表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
-Bitter sweet salty sweet- New act  作者: サトシアキラ
5/7

act.5

「というか、あたしをその気にさせたのを冗談で済ませるのね、あんたって人は」

 怒ると言うより半分呆れた口調からして、一応の耐性は付けているようだが。

「いいえ、藤乃の心遣いは本当に嬉しいわ。でもこれは、幼馴染みとは別の……私の家の問題だから。それに、仮にもし藤乃の案を取り入れても成功しなかったら……ね?貴女の負い目になってしまうかも知れないでしょ?大切な幼馴染みである貴女に無用のプレッシャーを掛けたくないのよ……勘違いしないでね、本当にもしも、の話よ」

 藤乃の小さな手を握りしめての気遣い。これまた感動的な……幼馴染み同士の愛みたいなものなのだろうけど、どうも央の本心は計り知れないところがある。

「央……あんたって人は……」

 そして藤乃はこれである。根は素直で良い子なのは間違いないんだが、根どころか表面まで良い子過ぎるので、多少危なっかしいところはあるなあ。将来悪い人間に捕まらないと良いが。

「とまあ冗談もほどほどにして」

「やっぱり冗談だったの!?」

 そしてこの繰り返し。仮に藤乃がこうして原因不明の諍いを持ってくるたびに、央が適当にあしらい、毒気を抜かれた藤乃は自分の店に帰って行く……というのが最近のパターンである。

 もう気力が尽きかけたと思しき藤乃の耳がかすかに動いたのはその瞬間だった。央の形の良いお鼻がひくついたのもまた同時。

「ただいま」

 店の入口のカウベルを慣らして入ってきたのは、近所の中学校の、地味目なセーラー制服を着た女の子。

 すると、カウンターからは央が、フロアからは藤乃が俺を押しのけ我先にとその女の子に群がる。と言うか、藤乃の聴力にも愕きだが、央の嗅覚は恐怖の域に達してるな。

「おかえり~ん」

「やだ藤乃ちゃん、くすぐったいよぉ」

 藤乃がその女の子に頬ずりをする。女の子の方も特別嫌がるような素振りもなく、これが普段のスキンシップだと知れる。

「ちょっと何やってるの藤乃!嫌がってるじゃない!」

 央が女の子から藤乃を引きはがす。

「そういうことをやっていいのは実の姉である私だけよ!おかえり~ん」

 今度は央が猛烈な頬ずり。でも女の子はくすぐったそうな素振りは見せれどやっぱり嫌がらない。

「もう、お姉ちゃんまで……二人してなぎをおもちゃにして、そんなに面白いの?」

「「ええ、とっても!」」

 この瞬間だけ声がダブリやがった。お互い表面上は微妙な関係が続いている央と藤乃だが、この子を前にするときだけは意気投合一致団結。こういう言い方はどうかと思うが、はっきり言ってクレイジーだ。

「おかえり、凪ちゃん」

「その……紘輝お兄ちゃんも……ただいま」

 俺の言葉に対し、明らかに姉(とそれに近しい人物)二人とは違う反応を見せる凪ちゃん。そんな様子を見ていた彼女らは、一様に俺に向けて不快げな表情を見せる。だからそういうところだけ意気投合してるんじゃないってば!

 この女の子は山城凪。央の実妹で、着ている制服からも一目瞭然の中学生。央とは二つ離れているので、中学二年生の十四歳ということになる。

「凪、貴女は私の妹らしく、今日も世界で一番可愛いわ~。しばらく観なくてもその可愛さは不変ね!」

「やだお姉ちゃん、しばらくって、半日くらいじゃそう変わらないよ」

「いいえ、半日程度とタカをくくってはいけないわ!私たちはまだ十代といえども、手を抜いていたらあらゆるものが容易に消耗するのよ!そして各所の消耗は直ちに外見に影響するの!侮ってはいけないわ……例えばこの髪!」

 央は戸惑う凪ちゃんの髪を手ですくい、自分の目の高さまで持ち上げて照明に透かしてみる。 

「ほらご覧なさい、このやや風の強い日に少しでも気を抜くと、髪から水分や栄養が奪われてあっという間に毛先が割れてしまうのよ。帽子を被れとは言わないわ、でももう少し気をつけた方が良いわね、折角こんなに滑らかで綺麗なのに……はあはあ」

 央自身の髪の美しさもかなりのものだが、同じ血を引いた凪ちゃんのそれももちろん大したもんだ。姉妹揃ってこの可愛さ……藤乃ならずとも、その魅力の虜囚となるのもまた仕方ない、か。

「そういえば凪ちゃん、今日は日曜なのに姿が見えないと思ったら、学校に何か用事でもあったの?制服も着てるし」

 凪ちゃんの通っている……というか俺と央と藤乃も同じ中学出身だが……そこの制服は、ごくオーソドックスな、今となってはやや珍しいかも知れないセーラー服だ。スカート丈だけは少々現代風だが、デザインそのものはもはや古めかしいと言っても過言ではないだろう。きっと何年も前から変わっていのだと思う。しかしデザインは年季が入っていても、身に纏う人間が特別ならば、衣装も特別な存在に昇華されるのは言うまでもないことだ。

 そんな特別な凪ちゃんは、基本的に顔のパーツ一つ一つを取り上げれば、確かに央と相通ずる箇所はあるかも知れない。しかし、凪ちゃんの全身から醸し出されるふんわりおっとり、且つどことなく儚い雰囲気が、姉妹の大きな識別点となっていた。

「今日は委員会のお仕事に顔を出して、少しだけ花壇のお手入れをしてきたの。あんまり長く作業してるとみんなに心配されちゃうけど、たまには陽の光を浴びないといけないし、お花の手入れもとっても楽しいから……」

 そう言うと、片手に持ったものを軽く掲げた。そこには道具やら汚れた作業着等を入れてあると思しき可愛らしい柄の大き目な巾着袋、そして近所の八百屋のビニール袋に入れられた、お裾分けされたであろう数輪のポピーの鉢植えが。そういえば、今年っから美化委員に入って、花壇の手入れをしてると嬉しそうに言ってたっけ。

「凪、休日も登校して……身体は大丈夫?熱はない?」

 央が心配して凪ちゃんのおでこに手を当てる。はらり、と彼女のおでこから、水分を含んで纏まった黒髪がこぼれ落ちる。汗をかいているのではないだろうか。

「やっぱり、少し熱があるじゃない。いくら委員会のお仕事だって言ったって、休むときはきちんと休まないと」

「うん……でも、凪はいつもお休みしてばっかりだから、授業がないお休みの日くらいきちんとお仕事したいの。あ、洗い物が少し残ってるね。着替えてから私も手伝うから」

 そう洗い物用シンクを見て言う凪ちゃんは、少しだけ疲れたような様子で、しかしどこか楽しげに微笑む。

 健康優良児の央と違って、凪ちゃんはかなりの未熟児としてこの世に生を受けたそうだ。未熟児でも、成長するにつれあまり影響は出ない子も居るという話だが、凪ちゃんは不幸にしてさにあらず。小学校の低学年くらいまでは何かしらの病を発症しやすく頻繁に熱を出し、その都度本人が迷惑を掛けたことを謝る……ということが続いていた。そんなこと、凪ちゃんが謝る必要なんてないと思いつつ、上手く言葉に出来ないのがもどかしい。

 中学二年生になった現在、一日の授業をフルに受けて帰ってこられる程度まで体力は付いてきたけど、基本的に身体が弱いことには変わりがない。それだけに、ごく普通の学生生活をごく普通に送りたいという、俺たちからするとささやかすぎる願いに強い憧れがあるのだそうだ。本人が望んでいるということで、山城の親御さんたちもその意思を最大限尊重し、普通に学校に通わせている。俺もそれで良いと思う。

「凪、本当に……」

 央は、凪ちゃんの小さな身体を腕いっぱいに優しく抱きしめて、それ以上の言葉を発せられなかった。本当に、の後に続く言葉は、果たして謝罪なのかそれとも彼女を褒めるものか。しかしそのどちらも言葉にならない。そのどちらでも凪ちゃんは自分を責める方向にしか考えないのは明かであろうから。ならば、ただ愛の証として、こうして抱きしめるしかないという選択肢はよく分かる……気がする。

 抱擁を見ていた藤乃も、俺と同じような心境らしい。眩しそうに目を反らして、少し涙ぐんでもいる。

「凪ちゃん、お姉さんたちも言ってるとおり、きちんと休むことは君にとってもきちんと自身の義務を果たしていることになるんだから、ここはお言葉に甘えておきなよ」

 前に凪ちゃんが具合を悪くしたときの央と藤乃の狼狽具合なんて見ていられなかったからな。この子にとって、それが一番大事なことなのだ。少しだけ考えていた素振りを見せた凪ちゃんだが、

「じゃあ、少しお部屋で休んでるね」

 と、央から身を離し苦笑混じりに言って、央を付き添いに店の奥へと下がってゆく。多分二階の自分の部屋に行ったのだろう。『エスポワール』は、山城家の一階、つまり店舗兼自宅なのだが、そういえばどうして凪ちゃんは勝手口からではなく店舗側から入ってきたのだろう。普段そっちは客専用というタテマエだから、そこらへんは央も凪ちゃんもケジメは付けていて、営業時間中に店舗側から入ってくることはない。店内に俺等以外の人影が見えないから、ちょこっとだけそこらへんを曲げたのだろうか。

 央と藤乃はその後……

「はあ……可愛い……」

 と、何か夢見がちな蕩けた表情で、しばらくそのまま二人してカウンターに突っ伏していた……確かに凪ちゃんを溺愛する理由は分るが、それにしても……とは……思わないなあ、彼女が人に好かれるのは当たり前の事であるというか、むしろ好かれない理由が見当たらないというか。

 病弱という不幸はあるにせよ、本人がそれをコンプレックスに思いはすれど、負けない前向きさを垣間見せるからなのかも知れない。

「さて」

 ひとしきり蕩けたあとで、藤乃は口元を拭きつつカウンターから顔を上げた。……その辺りが水たまりになってるんじゃないだろうな……一部のマニアには年間特等席としてプレミア価格が付きそうだが、ここは『そういう店』ではないので俺がとっさに台ふきんで拭っておく。

「いつまでもこんな店にいたら、あたしの方まで不景気が伝染っちゃうわ。央!紘輝!あんたたちも山城のおじさんにおんぶに抱っこじゃなくて、なんとかこの店を繁盛させるアイディアを出しなさいよね!でないと、お店が可哀想でしょ!」

 と、ひとしきり勝手なことを言ったあと、「あ~、それにしても凪ちゃんの笑顔は何にも代えがたいわ~。悪い虫が付きそうになったら手製の槍で串刺しにしよっと」とかなんとか、危険なことを呟きながらふわふわした足取りでエスポワールを出て行く。本当に何がしたかったんだあいつは。凪ちゃんの顔を見るまであのままくだを巻くつもりじゃなかったんだろうな、最初っから。というか手製の槍なんて持ってるのかあいつは。凪ちゃんに悪い虫が付くのは確かに面白くないが、だからってどういう発想だ。

「藤乃って昔からあんなんだったっけ」

 記憶の糸をたぐってみるが、幼少の印象と言えば、比較的活動的だった俺と央の後をとことこ付いていくだけだったものが強い。

「違う……様な気がするけど、最近のあんな感じのイメージが強すぎて、正直最初っから偏屈な人間だったのかと思っちゃうわね。でも昔は鈍臭くて、私たちを追いかけては二三歩歩いただけで転んで、置いていかないでって泣いてた気がするわ……それがどうしてあんな残念なことに」

 あ、やっぱり央もそういう印象なんだ。二人の印象がマッチするということは、少なくとも俺たちの間では幼い頃の藤乃はとても勝ち気な感じには見えなかったということだな。

「藤乃がああなった理由、何か心当たりはないのか?」

「……あると言えばあるしないと言えばないし……そもそもさっきみたいなやりとりだって、どっちが最初だったのか……少なくとも私は自分からケンカを吹っ掛けることはない……つもりだけど、自分にその気がないつもりなのに、人を傷つけてるなんて例はいくらでもあるでしょうから……」

 そう言う央は、少しだけ寂しそうな顔をした。人と人は根本的な部分でわかり合えないのか、それともわかり合えると思うことすら傲慢なのか。おそらく永遠に答えの出ない問題かも知れないけど、時々ついつい考えてしまい、そのたびに訳が分らなくなってしまうのだ。

「それにしたって、藤乃の言うとおりもう少しなんとかしないとね……私だって自分の家の店が流行らないのは、どちらかというと面白くないし……お父さんは大して儲からなくていいなんて虚勢を張ってたけど」

 商売をしている人がよく「損しない程度にやっていけてる」と言うことがあるが、あれはあくまで謙遜の言葉であって、額面通り収支損益がプラスマイナスゼロって意味ではない。あたりまえだけど。もっと分かり易く言えば『ぼちぼちでんな』ってやつかな?そこからは大儲けも大損もしているニュアンスは受け取れないものな。実際はどうあれ。

「だからって潰れてもらっても困るのよねえ。もし万が一そうなったら、私の時間の都合が良いように小遣いを稼げるアテがなくなるし」

 それが本音か!モデルの活動を、学業優先という前提のために制限している央にとって、自由な勤務時間は非常に魅力的だということは分るが、いくらなんでも便利に思いすぎやしないだろうか……労働力を提供しているのだから、山城の親父さんにとって無駄な出費にはならないのだろうけど。

「藤乃の家って、メイド喫茶やる前はどんな店だったっけ」

「確かオーガニックでヘルシーでサスティナブルで、エキサイティングでディスティンクティブなコーヒーを出す、エスタブリッシュメントが好んでリンゴ印のノートパソコンみたいなやつを広げてドヤ顔する……みたいな、背中が痒くなるような能書きを垂れ流す店だった気がするわ」

 なんか色々間違っているような気もするが、とにかくウッディかつシックなモノトーンで纏めた、長く座ったらケツがペインでマックスするようなデザインコンシャスなチェアーが置いてある店だったっけか。でも、洒落た雰囲気のチェーン店が近場に出店してきてから、そういう頭が痛くなると同時に背中が痒くなりそうな店も大して流行らなくなると踏み、損をする前にとっとと別系統の喫茶店に鞍替えしたんだ。だからといってメイド喫茶という判断はどうかと思うが、もうそれなりに年数を重ねている辺り、確かに客の入りもいいようだ。藤乃の親父さんの経営手腕が良いのか、それとも風俗店よろしく店員のレベルが高いのか、はたまた喫茶店として味がきちんとしているのか……そしてそのどれもが当てはまるのか。一度くらい偵察に行ってみるのも良いかもしれないな。敵情視察と銘打って、働いている我らがもう一人の幼馴染みをからうのも楽しそうだ。今までの意趣返しってやつだな。……バレたら藤乃にどんな意趣返しし返されるのか分ったものではないが。それこそお手製の槍を手に持って追い回されるような。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ