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74.約束の終わり

「ではこれより!アリナの快気を祝うパーティーを始めたいと思いまーす!」

「うおー!待ってました!」

「司会進行はわたしキリカと!」

「パーフェクトブラザーカヨウでお送りします!」

「皆拍手ー!」


 ぱらぱらとまばらな音がする。律儀なレイシンと妹を支援するヒソラ以外、盛り上がっているものは少ない。この会の主役であるアリナもその一人だ。

 レイシンが教えてくれたことは、アリナに衝撃をもたらした。

 カイロウは既に以前の優しいカイロウではない。戦いに血沸き肉踊るヴァースアックの人間になったというのだ。

 しかも、世界征服まで企んでいるのだという。

 これでは彼らと出会う前に抱いていたヴァースアックのイメージそのままになってしまうではないか。

 でも、とアリナは思う。

 あの時、寝起きで突撃してきたアリナに対しても、カイロウは切って捨てたりはしなかった。真顔で注意はしたが、怒鳴ることもなじることもなかった。それは事実なのだ。

 彼が閉じ込めたという悪魔についても、例えばアリナを勝手に眠らせたことでカイロウが怒り、その罰として地下に謹慎にした、という考え方にすれば、違和感もそれほどない。

 とにかく、カイロウが変わってしまったのは真実だとしても、その人格が丸ごと別人に成り果ててしまった訳ではないと思うのだ。


(ひとまず、悪魔と話をしないと…)


 キリカとカヨウの即興漫才を眺め、久しぶりに温度の通った食事を楽しみながら、アリナは地下にある「祭壇」に行くことを決意した。




「祭壇ってどこにあるんですか?」

「…あそこは開けるなと兄上の厳命だ。私には逆らえん」


 会が終了した後、密かに聞きにきたアリナに対し渋い顔をしつつも、レイシンは地下への道を教えてくれた。

 本来であれば当主と嫡子以外の出入りは禁じられている。彼らは秘密の鍵を使い、隠し扉を通ってその場にたどり着く。しかし他にも抜け穴がない訳ではない。

 アリナは非公認の道を行き、地上と異なって石ばかりが土台となる地下室へと赴いた。

 おそらくこの先が祭壇なのだろうと思わせる、いくつか亀裂が入り古びた石造の扉を前にして、アリナは深呼吸して手を伸ばした。


「開けるな馬鹿」


 ヒヤリと背筋を何かが駆け抜けた。次いで心臓の音がうるさく鳴り始める。

 耳元で囁かれた感じがしたがそれは勘違いで、実際には扉の向こうで彼は喋っているのだった。


「…悪魔」

「何しにきやがった」

「話をしに」

「おれは話すことねえよ帰れ」


 にべもなく告げられる。声色は普段のたわけた調子とは打って変わって低い。僅かに金属音が混じっているようにも聞こえる。アリナは臆さず続ける。


「あたしを幻に閉じ込めておいて、自分は応じないなんてひどいじゃない」

「うるせえ。大体、おれはお前を閉じ込めるつもりなんてなかったんだ。あれは、魔が差したっつーか。要するにおれがやったことに意味も理屈もない。ただの気分だ。理由を求めようとすんな。そもそもお前が…」

「スイに会ったわ」

「…なんだと?」


 息を飲む音が聞こえた。彼は息などする必要すらないだろうに、人間らしいにも程がある。あるいはそれはスイと出会ったからなのかもしれない。そう思い視線を伏せてアリナは言葉を絞り出す。


「あなたがあたしをこのヴァースアックの過去の地に送った。あたしはあなたの問いかけに正解した。あたしはあなたから、スイの話を聞くことになった。そして、ずっとずっと過去の…初代ヴァースアック、剣王ライのいる時代にまで、遡って見てきた」

「…会ったのか」

「ええ。そこであたしは実体がなかったから、話はできなかったけど。確かに、カイロウさんにちょっと似てたわね。スイとあなたはあの森の中の、封じられた土地にいた。そこで出会って仲良くなって…引き裂かれた」

「……」

「…ねえ、どうして嘘をついたの?」

「……」

「あたしは、アルンの国を治めた女傑と賢者の子孫じゃなかったのに」


 幻から脱出するため、悪魔の定めた条件を達成するために、アリナは「悪魔が愛したスイという女性の話を聞く」にあたって新たな幻へと飛ばされた。

 そこは、おとぎ話に出てくる「魔族」が生きている時代であり、その世界には魔族を打ち倒す英雄王リュカ、剣王ライ、賢者ジルベルト、女傑アンリ、そして、アンリの弟である、アックが存在していた。

 確かにアンリは、赤髪に緑色の目を持つ少女だった。しかし、深紅の髪のアリナとはまるで違う、くすんだ色であり、赤茶色と評した方が適切だった。

 遠い昔の話なのだから、容姿が変わっていくのも当たり前だろう、とアリナは当初そう思った。だが違った。幻を見ていくうちに理解した。アリナの祖先は、別の人間だった。


 仲間となった彼らは魔族に虐げられる人々を救うため旅に出て、集い、果てには魔族の王を滅ぼすことになる。


「…知らねえよ。おれは、知識の通りに喋っただけだ。知識がそう言ったならそうだと思った。それだけだ」

「あなたが見せた幻じゃないの。あなたは本当は知っていたんでしょう?」


 この事実をアルンの国のヘンリーに伝えれば、もう執着してくることもあるまい。この地に駐屯しているエジットら、アリナとレイシンの婚約調査隊にも同じく退去してもらえるだろう。


「違う。おれの作った幻とはいうが、あれはおれの管轄にない。おれの中には知識と守護に共有されている部分がある。そこが勝手に干渉しただけだ。まあ、てことはおれの記憶より正確ってことよな」

「知識と、守護…?」

「そこは見てねえのかよ」

「ええ。あたしが見たのは、英雄の成り立ち。それと…」

「…それと?」

「それと、あなたとスイの顛末」




 英雄達の傍ら、大陸の中央に位置する深い森の中で、その地を守り続ける一族の末端であるスイは、兄ライの帰還を待ち続けていた。

 無鉄砲で喧嘩ばかりしていたライとは異なり、スイは生まれつき体が弱く、家の外に出ることすら難しかった。

 そんな彼女はある時、家の中で得体の知れない影と出会う。真っ青な目と真っ赤な口以外は、黒で覆われた人の形をした何か。だが彼女はその影と仲良くなった。時間はかかったが、仲良くなった。いつか共に外に出て、青空の下で遊ぼうと誓った。


 その矢先、魔族の王を打倒したライが戻ってきた。

 影のことを嬉しそうに話す妹に、ライは「俺にも会わせろ」と言った。

 ライは影に取引を持ちかけた。

 この森を出たい。人間が住むのに困らない土地をお前に築いてほしい。魔力の化身であるお前ならば、可能なはずだ。

 土地が築かれば、そこに俺達は移住する。妹もだ。俺の知り合いに医術の天才がいる。そいつに妹を治してもらうから、お前に妹をくれてやろう。そこから先はお前達二人で、どうとでも暮らすがいい。


 影は応じた。それまで、自身が魔力を持ち、それを誰かのために使うなどと考えたこともなかった。影にも同胞がいたが、彼らは自分のことに夢中で、影に知恵を与えてくれることはなかった。

 影はライの言う通りに従った。スイのためと思えばどんな苦労も耐えられた。全ての時間を費やし、スイと過ごす暇もないままに土地を創造した。魔力を使えば使うほど自分を構成する物質が抜け落ちていく感覚になど、見向きもしなかった。時折ライが現れて喚いてきたが、集中が乱れるので無視した。

 そしてついに、影の手によってライの理想郷が完成した。

 気候の変動は少ない。気温も安定している。それなのに、作物はよく育ち、水源も豊かにある。ライの希望通り、人目につかないよう、結界も張ってある。


 完璧だ。これで、元気になったスイとずっと一緒にいられる。

 流石に疲弊して、穏やかな空の下でうずくまる影に、ライは「…ありがとうな」と感謝した。そして、こう付け加えた。


「屋敷の地下にスイがいる。もういいだろ。会いに行ってやれ」


 影は喜び勇んで、土地作りと並行して建設されていた屋敷の中へと突撃した。

 これであとは、スイの病気が治るだけだ。


 壁を通り抜け、床板を通り抜け、物理法則など関係ない体で地下にたどり着いた影を待っていたのは、棺だった。


「…は?」


 棺の中にはスイがいた。青白い顔で目を閉じていた。触れてみると冷たかった。何だこれは、と混乱するばかりだった。


「何だよそれ」

「…可哀想にな」


 いつの間にか背後にいたライが呟いた。途端に、影は全魔力を使ってライを拘束し、がなり立てた。


「ふざけんな!どういうことだ、何でスイが死んでるんだ、おかしいだろ!?」

「…ああ?おい、離せ」

「てめえ騙しやがったのか!?おれを騙して、働かせるだけ働かせて、スイのことを見捨てやがったのか!このクソ野郎」

「離せっつってんだろうがぁ!」


 吹き飛ばされた。おかしい。ただの人間が魔力の化身たる自分を上回るはずがない。しかし現にライはそこに、剣を携えて佇んでいる。床に叩きつけられた影を、憎々しげに睨んでいる。


「何でオレが責められなきゃいけねえんだ、ああ!?」

「…て、てめえが、スイが死んだのをおれに黙って」

「ああ!?貴様、何言って…いや、お前、嘘だろ」

「てめえのせいだ!てめえのせいで、スイは、おれは、くそ、許さねえ、殺してやる!」


 再びライに襲い掛かる。しかしライは人間とは思えない速度で影を翻弄し、ついには影を壁際にねじ伏せた。


「くそっ、この野郎!よくもスイを!おれを騙して、楽しかったか!?妹の最期を嘲笑ってやがったのか、下衆野郎が!」

「うるっせえんだよ!!」


 ライが吠えた。彼の力に圧倒され何故か逃れられず、それでもなお睨みつけていると、ライはふと歯噛みして眉を苦しそうに寄せ、叫んだ。


「…言っただろうが!!何度も!!」

「…な」

「オレは何度も伝えた!スイが危篤なのも、死んだってことも、あいつが死んじまった以上、約束は果たせねえ、だからお前に大地を作り変えてもらう道理もねえ、もうやめていいって言っただろうが!だが貴様はそれに首を振った!作業を続けたんだよ、お前は!一回もスイの見舞いに来ることなく、オレがやめないのかと何度確かめても地面を這いずり続けた!」


 違う。咄嗟に影はそう思った。

 周りが見えていなかったといえば、そうだろう。スイと会う時間がなかったのも事実だ。

 しかし、それは全て彼女のためだった。


「スイが最期オレに何て言ったと思ってんだ。アオに会いたいだってよ!?オレを差し置いてあいつの頂点に居座ってたくせに、貴様はスイを放置した!」

「そ、それは、お、おかしいだろ。だっておれは、お前、スイは治るって言ってたじゃないか。知り合いの天才が治してくれるって。だからおれは安心して」

「…あいつは、死んだんだよ!くだらねえ国の覇権争いに巻き込まれて死んだ!それも言っただろ!伝えただろうが!何で聞いてねえんだよ!!」

「そ、んな」


 ああ、きっとこれは幻なのだと影は思った。本当はスイは生きていて、自分は眠っているだけ、悪夢を見ているだけだ。

 目が覚めたらきっと理想の世界が広がっている。

 影―――悪魔は目を閉ざし、感情を底へ沈めて、明確な自我を失った。

 次にはっきりと意識が戻るのは、それから膨大な時間が過ぎ去った後。

 彼女の面影があるカイロウと出会うまで、悪魔は現実から目を背け、惰眠を貪り続けた。




「…あたしが見たのはこれで全部よ。これで、あなたとの約束は果たした。いいわね?」


 自身が見てきたものを話し終わり、アリナは深く息を吐いた。

 扉越しの悪魔の反応はない。辛い昔のことを思い出しているのだろうか。そう思った瞬間、荒い息遣いが耳に入った。

 次いで、大笑がこだました。


「なあんだよそれ!バッカじゃねえのお前。とんでもねえ嘘吹き込まれやがって」

「…な、なんですって」

「いやあびっくり。びっくりしちゃう。何そのライに都合のいい筋書き。あのなあ、あの下衆野郎はおれに何も伝えなかったんだよ。スイが死んだってのも、病気が治せねえってのも。最後まで黙ってたんだ。最低のクズ野郎だったんだよライは。そうじゃなきゃおれがここまであいつを憎むはずねえだろう?」


 そんなはずはない、と反論しようとして、ハッとアリナは口をつぐんだ。

 先ほど、悪魔が言ったこと。『まあ、てことはおれの記憶より正確ってことよな』

 幻は、悪魔の記憶より正確に、実際の過去に即して作られている。

 ということは、つまり、悪魔の記憶の方が捻じ曲げられているのだ。自分に都合のいいように書き換えられている。

 そうでなければ耐えられないから。


「…そうね」


 アリナは否定しなかった。ライは悪者とされてしまったが、彼はとっくに死んでいる。今更文句をつけるものは誰もいない。ならば、悪魔の気の済むようにさせてやればいい。それで傷が癒えるのなら。


 加えて、アリナは重大なことに気がついた。

 ヴァースアックの過去、七年前の幻を見ていた時、アリナは何度も「これは悪魔の記憶だから、実際より皆性格が歪んでいるのだ」と言い聞かせ、人物像の乖離に耐えていた。

 …幻が正確なら。あれも、本当にあったことなのだろうか。いやでも、あの世界の悪魔は確かに「ここはおれの記憶の中。皆美化されてるけど許してね」と言っていた。それに、正確な記憶の場面にはアリナは干渉できないとも。実際、英雄王とスイの幻には干渉はできなかった。だがしかし…。


(…ううん。仕方ないわ)


 過去がどうあれ、今の彼らは優しいのだ。

 それに今は悪魔に構うより、カイロウについてを考えなくてはならない。

 ぶつぶつと文句を言い続ける悪魔に「あたし、そろそろ行くわね」と声をかけ、アリナはその場を離れた。

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