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71.交代

 恐れていた時が来たのだ、とカイロウは思った。

 ヴァースアックを滅ぼすために改造された子供たち。ただ道具として扱われ意思を持たない彼らを、躊躇なく殺そうとするヴァースアック。

 引き取り手が見つからず唯一連れて帰ってきた白髪の少女。

 少女を弟に殺させようとする己の実の父親。

 横暴な暮らし。


 もう見ないふりで誤魔化すことはできない。

 父を打ち倒すのだ。手段を選ばず、寝込みを襲い奇襲をかけるのだ。正しくあるために。


 ヴァースアックは人殺しの集団だ。己もその血を濃く受け継いでいる。

 ―――そうでなければ、得体の知れない能力を植え付けられた子供を前にして、同情より先に戦意が浮かんできたりするものか。

 ヴァースアックでなければ、実父を倒さざるを得ないという状況に、沸き立つはずがない。

 実父を撃退後、彼の頑強な同志を敵に回すという事実に、底知れぬ高揚を抱きなどしないのだ。


 戦いに呪われた血だ。

 誰かが止めなければならない。

 己とてヴァースアックの本能に犯されている身だが、子供を見殺しにするのを良しとするほど、理性は腐っていない。

 たとえその使命の傍らに、「ようやく大義名分を得て父と戦える」という感情があったとしても。


 そもそも己は、生まれつき戦い嫌いだったわけではない。

 ヴァースアックの次の当主として、先陣を切って戦場に身を投じるのに何の否やも無いはずだった。

 長男として、弟の見本となるべく剣を握っているはずだった。

 …どうしてこんな軟弱な性質を帯びてしまったのか?

 一体いつから己は「ヴァースアックは平和主義に変化するか、絶えるべきだ」などという思想を抱いてしまったのか。


 …覚えていない。


 しかし今はどうでも良いことだ。

 これから父を殺す。

 父の同志を殺す。

 異議ある者は皆殺し。

 後に残った優しき者達をまとめて「新たなヴァースアック」として生きていけば良い。

 それが平和への第一歩である。

 正義のために、必要な犠牲なのだ。




 カイロウの様子がおかしい、とカヨウは言った。

 それはいつもだろう、と密かに思った。

 レイシンには疑問がある。長男であり嗣子のカイロウは、どうして弱いのだろうか。

 母親似のレイシンやミカゲツ、ヒソラと違い、先祖代々似通ったヴァースアックの相貌を引き継ぎ、賢く、握力も、腕力も、脚力も、人並み以上の身体能力を持つ兄が、何故戦いとなると退くのか。


 その理由をレイシンは、兄は手を抜いているからと結論づけた。

 本気を出さず、全力を見せず、何らかの意図を持って当主の座から降りようとしているのだと。


 ならば、自分は兄の代わりとして勤めよう。

 本来なら兄は誰よりも優れたヴァースアックの剣士になれるはずなのだ。才能を押し隠そうというのなら、自分もそれに協力しよう。

 兄の代理として、当主になろう。

 もしかしたら、本当に兄は軟弱で、臆病なだけかもしれないけれど、考えないようにしておこう。


 レイシンはそう思っていた。

 ゆえに、カイロウが父トウセンを圧倒して今まさに実父を斬り殺そうとしている場面を目撃しても、レイシンは「ああ、やっぱり」と思うだけで、驚きはなかった。




 奇襲作戦は失敗した。

 カイロウが寝込みを襲った時、トウセンはそれを予期して戦闘態勢に入っていた。

 「お前の思考なんざお見通しなんだよ、出来損ないがぁ!」とトウセンは叫んで、浅慮にも一族の長に楯突こうとした痴れ者を撃破しようとした。

 計算が狂ったのは、カイロウが真剣を使っていたことだった。

 この出来損ないは、訓練にも参加せず摸造でも剣を持たず、不戦に徹していた。

 だから、たとえ攻撃してきたとしても、どうせ木刀か何かで覚悟も決まっていないのだろうと、そう思っていたのだが。

 予想が外れた。


 しかし、相手が真剣を持ち出してきたくらいで、トウセンは動揺しない。

 ヴァースアックを束ねる者として、幾多の死闘をくぐり抜けてきた。数多もの人間を斬ってきた。

 実戦も知らぬ若造に遅れを取る道理はない。

 負ける気などしない。


 ただ、誤算はもう一つあった。


 カイロウは天才だった。

 天性の筋力と、天性の反射神経と、天性の気迫を備えていた。


 剣筋を見切られ、弾き飛ばされて、威圧され、そのことに気づいた時、トウセンは吠えた。


「てめえは!どうして今まで剣を握らなかった!この十八年をてめえは無駄にした!鍛え続けりゃどれだけ伸びたと思ってんだ!」


 罵倒ではない。カイロウの太刀筋を目にした瞬間に息子への憎悪は失せていた。

 剣の神に見出されるのも当然だと納得した。

 ただ、剣士として、当主として、トウセンは何故その惚れ惚れするような才能を眠らせたのか、なんて勿体ない真似をするのかと悔やみ、批判した。


 カイロウにとっては、知ったことではなかった。

 初めての実戦。初めての殺し合い。

 それは期待に外れて実に呆気なくつまらないものだった。

 同時に、戦おうとしなかったこれまでの自分は間違っていなかったのだと実感した。


「降参してくれ。これ以上やっても無意味だ。俺はあの子を助けたいんだ」

「ふざけんじゃねえ。てめえのその剣を見せられて引き下がるわけにはいかねえだろうが!」


 トウセンは笑う。カイロウは嫌な顔をしてまた剣を弾く。


「てめえなら剣王様の後釜になれるかもしれねえってのに!何が不満だ!」

「俺は戦いが嫌いだからだ」

「何故だ!剣王ライの血を引くお前が、何故戦を嫌う!」


 何故だろう。

 生まれつきではない。違うのだ。

 何かがあって、カイロウは戦いから離れるようになったのだ。

 己が変化したのは、自然の導きではなかった。


『結末を変えたいんだ』


 ふと、そんな声を思い出す。


『カイロウ。お前の娘が彼女を殺す。彼女を助けるために、お前には変わってもらわないと困るんだ』


 誰かが、カイロウに手を加えた。

 幼児期に、本来ならヴァースアックの嫡子として、先頭に立っていたはずのカイロウから牙を抜き、闘志を砕いて、軟弱者に仕立て上げた者がいた。


 忘れられた遠い遠い昔の記憶。

 その者のせいで、己は剣を遠ざけるようになった…というのは推測に過ぎない。

 まあ、フラッシュバックなどどうでもいいことだ。


「戦わねえってんなら、今ここでてめえを殺す!」


 少なくとも、今は父親をどうにかする方法を考えなければ。


 トウセンはカイロウを剣の道に引き入れたがっている。

 この戦いの直前のカイロウなら一考したかもしれないが、この空虚さを知ってしまった後では、「二度と戦いなんかしたくない」と思う。

 殺すのも嫌になった。


 ならば、双方納得する形で決着をつけるしかないが、その仕方が分からない。

 トウセンに話し合いなど通じない。

 ならば、一旦トウセンを拘束するか?

 では屋敷と領地に住まうトウセン派の者達はどうする?皆血気盛んである。


 剣戟を肉体に任せつつ、カイロウは頭脳を解決法に悩ませる。


 叫び声と剣の音、どちらも派手に振り撒いているから、屋敷の人間達が集まってくるのも、もう時間の問題だ。


 トウセンをあしらいながら、カイロウは均衡を保つ。


「…兄上?」


 それを破ったのは、弟だった。

 トウセンがギロリと扉の先を睨んだ。次に、口の端を歪めて笑った。


 冷や汗がどっと噴き出る。

 父は手段を厭わない男だ。それが有効になるなら、息子でも斬る。

 トウセンの爪先が扉に向かった。それを妨げるべく進行方向に体をねじ込む。


「兄上、父上、何を」


 背後で扉が大きく開け放たれる音がした。

 何も知らない弟が来てしまう。人質にされるかもしれない。斬られるかもしれない。

 死んでしまうかもしれない。


「来ては駄目だレイシン!」


 叫び、気を逸らしたカイロウは、繰り出されるトウセンの斬撃に対応しきれず、咄嗟に本気で剣を振るった。

 肉の断ち切られる嫌な音がした。そして、カランと剣が落ちる音。

 

「父さん!」


 カヨウが飛び出してきた。レイシンと二人で一緒に行動していたらしい。

 カイロウはゆっくり足元を見下ろす。


 トウセンの利き腕は切り落とされていた。


「…父さん」

「兄貴!何で!?父さんを、なんで」


 信じられないという顔をしてカヨウが突っかかってくる。レイシンは状況を把握しようとしているのか固まって動かない。


 剣を交えた時点で、殺す気も、害す気も失せていた。だから余計に「自分が父親の手を切った」という衝撃が大きく、カイロウは立ちすくんだ。

 どうしようもない。これでもう二度とトウセンは今までのように剣を振るえない。

 失われたものを元に戻すことはできない。

 どうしたら償える。

 どうすれば、


「…口、合わせろ」

「え」

「俯け」


 密やかな指示通り、消耗するカイロウは俯いた。

 透明な姿で悪魔はカイロウの隣に降り立った。




「父さん。これで分かっただろう。あなたは俺に勝てない。引退しろ。ヴァースアックの頭は俺が…私が引き継ぐ。ただし、この領地には、これまで剣を握らなかった私に反感のある者が多いだろう。彼ら全員、連れて出ていけ。これが最後の温情だ」

「あ、兄貴何言って」

「黙れカヨウ。私が当主になった以上、異論は許さない」

「な…」


 カヨウは絶句する。

 誰だこの男は。

 目の前にいる人物がカイロウであるはずがない。

 優しかった声も、笑顔も、眼差しも、佇まいも何もかもが異なっている。まるで別人だ。


 放たれる威圧感に恐怖でカヨウの体が震える。


 殺された。

 不意にカヨウは直感した。

 カイロウの魂はきっと何者かに殺された。だから、突然父親を襲って下剋上を果たしたのだ。

 だって、豪快な父も、優しい兄も、カヨウの前で不仲な様子など一切なかったのだから。


「父さん、返事は」

「この、野郎…てめえ…ふざけたこと言ってんじゃ」

「…ならば教えてやろう。神はあなた達を必要としていない。今夜起きた全ての出来事は神の意志によるものだ」

「…そうかい」


 急にトウセンは勢いを失った。

 床に転がる右腕と剣を見て、ぽつりと「神様が言うなら、仕方ねえなあ」と呟いた。


 カヨウには意味が分からなかった。レイシンははっとした顔をしていた。


「お前に任せる。うまくやれよ」


 トウセンは静かにそう言って、当主の座を明け渡した。

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