頭蓋館事件②
頭蓋館の中は昼間にしては薄暗く、外に比べ空気がヒンヤリとしていた。
入ってすぐちょっとしたロビーのような空間があり、二つの円卓を囲むようにソファーが置かれている。また、一隅に並んだ観葉植物の鉢や、その間に隠れるようにして佇立する消火器などは、どれもコンモリと埃を被っており、この家に蔓延る憂鬱を表しているかのようだ。
ロビーには三人の人物が待ち構えており、彼女らが玄関に入ると、その中の一人──黒い着物を着た婦人が立ち上がった。
「碧花さん! あなたこんな大事な時に、どこホッツキ歩いていたの!」
ヒステリックな金切声を上げた彼女が、碧花の義理の母であるらしい。
碧花は、素早く靴を脱いで上がりながら、言い訳をするように、
「ごめんなさい、お母さん。でも、私どうしても彼のことを──黄太郎さんのことを確認したくて……それで、私立探偵の方をお呼びしたんです」
「私立探偵?」彼女は疑り深そうな目で、素早く燎子たちの姿を見回した。「なんでわざわざそんなモノを……家の問題なんだから、家族で判断すればいいでしょう! 部外者には、即刻お引き取り願いなさい!」
どうやらお呼びではないらしい。探偵の方は「どこ吹く風」と言った顔でロビー内を見回していたが、バイトくんは気が気じゃない様子である。
「全く、お通夜だってまだなのに……。元はと言えば、あなたの頼みで先延ばしにしたのよ! わかってるの⁉︎」
「す、すみません。──でも、私はこのことをハッキリさせてから、お父さんとお別れしたくて……」
碧花がそう訴えかけたところで、別の人物が話に参加した。
「姉さんったらずいぶん必死ね。まあ、あいつが出て来なかったら遺産が丸々手に入ったんだから、当然か」
「紅江……」
いささか古風な名前で呼ばれたのは、やたら肌を露出した若い女だった。彼女は次女なのだろう。碧花よりもわずかに歳下のようで、名前のとおり赤く染めた髪と派手なメイクが、若者らしい軽薄さを漂わせていた。
「私は別に、そんなこと……」
「『そんなこと』? 半分は確定してるからってヨユウかましやがって。こっちはこのままじゃ、ビタイチ入っちゃ来ないんだよ」
容赦ない言葉に、碧花は哀しげな表情で目を伏せた。
すると、散々な言われようの長女に助け舟を出すかのように、奥の窓の傍に立っていた三人目が紅江を窘めた。
「……おやめください、紅姉様。そんなに責め立てたら、碧姉様が可哀想そうですわ」
それは、謂わゆる「お人形さん」が着ていそうなフリフリの黒いドレスを身に纏った少女だった。服と揃いのデザインのカチューシャを頭に乗せ、ややクセのある髪を長く伸ばしている。
ゴスロリファッションの上「ですわ」口調と言う、やたら個性の濃い彼女が、緋沼姉妹の三女のようだ。
彼女は、腕の中で眠る黒い仔猫を撫でながら、
「だいいち、喧嘩なんてみっともないですわ。よく言いますでしょう? 『猫も食べない』って。それくらい不毛なことですのよ?」
やたらとカン高い声──謂わゆる「アニメ声」か──で発せられた言葉に、次女は舌打ちで返した。
しかし、三女は特に気にした風もなく、燎子たちに向き直る。
「始めまして、私末妹の藍奈と申します。以後、お見知り置きを。
……それはそうと、お母様の仰ることにも一理ありますわ。これは本来、私たち家族で解決すべきことですの……。ですから、探偵さんたちもお気を付けくださいね。『猫も歩けば棒に当たる』と言うくらいです……あまり出しゃばったことをすると、可愛い猫ちゃんですら棒で打たれましてよ?」
不穏なことを言ってから、藍奈は口角の両端を気味悪く吊り上げた。
宰はスッカリ怯えきってしまったらしく、ゴクリと唾を呑む。
「……だから、犬が全部猫になってるって」と、紅江が吐き捨てるように呟いた。
それから重苦しい沈黙が訪れそうな気配であったが、探偵が口を開いたことにより、そうはならない。
「……では、打たれる前に見極めさせていただきましょう」
彼女は平然と言い、徐に肩にかけていた灰色のトートバッグを下ろした。
そして、中から取り出されたのは、一組のブーツだった。彼女はそれを床の上に置くと、わざわざブーツを履き換える。
「外用」をバッグにしまい、元どおり肩にかける姿を、みな面食らった様子で見つめていた。
「……バイトくんも、さっさと上がらせてもらいなさい」
「あ、は、はい。──お、お邪魔します」
宰は三人の視線から逃れるように顔を伏せたまま、スニーカーを脱いだ。
こうして彼らが館内に上陸したところで、左手に伸びる廊下の方から、二人の男たちが歩いて来る。
そして、そのうちの片方が、疑惑の弟──黄太郎だった。一目でそれとわかる見た目をしているのだ。
「おや、戻られたのですね、碧花さん。いやぁ、探しましたよ」
スーツを来た痩身の男が、碧花に声をかけて来た。銀縁の眼鏡をかけており、頬も顎もヤスリで削ったかのようにシャープだ。
燎子たちの存在に気付いたらしい男は立ち止まると、丁寧だが冷然とした口調で、自己紹介をした。
「あなた方が、碧花さんの助っ人ですか? ──はじめまして、私緋沼紫郎氏の秘書を務めておりました、北郷と言う者です。すみませんねぇ、こんな辺鄙なところまでご足労いただいて」
羽毛越しにチクチクと針を突き立てるような、皮肉タップリの言い方である。
それから北郷は、あたかも思い出したかのように、斜め後ろに立っていた人物を軽く振り返った。
「そうそう、こちらがあなた方の目当ての人ですよ。紫郎氏のご子息であられる、黄太郎くんです」
薄暗い廊下を背にして佇む緋沼黄太郎は、碧花の話にあったとおりの風貌だった。真っ白い覆面によって素顔は全く見えず、両手には同じ色の手袋を嵌めていた。
『犬神家の一族』に登場する佐清をそのまま連れ出して来たかのようで、オドロオドロしいどと言うか、むしろシュールですらある。
しかし、実際に遺産相続問題が勃発している古い館の中となると、また話は別だった。眉毛のない目穴から覗く深淵のような瞳や、細くスリットの入っただけの唇が、得体の知れない不気味さを醸し出す。
全く感情の読み取れない、正体不明の男。まるで、覆面の中イッパイに暗闇を詰め込んだかのような──
鵺。
彼の存在は、まさにそれだ。
宰は彼と目が合ったようで、その瞬間喉から出かかったらしい悲鳴を慌てて堪えつつ、とっさに顔を俯けた。
「…………」
無言のまま二つの丸い深淵を向ける黄太郎を、燎子は澄んだ瞳で眺めていた。
すると、元秘書は彼女の横を通りすぎて行き、
「時に碧花さん。例の件は考えてくださいましたか?」
長女の傍へ寄ると、囁くように尋ねた。
「こ、こんな場所でその話はやめてください。……どのみち、今は考えたくありません」
「それは残念です。……しかし、『今』だからこそ、お互い助け合うパートナーは必要かと」
北郷が不敵な笑みを湛えつつ、眼鏡をかけ直した。何やら、明らさまにキナ臭い話し合いである。
すると、探偵はそこで、肩越しに彼を振り返り、
「……確か、黄太郎さんを連れて来られたのは、北郷さんと言うことですが……?」
「ええ、そうです。──実は彼の存在はずっと以前から知っていましてね。そもそも、紫郎氏の指示で、彼がまだ生存しているのではないかと、密かに調べていたんですよ。……そして、このとおり無事生きておられることがわかりましたので、私が面会しに伺ったのです。それから、機会を見て緋沼家の方々とも会っていただく予定だったのですが……そうなる前に、不幸にも紫郎氏が逝かれまして……」
秘書は一度もツカえることなく、スラスラと答えた。まるで予め覚え込んで来た台本を、読み上げるかのように。
これを受けてどう思ったのかわからないが、燎子は「……ソウデスカ」と呟く。
「……ところで、黄太郎さんのご職業は何を?」
「町工場に勤務されています。しかしあまり給料のいい仕事とは言えないようで、苦しい生活をしながらも大学に入る為の費用を貯めていたと言うことですから、ご立派ですよ。……もっとも、ご遺産を相続されれば、そんな苦労もなくなるわけですが」
「……ナルホド。……黄太郎さんは、今お幾つなのでしょうか?」
「今年で十八になりますが、それが何か……?」
専属マネージャーのように返答を代理していた彼は、そこでさすがに怪訝そうな顔をした。
「……いえ……意外とお若いのですね」と無感動に言った彼女は、突然秘書に目を向け、「ところで、北郷さん。──あなたは、煙草をお吸いになられますか?」
「は? ──全く吸いませんが……」
「……ホホウ」
燎子はまるっきり棒読みで感嘆すると言う、無駄に器用なことをしてみせた。
そして緋沼家の人間が胡散臭そうな、あるいは縋るような視線を送る中、彼女はダシヌケにこんなことを言い出した。
「……わかりました、これで十分です。……この方が本物の黄太郎さんなのかどうか判断する材料は、全て揃いました……」