頭蓋館事件⑤
「碧花さん、とにかく今は外に出ましょう!」
「え、ええ……」
辛うじて頷いた彼女を立ち上がらせると、少年は一緒になって玄関へ向かった。二人の靴のある場所まで連れて行き、同時に履いたところで、碧花の方でも目の前のドアが見えたらしい。彼らはすぐさま外に出た。
──その時、宰はある人物とぶつかりかける。
「わっ⁉︎ ──あ、藍奈さん⁉︎」
彼女は今まさに屋敷内に駆け込もうとしていたらしく、何やら酷く取り乱した様子だった。泣き出しそうな顔で少年を見上げつつ、藍奈は祈るように両手を合わせる。
「ルナが、ルナが見当たらないんです! きっとまだ家の中にいるんですわ!」
「え? ルナ?」
「私の猫ちゃんですわ! どうしましょう、もし戦いに巻き込まれてしまったら……! 私もう、心配で心配で」
宰は困った顔で様子で、決壊寸前と言った彼女の姿を見下ろした。
──するとその時、彼の背後から、猫の鳴き声が「ニャア」と聞こえて来る。
二人とも、そして傍にいた碧花もそのことに気付いたらしく、宰は振り返り、姉妹は屋敷の中を凝視した。
オッドアイの黒猫は、確かにそこにいた。が、すぐさま身を翻し、右手に伸びる廊下の方へと消えてしまう。
「今の声、ルナですわ!」
彼女たちの視界は未だ濃い霧に遮られており、その姿は少年にしか見えなかったのだろう。それでも頭蓋館へと向かおうとした藍奈を、宰は慌てて押し留めた。
「巻き込まれたら危ないですよ! ……代わりに僕が探して来ますから、外で待っていてください」
「で、でも、大丈夫なんですか? 何故か霧海が出てますが」
心配そうに尋ねたのは、碧花であった。
これに対し、宰は笑顔で答える。
「平気みたいです。少なくとも、霧海は。……それに、僕も少しくらいは仕事しないと」
彼はそう言うと、すぐに踵を返した。そして、「どうかルナをお願いしますわ!」と言う声を背に受けつつ館の中へ向かう。
履いたばかりのスニーカーを脱いで上がった彼は、奥の壁の大穴に目をやった。の向こうには、玄関側の屋根の方を見上げている燎子の姿が見える。
彼女が無事どころか未だ無傷なのを確かめつつ、宰は右手の廊下に進んだ。
そしてすぐに曲がり角へ差しかかり、少年も左に折れる。
薄暗い廊下の両側には部屋のドアが等間隔に並んでおり、従って中庭の様子はわからなかった。
(いったい、どこに行って……)
床の上を彷徨っていた彼の視線は、そこで左手の最奥のドアに止まった。
一つだけ、薄く開かれているのだ。
(……猫って、自分でドアを開けられても、閉めてはくれないんだよね……)
宰は一人頷くと、まっすぐにその部屋を目指した。
──そこは、やはり薄暗いガランとした部屋で、奥には立派な仏壇と、鎧戸の閉じた窓の下に、白い棺が置かれていた。
真夏に死体──と思われていた物──を安置していた関係か、室内は酷く冷房が効いており、凍えるような風が部屋の前の廊下にまで流れ出していた。
ドアを押し開いて中を見た宰は、その風のせいかブルリと体を震わせた。
そして室内に足を踏み入れると、何かに引き寄せられるように、簡素な祭壇へ近付いて行く。
横向きに置かれた棺と向かい合ったところで、宰は足を止めた。今のところ、仔猫の姿はどこにも見当たらない。
(……あれ? ここじゃないのかな……?)
室内を飛び回る彼の視線は、最後にはやはり棺桶に止まった。どうしても目が行ってしまうらしい。
棺は箱の小窓も閉じられており、完全に口を噤んでいた。
怖い物見たさと言う奴が、暫時宰はそれに釘付けとなる。
すると、ほどなくして──
棺桶が、ガタリと音を立てた。
その瞬間、悲鳴は上げなかったものの、宰は肩だけで飛び上がった。
中身は空っぽのはずなのだが、まさか何かが潜んでいるのだろうか……?
極度の緊張に見舞われたかのように凍り付いたまま、彼はまじまじとそれを見つめた。
すると、ダシヌケに、棺の陰から黒い塊が飛び出して来たではないか。
「うわぁっ⁉︎ ──って、な、なんだ、ルナか……」
そう、その正体は、まさしく彼が探していた黒猫だった。
ホッと胸を撫で下ろす姿を、ルナは首を傾げながら見上げていた。まるで、何故驚いているのかわからないと言うように。
気が抜けたように溜め息を吐いた彼は、しゃがみ込み、仔猫に手を伸ばす。
「ほら、おいでー。藍奈さんが心配してるよ?」
宰は微笑みかけながら、ルナを抱き上げた。後はこの仔猫を飼い主の元に届ければ、それで一仕事はクリアとなる。
が、彼はすぐには戻ろうとしなかった。
再び白い木の棺に目を向けたまま、立ち止まっていたのだ。
(……ちょっと確めてみるくらい、大丈夫だよね……?)
宰は棺桶に近付くと、片腕に仔猫を抱いたまま腰を曲げた。そして蓋の上方にある覗き為の窓──その窓の両開きの扉の片方に、手を伸ばす。
左手で取っ手を握った彼は、ゴクリと唾を呑み込んでから、意を決したように扉を開けた。
すると──
「……………………え?」
長方形に切り取られた空間は、濃密な白い霧で満たされており──
「嘘……⁉︎」
彼が呟いた次の瞬間、棺の蓋が内側から吹き飛ばされた。




