
「な、ホンマかんにんな。たいらさんとこには、えらい世話になったけど、ウチもええ子おらな店やっていかれへんようなんねん。滝沢はんがキタに来てくれてから、雑誌のグラビアとかに載った女の子紹介してくれたり、ウチのホームページなんかもええように触ってくれるから、店も一気に繁盛し始めてきてん。そやから、な、ホンマかんにんやで」
『パイの実』の店長も、同じやった。
朝からオレらがまわった飲食店の店長は、みんな口々に同じようなことを言ってた。
商店街の店長らは、みんな青山カンパニーの滝沢っちゅう男を神のように崇めてんねや。
今まで、飲食店と『たいら商店』が支え合い、キタの街を盛り上げて来たと思ってたんはオレらだけやったんやろか。
こうも簡単に、縁が切れるなんて、いつからこの街は義理も人情もない街になってもうたんや。
オレは……。
オレは……悔しくて、悔しくて、気づいたら土下座してる顔の周りはオレの涙でぐしゃぐしゃになってた。
こんな悔しい思いしたんは初めてや。
「店長、なぁ頼むわ! オレ、オレも店が儲かるええ方法なんか考えるから、チャンス下さい!」
オレは、悔しくて立ち上がり店長の胸ぐらを掴み懇願した。
顔中、額から流れる血と悔し涙でえらいことなってんねやろうけど、そんなん関係ない。
オレは、店長に顔を思いっきり近づけ頼み込んだ。
そしたら、あんまりにも店長に近づき過ぎたんやろうか。
店長の白いワイシャツに、オレの額から流れる血をポトリと落としてもうた。
その瞬間ーー。
「本宮ぁ! このどアホ、お前なにさらしとんのじゃ」
オレは、急に立ち上がった田中に、思いっきり頬を殴られ、店の前の路上に激しく吹っ飛んだ。
「て、店長ホンマ、このアホがすいません。これクリーニング代やから納めとって下さい」
「……さ、さよか。田中くんすまんな」
田中はオレを睨みつけたあと、店長にポケットから出したくしゃくしゃになった5千円札を渡す。
それに気を良くしたのか、店長は田中に愛想笑いを浮かべる。
でもオレは、なんかそんなん見てると、異様にむしゃくしゃしてくる。
「おおおおおおおお!」
オレは、オレは……
なんか全てが納得いかんで、周りに転げるポリバケツに思わず頭突きをしてしまう。
壊れたポリバケツの破片が、擦り切れた額をガンガン刺激するけど、オレは全然痛みを感じない。
「何しとんねん、お前はっ! 駄々っ子か、ほら帰んぞ!」
田中は、ポリバケツに頭突きしまくるオレのスーツの襟元を引っ張り、オレを引きづるようにして店をあとにしようとする。
すると、そこにちょうど今から出勤なのか、彩未ちゃんがオレたちの前に現れた。
オレは、彩未ちゃんだけでも奪い返そうと、田中の腕を引き払い、彩未ちゃんに駆け寄る。
「彩未ちゃん!……オレ、オレ」
「きゃぁあああああ!」
しかし、彩未ちゃんはオレの顔を見るや否や、店の奥へ逃げ込んでしまう。
「た、田中くん、この顔面血まみれのアホ連れて、はよ帰ってくれ!」
店長のオレへの怒り声が店前に響き渡った。
なんでやねん!
なんでやねん!
オレはただ……。
この街を、みんなでもっかい盛り上げたいだけやのに。
彩未ちゃんに、ちゃんとまたアイドル目指して頑張って欲しいだけやのに。
なんで、みんな分かってくれへんねん。
行き場のない怒りは、涙となってオレの目から頬を伝う。
そして、その場で立ち尽くすことしか出来へんオレの前に、店ん中から一人の男が現れた。
「たいらさん……。困りますねぇ、私たちの営業の邪魔してもらったら」
「ーー!!」
タイトなスーツに身を包んだ、いかにも今風なその男は……。
怯えるようにオレを見つめる彩未ちゃんを、まるで騎士みたく守るように抱きしめオレの目の前に現れた。
そして、オレと田中に会釈したあと、名刺を差し出してきた。
株式会社 青山カンパニー
マネージャー 滝沢 和也
その男が、この街とオレの憧れの彩未ちゃんを奪った、青山カンパニーの滝沢やった。
「お前、よくもまぁ、オレの前にヌケヌケと現れやがって!」
怒りの矛先の張本人が現れたからには、もう容赦はせえへん。
オレは拳を握りしめ、後ろにゆっくりと下がってから思いっきり助走をつけ、滝沢を殴りつけに行く。
ーーバシ……!
しかし、オレは滝沢を殴る前に、滝沢の横から出てきた彩未ちゃんに強烈なビンタをくらってしまう。
「かっこ悪いよ。本宮くん、早く帰って」
オレを蔑んだように呟く彩未ちゃんの表情が、オレの心に重くのしかかった。