頭蓋館事件①
戸口に現れたのは、黒いワンピースを着た若い女だった。
年齢は燎子と変わらないくらいか。少しウェーブした黒い髪をしており、顔立ちや格好や物腰から、どことなく育ちのいいお嬢様と言った印象を受ける。
彼女と入れ替わりに高村が帰って行き、女は彼が座っていた場所に腰下ろした。何かよほど気懸りなことがあるのか、心ここにあらずと言った風に、膝の上に置いた小さなハンドバッグへ目を落とす。
その姿を一瞥した探偵は、自分も彼女の真向かいの席に着いた。テーブルの上のケーキや名刺などはとうに片付けられ、代わりに麦茶の注がれたコップが一つ、依頼人の前に置かれている。
宰を自分の隣りに座らせると、彼女は口を開いた。
「……それで、どのようなご依頼でしょうか? そこそこ非合法なことでも……まあ、報酬次第でお引き受け致しますので、なんなりとお申し付けください」
「えっ?」
少年は「聞いてないです!」と言いたげな視線を送ったが、当然の如く黙殺された。
「はい」と、若干緊張した様子で息を吐いてから、女はポツポツと話を始めた。
「……本日伺ったのは、調べていただきたいからなんです。──私の弟が、本物かどうかを」
意外な依頼内容に、探偵は無表情ながらも、ホッソリとした片眉をわずかに動かした。その隣の宰も、驚いた様子で話に耳を傾けている。
「……実は、つい三日前に父が亡くなりまして……。私は直接その場に居合わせることができなかったのですが、熱射病で倒れて、そのまま搬送先の病院で息を引き取ったそうです。
それで、遺産相続の話になった時に、父の秘書をしていた方が、突然私の生き別れの弟だと言う人を、家に連れて来て……。当然、家族はみな困惑してしまいました……」
「……見た目からは、判断できないのですか?」
「はい。その人は、顔に酷い火傷を負っているとかで、常に覆面をしているんです……」
「……それは、なんとも……ベタですね」
思わずガックリと体勢を崩しそうなほど、気が抜ける感想である。実際、宰はガックリとなっていた。
「そうなんです、すごくベタなんです。……しかも、父が生前に用意していた遺書の内容が内容だけに、余計にややこしくて」
「……どのような内容なのですか? ……差し支えなければ……」
「はい。……遺書には、『遺産は一族の血を正式に継ぐ者にのみ与える』とありました。……実は、これもややこしい話なのですが、私の家の代々の血を継いでいるのは、現時点では私だけでして……。と言いますのも、父は婿養子で、今の母は二人目の母親──つまり、どちらも一族の血を引いていないんですよ」
「……ナルホド。……ドロドロしてソウデスネ」
「……はい、それはもうドロドロで……。一応、私には妹が二人いるのですが、その娘たちは今の母の連れ子なので、私とは血が繋がっておりません。……ですので、こう言ってはナンですが、もし弟が偽物なら……」
「……遺産はすべてあなたの物、と言うわけですか」
「はい……」と、彼女はどこか気まずそうに頷いた。この時点でも割とズケズケ斬り込んでいるのだが、燎子の不躾な質問は終わらない。
ダシヌケに左手で「OK」を半転させて寝かせた形を作ったかと思うと、真顔で、
「……それで、具体的には?」
さすがにこの質問には依頼人も面食らった様子で、澄んだ瞳を見返した。少年も、少なからず「引いて」いるらしい。
──やがて、ワンピースの女は躊躇いながらも身を乗り出し、口許に手を当てながら、
「おそらく──円くらいかと……」
それは、泥沼の遺産相続問題が起きてもなんら不思議ではない額だった。
探偵は一瞬無言になったが、依頼人が再び椅子に腰を落ち着けたところで、入れ替わりに勢いよく立ち上がる。
そして、一抹の曇りもない眼のまま、
「……わかりました。すぐにお調べしましょう」
「それでは、引き受けてくださるのですね?」
「……もちろんです。……こんな割のよさそうな依頼は久し振り──もとい、困っている人の力になってこその探偵ですので」
ほとんど本音を口走ってしまっているが……。
取り敢えず、依頼人は気にしていないようだった。「ありがとうございます! ──あの、それでは、さっそく我が家にお越しいただきたいのですが……」と、感激した様子で話を進める。
「……伺いましょう。──行くよ、バイトくん」
「は、はい」
慌てて答えた宰だったが、彼女の姿を見上げている目付きは、甚だ不安げな物だった。
(……だ、大丈夫かな……? この人も、この仕事も……)
不安げな少年を他所に、彼らの初めての依頼が幕を開けた。
※
約三十分後、三人はとある邸宅の前でタクシーを降りた。
その屋敷は鬱蒼とした雑木林を背負うようにして建っており、周囲に他に人家は見当たらない。峠へと向かう山道の途中に、不意に現れる古い洋館の姿は、かなり不気味な存在である。もしこれで住む者が誰もいなければ、心霊スポットとして名を馳せたことだろう。
洒落た装飾の鉄門は開かれており、一行は依頼人を先頭にして、庭に入って行った。
「……古い家で驚きましたよね? ここへは私がまだ幼い頃に越して来たのですが、その時からすでにお化け屋敷のようでした……」
蝉時雨の下、碧花はそう言って苦笑した。彼女の話を聞きながら、彼女らはあまり手入れの行き届いていない庭を進む。
やがて、突き出た庇の前まで来たところで、ワンピースの女は立ち止まり、白昼夢のように振り返った。
「ようこそ、頭蓋館へ。前の持ち主は、この家のことをそう呼んでいたそうです」
「……ズガイカン──頭蓋骨の館、ですか……」
見た目は古めかしい洋館を見上げながら、燎子がポツリと呟く。その半歩後ろで、宰も同じように頭蓋館を眺めていた。
「おかしな名前ですよね? ……正直なところ、私には悪趣味としか思えませんでしたが、父はそこも含めて気に入っていたようでした」
故人との思い出を懐かしむようにそう言った彼女は、ようやくそこで自己紹介をした。
「申し遅れましたが、私はこの家の長女で、緋沼碧花と言います。どうぞ、お暑いでしょうからこちらへ」
碧花はそのまま、庇の作り出した陰の中に呑み込まれた。
燎子たちがそれに続くと、彼女は奥に見える黒い鉄扉の前で待っていた。獅子ではなく髑髏が輪っかを咥えているドアノッカーは、確かに悪趣味と言わざるを得ない。
依頼人がドアを開け、探偵たちは緋沼家へと足を踏み入れた。