アンノウン②
自分を見下ろす紫郎に対し、宰はさりげなく鞄を肩から下ろしながら、
「……あなたは、いったいどこの誰なんですか……? どうして棺桶の中にいたんです?」
意外にも毅然とした態度で、少年は問うた。
「……私は緋沼紫郎だよ……」
「違う。その人は、あなたがさっき殺しました」
「私が、殺した……?」
「そうです。──なんで、あんな酷いことしたんですか? 何か、理由があるんですよね?」
「り、理由……私は、どうして……わ──私は」
呟くうちに、少しずつ様子がおかしくなって行く。
「……私は、誰、なんだ? ……どうして、ここにいる……? な、何故──何故殺したんだぁぁぁぁぁ!」
怪物は髪の毛を掻き毟るように掴み、苦しそうに叫んだ。
「鵺、鵺、鵺! ──鵺の声がぁぁぁぁ!」
咆哮しながら身をよじった紫郎は、やにわに少年に掴みかかる。
それを見た宰は、とっさにトートバッグで殴り付けるようにして応戦した。右腕を弾くことには無事成功したが、それを喜ぶ間もなくもう一方の手が突き出された。
襟首を乱暴に掴まれた彼は、そのまま真横へ放り投げられてしまう。
「バイトくん!」
未だ苦しみの声を漏らすその存在は、この場から立ち去ろうとしているようだった。
少年は痛みに顔を歪めつつも、トートバッグを放り出して立ち上がり、横からシャツを着た体にしがみ付いた。
「行かせるもんか!」
怪物はそれを振り払おうとしたが、彼は頑なに手を離そうとはせず──
結局少年に纏わり付かれた状態のまま、地面を蹴飛ばした。
予想どおり跳び上がった老人は、入場口となった窓枠や、その上の窓の鎧戸を足がかりにし、軽やかに屋根に飛び乗った。
スレート葺きの上に立ったその姿を、燎子は這ったまま見上げる。彼女の瞳のに映ったアンノウンは、すぐさま屋根の向こうへと消えて行った。
最後まで意地を貫いた、宰と共に。
頭蓋館の周囲は深い雑木林となっている。逃げ込むには絶好の場所だろう。
「……くっ!」
燎子は長い髪を流して俯いた。そうして、歯を食い縛りながら、地面に爪痕を残すかのように指に力を込めた。
──が、ほどなくして顔を上げた彼女は、すでにいつもと同じ表情をしている。まるでもう「やるべきことは決まった」とばかりに。
(……取り戻す)
探偵は立ち上がり、左手の甲で顔の血を拭った。
※
雑木林の中を、アンノウンは猿のような身軽さで、木から木へと飛び移りながら進んでいた。
「うわっ⁉︎」
枝が顔にぶつかりかけたり、手を離してしまいそうになったりする度に、宰は悲鳴を上げた。それでも彼は意外な根性を発揮し、両脚も使って、必死に相手にしがみ付く。
朱みを増して行く陽の光が、木々の枝葉の間から、強く差し込んで来ていた。しかし、異形の存在を恐れて逃げ出したのか、蜩の声は聞こえない。
(い、いったい、どこに向かってるんだろう? て言うか、そろそろ手が痺れて来たんだけど……)
目を瞑りながら宰が頑張っていると、やがて森の深くまで来たところで──
新たな枝に飛び移ろうとしたアンノウンは見えない何かに脚を取られ、突然前のめりに倒れ込んだ。
まるで「空中で転ぶ」かのように、彼はそのまま頭から落ちて行く。
「え?」と、声を漏らした宰もろとも。
直後、二人は断末魔を上げる間もなく、落ち葉や枝の敷き詰められた中に、肩から飛び込んでいた。
幸いあまり高さがなかった為、大怪我を負うほどではなかったようだ。それでも、十分痛そうだったが……。
「……痛た……な、何が起きて……」
左肩を庇いつつ体を起こした彼だったが、そこで自分が手を離してしまったことに気付いたらしい。
ハッとした様子で少年は顔を上げたが、探していた姿はすぐ近くにあった。
アンノウンは跪き、戦慄く両手を見つめていた。
「……思い、出せない……。頭蓋の中に……何も、ない……」
つまり、記憶を失っているのだろうか?
宰は何と声をかけていいかわからない様子で、その姿を見つめていた。
するとほどなく、老人の体にある変化が現れる。
陽炎のような「揺らぎ」に包まれたかと思うと、瞬く間に最初と同じ、木乃伊じみた不気味な姿に戻ったのだ。
巨大な蚕蛾は、震える手付きでお面に触れた。
「……声ガ、聞コエテ……ソレデ、ソレカラ、コ、殺シテ……」
その呟きを哀しげな表情で聞いていた宰は、徐に立ち上がり、そいつの傍へ歩み寄る。
「……君には、何が聞こえるの? もしかして、誰かが君に命令しているの?」
マジュウを見下ろした少年は、静かな声で尋ね、首を傾げた。彼はこの得体の知れない存在を怖れるのでも憎むのでもなく、憐れんでいるようだ。
「僕に、教えてほしいんだ……」
「ウ──煩イ!」
マジュウは癇癪でも起こしたように腕を振り回して、彼を突き飛ばした。
尻餅を突いた宰はすぐにまた体を起こそうとしたが、中空に目を向けた途端、動きを止める。
木々の間に、何かを認めたらしい。
(あ、あれは……糸?)
一見すると、何もないように思われるそこには、ごく細い糸が軽く弛ませながら張ってあり、揺れる度にチラリと西陽を反射していた。どうやら、先ほどマジュウの脚を絡め取ったのも、これのようだ。
しかも、糸が渡されているのは一箇所だけではなかった。よく見てみれば、彼らの周囲の木と木の間、枝と枝の間には、無数の「見えない糸」が巨大な蜘蛛の巣のように張り巡らされている。
(……な、何、これ……⁉︎ なんで森の中にこんな仕掛けが……)
頭上を見回しながら、宰は喫驚した表情を浮かべた。
不気味なほど静まり返った雑木林の中、透明な糸が揺れ動く様子は、まるで何かよくないことが起こる前触れのようだった。
──そして、実際その他にも、そうなる兆しはあったのだ。
(……臭い。……何か、変な臭いが──て言うか、これ!)
再び何かに気付いた様子の彼の顔を、汗が輪郭に沿って流れた。
(──ガソリン⁉︎)
刹那、時が静止ったかのような静寂を迎え──
爆音。
辺りは一瞬にして──本当に「一瞬」に感じられたのは、それが同時多発的に起こったからだ──業火の海と化した!
森のどこかで放たれた火が、張り巡らされた糸を伝って一気に燃え広がったのだろう。
爆風に煽られ倒れ込んだ宰は、黒煙に噎ながら上体を起こした。彼の瞳が映し出したのは、灼熱地獄のような光景だった。圧倒的なまでの熱と光が、まるで意思を持つ侵略者のように、森を蹂躙している。
(そ、そんな⁉︎ ……いったい、誰がこんなこと!)
少年はもう一度激しく噎せてから、口許を抑えて立ち上がった。
そのすぐ傍で、マジュウは呆然と周囲のを見回していた。どうやら、彼にとってもこの山火事は予想外の現象らしい。
「……モ、森ガ、燃エテイル……。コレモ、オレノセイ、ナノカ……? ……オレハ、イッタイ──何ヲシタンダ⁉︎」
お面に蠢く炎の影を映しながら、マジュウは誰にともなく──あるいは失ってしまった自分の過去へと──問うた。
しかし、答えなどあるわけはなく、聞こえて来るのは轟々パチパチと、木々が焚殺れて行く音だけだった。
「正体」を失くした怪物を、少年はまるで自らが苦しみを味わうように、痛切な目差しで見つめていた。
それから、何事か決意を固めるように拳を握った彼が、口を開きかけた時──
バキバキと言う轟音が、マジュウの背後から響く。
宰が何かを伝えるよりも先に、激しく炎上する大木が根元から折れ、彼のいる方へと倒れ込んで来たのだ。
「なっ、危な──」
「……エ?」
彼が迫り来る「死」に気付き振り返った時には、到底避けることも防ぐことも不可能な距離に、炎を纏った幹が迫っていた。
そして、次の瞬間──
巨大な木炭のような燃え狂った塊は、恐るべき力で、頭上から彼の背中にのしかかる。
まるで、頬杖を突いた神様が、片手間に指で弾いたドミノのように。
いとも容易く、造作もなく、あっけなく──
一つの生命が、死の淵へと叩き込まれた。
尻餅を突きながら、その非情な光景を目の当たりにした彼は、やがて茫然自失とした声で呟く。
「ナ、何故──ドウシテ、オレヲ庇ッテ⁉︎」
そう。
──残酷なドミノの下敷きになったのは、アンノウンではなく宰の方だった。
怪物が大木に押し潰される寸前、とっさにその体を突き飛ばして、少年は身代わりとなったのだ。
業火を背負わされた彼は、両手を投げ出して倒れながら、煤だらけの顔を歪めて絶叫した。少年の姿は、さながら火刑に処された罪人──焚殺される魔女その物だ。
「……ナ、何デ、オレナンカノ為ニ……。オレハ、得体ノ知レナイ怪物デ……シカモ……人ヲ殺シタノニ!」
「……同じ、だから」ゴボゴボと血の塊を地面に吐き出しつつ、宰は薄目を開けた。「……僕は、本当は君なんだ」
「ナ、何ヲ言ッテ」
「……僕もね──人を殺したことがあるんだよ」
こともなげに放たれた言葉に、マジュウは声を失う。
そうなるのも当然なほど、予期せぬ発言だった。
「……それも、実の家族を殺したんだ。……自分の望みを、まかり通す為に……。君よりも、僕の方がよっぽど化け物、かもね……」
彼は、血と煤で黒ずんだ唇を震わせて、自嘲するように微笑んだ。「自らの家族を手にかけた」と言う告白を裏付けるには、その表情だけで十分だろう。
少なくとも、彼がただ暢気に生きて来ただけの子供でないことは、確かなようだ。
「……だから、僕の本当の家族は、もういない……けど、それでも、一緒に暮らしてくれている人たちが、いるんだ……。僕の帰りを、待っていてくれる人たちが……。──ねえ……君は……変身、できるんだよね? ……だったら、お願い……」
宰は、熱に炙られもうロクに視力も残っていないであろう瞳で、彼を見上げた。
そして、カラカラに掠れた声で、
「……僕の代わりに、『僕』になってよ。……君が、『古神宰』を、受け継いでくれないかな……?」
この申し出に、彼は再び驚きを隠せない様子だった。お面越しにも、動揺しているのがよくわかる。
「……お願い、だよ……姉さん、たちを……悲しませたく、ないんだ。……それに、あの人の……篝さんの元にいれば、君の正体も、調べられる、かも……。マジュウと戦う、のが、『副業』、らしい、から……」
「……ダ、ダガ、今ナラマダ助カルカモ知レナイダロ!」
「無理、みたい……枝が、刺さってるから。……たぶん、これを抜い、たら……血が、止まらなく、なる……」
「ソ、ソンナ……!」
「……だ、だから、早く……体が全、部……燃えちゃう前、に……ぼ、僕を──僕を、食べて……ね?」
その言葉を聞いたマジュウは、やがて呆然とした声で、
「オ、オ前ハ……イッタイ、何者ナンダ……?」
そんな問いが出て来るのも、無理からぬことだろう。彼らの立場は、今や探る側と探られる側がひっくり返ってしまっているのだ。
宰はやはり痛みを超越したような──あるいは、それすらもう感じられなくなったのか──、笑みを湛えた。
そして、幽かに唇を動かし、
「……いたってふつう、の……ちゅうがくせい、だよ……?」
その一言だけを遺し──
宰の首は、ガクリと倒れた。食虫植物を思わせる瞼を閉ざされ、そして、もう二度と開くことはない……。
マジュウは最後まで迷っていたようだが、ほどなく意を決するように拳を握り、立ち上がった。
「……スマナイ」
直後、「少女」のお面が裂け、蠕動する暗黒が顔を覗かせた。




