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72.悪魔の取引

 カイロウがトウセンを下し当主の座を奪い取った件は、一夜にして領地の全域に伝わった。

 ある者は「そんなはずがない」と笑い飛ばし、ある者は「なんと愚かな」と息を巻き、ある者は「カイロウとトウセン共同の何らかの計略なのでは?」と訝しんだ。

 だが、トウセンの利き腕がカイロウに切り落とされたこと、カイロウが発した「気に食わぬ者はこの地を出ていけ」という命令、何よりトウセンが負けを認めているという事実に、人々は愕然とした後、潔く荷物をまとめ出立の準備を整えるトウセンに食ってかかった。


 押しかけられて口々に理由を問われ、ため息を吐いたトウセンは「どうもこうもない。一番強い奴に命令されたんだから弱者は従うだけだろう」と静かに答えた。

 それを受けて人々はようやく「あのカイロウがトウセンに勝った」ことを信じた。

 失われた右手と、敗北しても奮起せず逆襲も企てないトウセンを前に、信じざるを得なかった。


 そして、トウセンを支持する者、伝統を重んじる者、当主カイロウを認めない者は全員、ヴァースアック領地を出ていくことになった。

 その中には、カイロウ達兄弟の母親の姿もあった。

 元々ヴァースアックでない彼女は片腕になった夫を見て涙を流し、粛々と彼の右手の代わりを務めていた。

 遠くからその献身ぶりを目撃したミカゲツは、「きっと母は、父が同行しない限り二度とこの地に戻って来ないだろう」と悟り、まだ幼い弟への憐憫を抱いた。




「神様が…悪魔?というのは、本当に…?」

「そうだ。ヴァースアックの当主が代々祀ってきたものの正体は神ではない。悪魔だ」

「で、では、兄上は、それを打ち破るためにわざわざ当主の座についたということですか!?」

「いや、違う。人の身で悪魔に勝つなど、誰にも出来ない。あれは怪物だ」

「え、そ、それでは、一体、何故…?」


 下克上を果たした翌日。呼び出したレイシンにどの程度の知識が伝授されているのかを確かめ、カイロウは「今まで教えられたことは偽りだ」と断じた。

 物分かりの良い弟はすんなりと受け入れ、カイロウが父親に反旗を翻した件についても特に気にした様子はなかったが、「悪魔」のことを説明されると流石に混乱したのか首を捻っていた。


 カイロウが父を倒したのはあの白髪の少女…キリカのためだ。

 一番下の弟よりも幼い彼女を殺させないために、カイロウは父に刃を向けた。

 そこに悪魔は関係ない。


 だが、こうして当主になった以上、やらなくてはならないことがある。


「悪魔は敵だ」

「敵、ですか?」

「覚えていてほしい。仮に悪魔から取引を持ちかけられても、それは決して、相手のためではない。悪魔自身の欲望のためだ。応じてはならない」

「わ、分かりました」


 真剣に頷くレイシンに頷き返し、部屋から送り出す。何か言いたげだったが、結局レイシンは声を上げることなく退室した。


「ひでえな。おれは敵かよ」


 誰もいないはずの背後から声がしても、カイロウは驚かない。

 冷静に扉を閉め、彼と向き直った。


「そうでなければ、これまでの仕打ちに説明がつかない」

「まあ…な。でも昨日は助けてやっただろ?父ちゃんの腕切って狼狽してたお前のフォロー誰がしてやったと思ってんだよ?」

「そうだな。だが、それもただの気まぐれだろう」

「…何かお前、急におれに冷たくなってない?何で?」


 どうしてだろう。昨日、遠い昔の記憶を思い出してから、妙に心がざわついている。そのせいかもしれない。

 だが、それを抜きにしても、悪魔に親しく接する理由はない。


「初めて会った時から、君は俺を俺と認めなかった。別人の代用を、俺に強要し続けた。それでどうして仲良くできるんだ」

「そりゃそうだけど…だってお前ほんとにスイちゃんに似てるし…しょ、しょーがねえじゃんおれが何年待ったと思ってんだよ!?ちょっとくらい代わりにしてもいいだろ!?何でそこまで拒否!?」

「気持ち悪いからだ。俺は俺でしかない。他の誰かにはならない。なりたくもない。分かったら、消えてくれないか」


 ずっと言いたかったことだ。

 これまでは良心が邪魔して遠慮していたが、今は何故か躊躇なく言える。不思議である。


 悪魔は、なおも食い下がった。


「…じゃあ、取引しようぜ」

「断る」

「あの女の子が死んでもいいのか?」

「何だと…?」


 まさか、キリカを人質にでも取るつもりか。睨みつけるカイロウに、悪魔は首を振った。


「おれは殺さねえよ。だが、死ぬ。何故か?あいつには魔石が埋め込まれている。それを除去しない限り、感情はいつまでも吸い続けられ、果てには生きる気力すら失って死ぬ。魔力ってのはそういうもんだ」

「…それを、信じろと?」

「お前の勝手だよ。小さな死骸の前で、あの時悪魔の言うことを聞いていれば、と後悔すんのもな」


 真っ白な少女が更に色を失ってひっそりと眠りにつく光景を想像する。存在感すら希薄な彼女がそうなる様は、容易に思い浮かべられた。


「…ならばその魔石を取り除けば良い。君の手を借りずとも、他の有識者に」

「そりゃ全部取るだけなら素人でもできるさ。ただ、あそこまで同化しちまったら、もう魔石無しじゃ生きていけない」

「魔石があると死ぬのに、無くても死ぬ、だと?」

「そうさ。このままにしてたらいずれは死ぬ。でも魔石全部取ったらそこで死ぬ。だったら、生きていくのに最低限の魔石だけ残して、後は取り除けば良いってこと。でも、お前らにそんな判断できるか?魔法も使えないくせに。正確に、命に関わらない量の魔石だけ、取り出せるのか?」


 何を言わせたいのか、それを察して、カイロウは唇を引き締めた後、息を吐いて告げた。


「…何が望みだ?」

「なあに、簡単なことさ。おれは女の子の命を助ける。お前は、おれの言うことを聞く。な?単純だろ?」


 悪魔の契約だ。

 他人の子供のために、自分がそこまで身を削る意味はない、と心の奥で何かが囁く。

 それでもカイロウは頷いた。


「キリカを本当に救えるのなら」

「救えるさ。おれは神様みたいなもんだからな」




 処置を終え、キリカは感情を取り戻したが、同時にカイロウの判断で記憶を封じられていた。

 家族を失い、体を作り替えられ、ヴァースアックを殺すために生かされていた、という酷な事実を知らせる必要もないだろう。

 川で溺れていたのを助け、寄る辺もなさそうなので養子とした、という経緯を、キリカはあっさりと鵜呑みにした。


 そうなんだ、ありがとう、お兄ちゃんって呼んでいいの?これからよろしくね、お兄ちゃん!


 そうしてキリカは家族として迎えられ、当主交代と多数住人移動の件で混乱していた弟達にも、じきに受け入れられていった。


 レイシンはカイロウから一切の笑顔が消えたことに戸惑いつつ、兄を支える役として張り切り、

 一時期やさぐれ「吟遊詩人になりたい」とぼやいていたカヨウはキリカという新しい風を得たことで陽気さを取り戻し、

 父と母がいなくなり兄が別人と化しても無関係を貫いていたミカゲツもやがては新体制に馴染み。


 また、キリカという妹が現れたことで一番変化したのは、末弟のヒソラであった。

 「下のきょうだい」なる未知の存在―――守るべきものに出会い、ヒソラは変わった。キリカは感情豊かで行動力があったのも相まって、彼女のお守りとして一緒にいるうちに、「俺がしっかりしなければ」という意識が芽生えたのだ。

 新当主カイロウにとって、臆さず飛び込んで半ば強制的に人の間を取り持つキリカの存在は、思わぬ幸運を招いた。


 結果的に、ヴァースアックの領地は以前の殺気と戦意が薄れ、居住区は縮小しつつも平和と長閑が蔓延る土地へと変貌していった。







 悪魔が語っている。


「その一、お前はスイの代用品。おれがやれって言ったらお仕事を休んでスイみたいにゆっくりすること」

「その二、素を晒さないこと。父親まで切ったんだから、お前は以前の優しきお前ではなく、暗黒大剣士として尊大に振る舞うこと」

「その三、おれとお前のことは他人に話さないこと。まあ言ってもいいけど、言えないだろ?おれを道連れにお前が死のうと目論んでるなんてよ」

「そんで、最後の条件だが」


 何だ?と尋ねると、悪魔は一瞬の逡巡の後に、深い海のような色の目でこちらを見上げた。


「おれの話を、聞いてくれ。おれと、おれが愛する、あの子の話を」

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