頭蓋館事件③
「ほ、本当ですか⁉︎」
驚きと期待に満ちた声を上げる碧花に、燎子は「……ハイ」とだけ応じる。
「馬鹿な! たったこれだけのことでわかるはずがない!」
「ハッタリでしょ? どうせ」
「……巫山戯て仰っているのでしたら、実に不愉快です!」
秘書と次女と後妻が、かまびつしく叫ぶ。
彼らから放たれる殺気のような物を感じたらしい宰は、まるでか弱い少女のような不安げな顔で、探偵の背中に声をかけた。
「ほ、本当に大丈夫なんですか⁉︎ これで外したら、怒られるだけじゃ済まなそうですけど……」
「……心配ムヨウ。……私は探偵だから。──と、言うわけで、さっそく説明させていただきたいのですが」
全くと言っていいほど根拠を示さないまま、彼女は徐に、右の人差し指を立ててみせた。
かと思うと──
「……あっ!」
突然ロビーの奥の窓に白い指の先を向け、無表情のまま、声だけを発したのだった。
これには、その場にいる全員が全員喫驚させられたらしい。
「「「「「「「えっ⁉︎」」」」」」」
その結果、七人の男女がハモると言う、ちょっとした奇跡が起きた。
そして、彼らの目が一斉に、雑草だらけの中庭を映し出す窓に向かったと見るや、
「……スキアリ」
「──あっ、こら!」
北郷が慌てて声を上げた時には、すでに遅く──
燎子は、覆面の頭をムンズと掴み上げていた。
馬鹿みたいに古典的な手で注意を引いた彼女は、神のような早業で黄太郎に詰め寄り、躊躇も慈悲もなく覆面を脱がしにかかったのだ。
それは、いい成人のすることではなく、もちろんいい女性のすることでもなかった。
ロビー内は一気に騒然となる。「やめろ!」と、秘書は怒鳴りながら手を伸ばし、男もまた必死に抵抗を試みた──が、どちらも全くの無意味であり……。
ほどなく、覆面はあっけないほどスッポリと、彼の頭から引っぺがされてしまった。
黄太郎は、とっさに両腕で顔を隠す。
が、彼の正体を暴くには、その一瞬だけで十分だった。
「……偶には出しゃばってみるものですね。さっそく棒に当たりました。──もちろん、本来の意味ではなく……」
ブヨブヨした抜け殻のような覆面を放り捨てながら、燎子は無機的な声で言った。
「……百聞は一見に如かず。……これが答えです」
そして、依頼人の方を振り返った彼女の肩越しに見えた男の顔には、火傷の痕など一ミリも見当たらなかった。それどころか、到底十八になる少年の物とは思えない素顔が、そこに現れたのである。
弟を名乗っていたその男はなんと──白髪に白い顎髭をとたくわえた老人であった。
「……そ、そんな……どうして──どうして、お父さんが……⁉︎」
喫驚の為か瞠若した碧花が、悲鳴にも似た声で叫んだ。他の者も──探偵と老人を覗いて──、みな同じように目を見張り、立ち尽くしていた。
すでに死んだと思われていた人間が、生きていた──それも生き別れの息子を騙っていたのだから、驚くのも無理はないだろう。トンデモミステリならいざ知らず、現実にこんな真相が待ち受けているなんて。
衆目の的となった彼は、広い額を露わにし、モミアゲと髭が連続した彫りの深い顔──どことなく、フィリップ・K・ディックを思わせる──を、無言のまま俯けていた。
「……う、嘘だ……あり得ない!」ズレかかった眼鏡も直そうとせずに、彼の秘書が叫ぶ。「黄太郎の役は、確かに私が選んで」
「……彼なら、私が買収したよ。もうとっくに、この家にはいない」
北郷の言葉を遮るように、老人──緋沼紫郎は、掠れた声でそう言った。
「買、収……」と呟いた彼は、先ほどまでの皮肉や余裕が嘘のように、力なくヘタリ込んでしまった。銀縁の眼鏡が、完全に顔から落ちる。
つまり、いずれにせよ黄太郎は偽物にすぎなかったのだが、その偽物自体がいつの間にか入れ替わっていたのだ。
「ほ、本当に──本当にあなたなのですか……⁉︎」
後妻が慄くように尋ねると、彼はようやく面を上げた。
そして、突然片頬を吊り上げ、髑髏じみた豪快な笑みを見せる。
「他に、誰に見える? ──残念だろうが、正真正銘私だよ、朱美」
朱美と言う名前らしい彼女は、あまりのことに卒倒してしまい、目を瞑って倒れかけた彼女を、次女が慌てて受け止めた。
しかし、紫郎はそちらを無機的な瞳で一瞥しただけで、すぐに探偵の方へ向き直る。
「まさか、あんな強引な手に出るとは思いませんでしたよ。ところで、どうして私の正体に気付いたのですか? まさか、一か八かの賭けに出たわけではないでしょう?」
「……ええ。……しかし、私は紫郎さんとまではわかっていませんでした。……ただ、ちょっとした矛盾から、黄太郎さんが偽物だと気付いただけです」
「矛盾、ですか。──それはどんな?」
「……煙草の臭いですよ。……先ほど北郷さんたちがロビーにやって来た時に、お二人の方から幽かにある煙草の臭いがしたんです」
小説やドラマの探偵よろしく、燎子は少々もったい付けるような言い方で答えた。
煙草の臭い──と言われても、何が何やらわからない。そもそも、そんな物全く嗅ぎ取れなかったぞと、誰もがそう思ったことだろう。
「煙草の臭いなんて……私は感じませんでしたわ」
顎に人差し指を当てた藍奈が、小首を傾げた。その腕からは、いつの間にか黒猫の姿が消えている。
「……私はとても鼻が効くのです。……また、自分も吸う関係で、煙草の銘柄とそれぞれの臭いは、だいたい全部記憶しているのですよ」
警察犬、あるいは麻薬捜査犬か。利き酒ならぬ利き煙草ができる人間など、聞いたこともない。
ぶっ飛んだ返答に、余計困惑させられたらしい関係者たちをほったらかしにして、燎子は種明かしを続ける。
「……先ほど嗅ぎ取った臭いは、煙草──と言うか、ある上等な洋葉巻の物でした。……そして、これを先ほど北郷さんにお答えいただいた内容と照らし合わせると、二つの矛盾が生じます。……まずだいいちに、今年十八になる黄太郎さんが喫煙をしていることになりますから。……また、たとえ法律を度外視するとしても、町工場で働いて学費を貯めている立派な若者に、洋葉巻を吸う余裕はないでしょう。
むろん、初めは北郷さんがお吸いになられるのかとも思いましたが、尋ねてみるとそうではありませんでした。……よって、取り敢えず黄太郎さんは偽物だろうと判断したのです」
淡々と「推理」の──ような物を披露した探偵は、そこで言葉を切った。正直なところ、観客はみな着いて行けてない様子である。
(……す、推理って言うか……単純に嗅覚と記憶力がバケモノじみてるような……)
宰は呆れたようなある意味感心したような表情で、レザージャケットの背中を見つめていた。
「な、なるほど、あまり釈然としませんが……まあ、いいでしょう。わかりました」苦笑しつつ、紫郎はこう続ける。「……ところで、もう一つ伺いたいのですが……私は何か罪に問われるようなことをしましたか? せいぜい、死亡診断書の偽造くらいですよね?」
「……ハイ。……ですので、特に糾弾する気も権利もありません。……依頼料さえいただければ、満足なので」
「そうでしょうそうでしょう。何せ、私はまだ試しただけ。本番はこれからなんだ!」
老人は何やらモチベーションを取り戻したらしい。カッと見開かれた瞳の奥で、昏い光が爛々と輝いていた。目を見張ったまま黄ばんだ歯を剥き出しにして笑う姿は、かなり常軌を逸している。
狂気じみた笑みを浮かべた紫郎は、徐に、黒いポロシャツの胸ポケットへ手を入れた。
「……マサカ」
何かを察したように呟く燎子の視線の先で、彼はある物を取り出した。
それは、長方形の小さなお札のような物だった。白い紙の中にギッシリと、赤い物で書かれた呪文が刻まれている。
「できれば、碧花の前では使いたくなかったのだが……こうなっては仕方がない。……せめて、私の財産を盗もうと画策した不届き者たちに、天誅を与えるとしよう」
そう言うと、紫郎は指に挟んだお札を、広い額に当てがった。
その様子を目にした燎子は、何故かとても嫌そうに、ジトリと目を細めた。
「“蟲魅”様ぁ! 蝕みください!」
老人が、興奮気味に口角泡飛ばして叫んだ直後、お札に書き込まれていた文字が、それこそ小さな蟲の群のように蠢き始めたではないか!