76.決闘
またキリカの様子が変わった、とヒソラは思う。
アリナが三日ぶりに目覚めてテンションが上がっているのは分かる。しかし問題はそこではなく、日付を跨いで朝顔を合わせてみると、彼女はとても爽やかな、どこか吹っ切れたような表情で挨拶してきたのだ。
アルンの旅行から意識のない状態で帰って目覚めた後のどこか違和感のあるキリカとも違う、ましてやその以前、自身の妹として長らく世話を焼いてきたキリカとも違う。
具体的にどこが違うのかと問われれば黙るしかないのだけれども。
「ミカゲツ兄さんは何とも言わないんだよな。カヨウ兄さんと同じく、鈍感なのがなー」
「誰がカヨウ兄さんの同類ですか」
「うわっびっくりした」
朝食後、一人愚痴のつもりで廊下の窓に身を乗り出していたところに声をかけられ、ヒソラは勢いよく振り返って兄に文句を言った。
「やめてよ。うっかり落ちるかもしれないじゃん」
「そこから落ちたところで大した怪我にはならないでしょう?」
「そんなことは…」
一階の窓。すぐそこには地面の茶色が見えている。
首を捻ってヒソラは「あーそうかもね」と濁し、切り替えて再びミカゲツに文句を付けた。
「でも人の陰口聞きつけるの趣味悪いと思うけど」
「えっ陰口のつもりだったんですか。軽くショックなんですが」
「愚痴も陰口もどっちでも同じようなもんでしょ」
「いやあ違うと思いますけどね…」
苦笑するミカゲツは手に布と水筒、薬草等の医療品を抱えている。体を鍛える誰かへの差し入れだろう、とヒソラは予想を立てた。今の時間帯であると、カヨウは「朝飯の後に運動なんかできるかよ」というタイプ。カイロウが鍛錬をしている様は見たことがない。
よって、消去法でレイシンのものとなるだろう。
「ミカゲツ兄さんも大変だよね」
「どうしてですか?」
「だって、訓練中のレイシン兄さんに救援物資なんて運んでったら絶対「お前も訓練するといい。相手してやろう」とか言われるじゃん。頑張ってね」
「ああ…これはレイシン兄さん宛ではないですよ」
「え、じゃあカヨウ兄さん?」
「いえいえ」
にこやかな顔のままミカゲツは緩く首を横に振り、肩をすくめて答えた。
「アリナとエジットという人が決闘するらしいので、そのサポートをと思いましてね」
ヒソラが大急ぎで訓練場へ向かうと、そこには既にギャラリーが立ち込めていた。
人の中を掻い潜り、現場を目にする。床に境として円の描かれた上で相対しているのは、鮮やかな赤髪の少女と、くすんだ赤髪のおっさん。
「何やってるんだよ!?」
自然と大声が出る。当事者二人、そして周りの人々の視線が一気にヒソラへと注がれる。
ええい、こんなもの大したことではない。ライラックのニラ街で「カヨウ兄さんは痴漢じゃないよ!」などと叫んだ時の方がよっぽど衆目を集めていた。
ヒソラは単身アリナの元へ駆け寄る。ちらりとはるか後方にミカゲツがのんびり入場してくる姿が見えた。
「あ、ヒソラさん…」
「なんでこんなことになってんだ!?あんた何したんだよ」
「いえ、その…あたし、ちょっとヘンリーさんに話したいことがあって。その取りつぎをあの人にしてもらおうと思ってたんですけど…」
アリナは気まずそうな顔で相手側に視線を投げる。赤茶髪の長髪男は憮然とした表情で腕を組み、背後のサポーターらしき部下たちに「か弱げな女の子に決闘申し込むなんて恥を知れー!」「自分に有利な対面しか作りたくない卑怯者ー!」と批判され「うるさいうるさい!」と怒鳴りを上げている。
「…あれか?取りついでもらいたいなら自分を倒せみたいなこと言われたってことか?」
「ええ、まあ…」
「馬鹿かそいつ」
あの男の名前はエジット・セルペット。アルンの支配者の一人ヘンリーに仕えており、アリナとレイシンが本当に婚約しているのかどうかを見極める、という理由でヴァースアック領地に滞在している貴族風の男だったはずだ。
腕っぷしはどの程度か知らないが、たかが十五歳の少女であるアリナに成人男性が負けるはずもない。そんな思惑で今回の決闘をふっかけてきたのだろう。
半ば呆れつつ、ヒソラは「ていうかなんであんたも応じる気満々なんだよ」と苦言を呈す。
「おかしいだろ。ヴァースアックでもないあんたが腕っぷしで勝負を決めるなんて」
「いえ、最初はそう思ったんだけど、その…」
言い淀むアリナの言葉をかき消すように、エジットが「さああ準備はできたかなお嬢さん!」と意気揚々と木剣を振りかざす。その様子に見物人であるヴァースアックの住人たちから、「女子相手に力勝負とは卑劣!」「恥知らずな!」という彼の部下とほとんど同じ内容のバッシングが飛んでいるが、エジット本人は素知らぬ顔で剣をぶんぶん振っている。メンタルが強い。
ヒソラの制止も聞かず、ようやく到着したミカゲツに軽く頭を下げつつアリナは前に進み出てエジットに答えた。
「…ええ、いいですよ」
「ようし、それではこのエジットといざ尋常に勝負…!」
「ちょおっと待ったぁ!!」
上空から突然鳴り響いた轟音。あまりにも馬鹿でかい声量に、誰しもが眉をしかめ耳を手で塞ぐ。
天井を見上げれば、いつの間に待機していたのか梁の上に颯爽と誰かが立っている。その者はひらりと飛び降りるとエジットの前に立ち塞がった。
こんな芸当ができるのは、この地で一人しかいない。
何故アリナが辞退しなかったのか、ヒソラはその時ようやく理解した。
「アリナと戦いたいってぇ?馬鹿言っちゃいけねえ!」
そう。
レイシンとアリナの婚約に、一番やきもきしていたのは誰か。アルンの一件では蚊帳の外にされ、ニラでの婚約デートではいざとなったら二人を邪魔しようとしていたのは誰か。アリナがこの地に来てから、ずっと彼女を気にかけていたのは誰か。
「アリナに相手してもらいてえんなら、まずこのオレ!カヨウ兄さんからぶっ倒してもらおうか!」
そりゃそうだ。こんな事態に、カヨウが出張らないはずがない。
結果の見えた勝負にヒソラは心の底からため息を吐き、白けた顔で試合を見守った。
案の定エジットは敗北した。容赦のないカヨウにボッコボコにやられて顔にいくつものこぶを作り、「分かった…そこまで言うならヘンリー公爵との面会を認めよう」と掠れた声で承諾した。
見物人たちはカヨウが現れた時点で大半が仕事に戻っていった。残った者たちも一方的な試合に愛想を尽かし最後には誰もいなくなっていた。
エジットの部下たちは仲間内で勝敗の賭けをおこなっていたらしく、試合後は「やっぱ相手に賭けて正解だったな」「お約束だよな。見え見えっていうか」と、数少ない敗者から徴収してほくほくしていた。しかし試合中彼らが「うおおおお!そこです!ほら隙ある!」「あんたがここで負けたらアルンの沽券に関わりますよ!」「負けないでぇ!」とエジットの応援に白熱していたことをヒソラは知っている。
エジットとの勝負にカヨウの助力でアリナは勝利し、ヘンリーと話をする権利を手に入れた。
しかし、アリナは一体、アルンの支配者に何を話すつもりなのだろうか。
「カヨウ兄さんはそこのとこ知ってるの?」
「知らねえ。事情も知らないのに自分のために戦ってくれる奴の方がかっけえだろ?」
「あーうんまあ…」
試合後、手当てを終えてエジットと何事か交渉しているアリナを眺めながら、カヨウと会話する。ミカゲツは既に家に戻っているのでここにはいない。
近々、アリナとレイシンはアルンの国に赴きヘンリーと対話するようだ。今回は絶対についていくという心持ちがカヨウから読み取れる。
自分はどうしようか、とヒソラは考える。
アリナ、レイシン、カヨウ。この面子がいなくなるとすれば、どうなるだろうか。ミカゲツは多分一緒に行かないだろう。カイロウは言わずもがな。
やはり、キリカ次第だ。キリカがアリナについていきたいのなら、自分もキリカのお守りとしてついていく。
前回の旅行のように、自分の預かり知らぬところでキリカが倒れ伏す、なんてのは二度とごめんなのだ。
そういえば、アリナが決闘などという面倒事に巻き込まれたのに、キリカは飛んでこなかった。
アリナのことをかなり気にかけているキリカが来ないのは、珍しい。単純に知らないだけかもしれないが。自分だって、ミカゲツが通りがからなければ決闘を知らないままだっただろう。
「ねえカヨウ兄さん。決闘のこと、他は誰にも話さなかったの?」
「ああ?いや、まずアリナがレイシン兄さんに相談してるとこをキリカと一緒に目撃して、オレが首突っ込んで、レイシン兄さんの役目ぶんどって、カイロウ兄さんに許可もらって、その帰りにミカゲツに会ったから皆に話したぞ」
「いやなんで俺には話してくれなかったのさ!?それって俺だけ仲間外れじゃないか!」
「だってお前見当たらなかったし…」
確かに、ヒソラは朝から一人で愚痴りたい気分だったから人通りの少ない場所に佇んでいた。ということは、ミカゲツはヒソラを仲間外れにするのも可哀想だと思ってわざわざあの道を選んで通りがかってくれたということだろうか。気遣いの達人にも程がある。
しかし、妙なことがある。
「…キリカ、話聞いてたのに参加しなかったの?」
「おお。まーそういうこともあるんじゃねえの?気が乗らなかったんだろ」
やはり、おかしい。
鈍感な兄には分からないだろうが、自分には分かる。キリカに変化が訪れている。それが良い方向か悪い方向かは判断できないが。
「それよりオレカッコよかっただろ?リハーサルじゃ飛び降りた時に尻打っちまってさあ、めちゃくちゃ痛かったんだわ。今はマシになったけど。この我慢強さ見習ってほしいね」
ベラベラと自分語りをしている兄を無視し、ヒソラは「もしキリカがアルンに行くなら、今度は何があってもキリカを守る」と密かに決意していた。




