66.戯言
レイシンを味方につけた。
これで、アリナの味方となってくれたのは、カイロウ、ミカゲツ、レイシンの三人となる。
ミカゲツについては、本人は中立と宣言しているものの、カイロウが「口では素っ気なくても本当に優しい子だから、味方には違いない」とミカゲツの目の前で言っていた(そしてそれをミカゲツは死んだ目で見つめていた)ので、問題ないだろう。
レイシンの協力を得ることにより、アリナに不埒な思いを抱くカヨウを牽制する力を手にしたことになる。
カヨウをレイシンが抑え。アリナを敵視してくる使用人らを、カイロウとミカゲツがアリナに同行することで抑え。
そうすれば、アリナは誰にも邪魔されず、元の世界へ帰還する方法探査に集中できるというわけだ。
ヴァースアックの現当主、トウセンの立ち位置は曖昧だが、彼が忌み嫌っているのはカイロウ単体のみで、今のところアリナに直接的な危害を加えようとはしていない。故に、余計な勘繰りをして疑心暗鬼になる必要もないだろう。
アリナは今日も、手がかりを探して領地を巡る。
「未来の住人は、そんなに少数なのか?」
カイロウが言った。
相変わらず領地の外には出られないが、抜け穴の一つでもないかと境界線をなぞっているところだった。
四六時中べったり一緒にいるのも変として、ミカゲツは同行していない。
「ええ。今ここにいる人の数と、あたしが覚えている人の数が合わないんです…特に、ここのあたしを嫌っている人達を、あたしはあっちで見たことがなくて」
「ということは、やっぱり、血気盛んで部外者を好まない住人達は、俺が当主になったのを機に父さんと共に領地を出て行ったんだろうな…」
話していたのは未来…本来の世界の話だ。
この地での屋敷の使用人達と、アリナの記憶の使用人達が一致しない。屋敷内に限った話ではなく、領地全体の空気も異なっていると知って、カイロウはそんな仮説を立てた。
誇り高く、好戦的で、典型的なヴァースアックである一部の人々は、腰抜け当主に従うのが嫌で前当主についていったのだろう、と。
アリナの認識では、素の姿を除いて、決してカイロウは「腰抜け当主」ではない。むしろ、冷徹で、いつも無表情で威圧感を身にまとい、見たもの全てに恐怖を与える。そんな悪魔のような男であった。
しかし、優しく穏やかなカイロウしか見てこなかった、元来の住人達からすれば、いくら見かけは立派でも軟弱者の下につくのはお断りだという判断は当然だったのだろう。
実際、カイロウの中身は、こちらの世界と本来の世界とで、劇的には違っていないのだし。
「俺が当主、というのも信じられないが」
カイロウは当主。トウセンは別の場所で存命。
それだけの情報で、カイロウは「父さんは俺が指揮を担っている姿を見たくなくて自分から出ていったんだろう」と決定づけた。
そもそもどうやってカイロウが父親から権限を譲られたのか、それについてはアリナの知識外であるし、カイロウも「できる気がしない」と首を捻っていた。
しかし、領地は平穏で、内でも外でも争うことなく皆のんびり生活していると聞くと、青年は驚いたように、けれども嬉しそうに笑っていた。
「俺がまとめ役になって、父さんが別の場所で隠居生活をしている…そんなの、想像したこともなかった。でも、平和なんだったら、何よりだな」
草むらに足を踏み入れ、振り返って手を引くもアリナが一定以上先には進めないのを確かめつつ、カイロウは楽しげに尋ねた。
「兄弟も、皆一緒にいるんだろう?」
「ええ。皆、あたしによくしてくれました」
こちらの世界とは違って。とは口に出さない。
カヨウの印象が強いだけで、こちらの世界の彼らも、アリナには親切にしてくれている。
カイロウとミカゲツは言わずもがなだし、レイシンもあれ以来、律儀に約束を守ってカヨウからブロックしてくれている。
ヒソラだって、この世界に来た初日に、ミカゲツの言いつけとはいえしっかりとアリナをカイロウの元まで案内してくれた。
「…そういえば、ヒソラさんって、見かけませんよね」
ふと思い出す。
屋敷に滞在して数日経つが、食事時以外でヒソラの姿を目にした記憶がない。
ちなみに、アリナは食事を兄弟と同じ席では取っていない。トウセンやカヨウと顔を突き合わせるのも気まずいので助かっている。
「ああ、ヒソラは…人見知りだから。恥ずかしがっているんだろう」
「…ちょっと意外ですね」
「俺としてはその反応が意外で嬉しいよ」
ヒソラは、出会った当初に新しい住人を受け入れがたい傾向は見られたが、人見知りというほど気難しくはなかった。
同年代の少年であり、主にキリカを交えて行動を共にすることもあった。関係性は悪くないものだった、と思う。
「…あの、やっぱり、キリカって名前に、心当たりはないんですよね」
「うん?ああ、さっぱりだ。娘どころか男も養子はいない」
辺りのチェックを終えて、再び縁沿いに歩き始める。
キリカは、今この領地には存在しない。
彼女は以前、川に流されていたところを兄弟に救われ、ヴァースアックの養子となったと告げていた。
この時空では、まだ、その時が訪れていないのだろう。
かつて隠されたキリカの過去と、カイロウの真意を知りたくはあったが、仕方のないことだ。
一日かけて境界線を回ったが、めぼしいものは見つからなかった。
カイロウとアリナは探索を終えて、屋敷へと帰還する。
玄関を抜けて憎々しげに使用人に睨まれるいつもの工程を経ていた時、やにわに大声が響いた。
「だから意味わかんねーつってんだろうが!!何なんだよ、兄さんらしくもねえ!」
屋敷中に轟くような叫声。
間違いない、カヨウのものだ。
言い争っている相手はレイシンらしい。カイロウが駆け出した。つられて、アリナも後を追う。
場所はアリナの部屋の前だった。
そこには、カヨウとレイシンだけでなく、カヨウの裾を掴んで俯くヒソラと、レイシンの背後で眉をひそめて静観する、ミカゲツの姿もあった。
「だいたい、あいつはオレが連れてきたんだぞ!それなのに何で…」
カヨウはこちらに背を向けていて、まだカイロウとアリナの接近に気づいていない。
ミカゲツは軽く肩をすくめ、レイシンはアリナと目が合うと咄嗟に視線を逸らし、口をつぐんだ。一気に汗が浮かび、頬が赤みを帯びる。
「ああ?何、急に…」
勢いをくじかれてカヨウが振り向く。力強い黒の瞳が、アリナを捉える。
カヨウは何も言わずアリナを見つめ、アリナもまた、言い返すことができずに無言でカヨウを見つめた。
不意に、カヨウがレイシンの方へと向き直る。
「…なるほどな」
静かな声だった。
何が、なるほどなのか、と問おうとした時、カヨウは平静な面持ちで呟いた。
「兄さんに抱かせて懐に入り込んだわけか。気持ち悪ぃ」
「…え?」
「ま、目の付け所はいいんじゃねーの。兄さん童貞だったしな」
「お、おい貴様!?突然一体何を言い出す!?わ、わた、私がどどど」
「そういうことならもういいや。兄さんの変貌の理由も分かったし、兄さんの手付きなら興味失せるし」
カヨウが何を言っているのか、アリナには理解できた。
悟った。
これは、あれだ。
―――かつて、ミカゲツから受けた誤解と同じだ。
アリナとカヨウが中庭で寝落ちして、ミカゲツに「一夜を共に…!?あの二人、できてる!」と勘違いされた時と、同じだ!
一応根拠があった前回とは違い、今回はレイシンがアリナを見て赤面したという、ただそれだけのことなのに、とんでもない推理だ。
どうしてこう似通った思考をしてしまうのか。流石兄弟というべきなのか。
こちらのミカゲツはカヨウの宣言に「何言ってんだこいつ」という顔をしているのだけれども。
「馬鹿らし。いこーぜヒソラ」
「う、うん…」
ため息を吐いて、カヨウは片腕を頭の後ろにやり、従順な弟を連れて立ち去ろうとする。
ミカゲツは呆れ、レイシンは顔色を赤、青、紫と次々に変えながら固まり、カイロウはいぶかしげに首を傾げている。
アリナは、ここでカヨウを行かせてはならないと勘づいた。
このままでは、前回のように、長期的に険悪になるだろう。
あるいは、関わり合わないという点では、良いかもしれない。カヨウはこの件でアリナに興味を失ったと言っているし、ここで黙っていれば、もうこの先無理に絡んでくることもなくなるだろう。
だが、その場合、カヨウはアリナとレイシンが懇意であると誤解したままだ。
…それは、嫌だ。
「待って。あたしはレイシンさんとは何の関係もないわ。協力はしてもらっているけど、それだけ。あなたが思っているようなことは、ありえない」
「あっそ。良かったな」
息を飲む。
駄目だ。カヨウは自己完結している。どれだけ誠実に言葉を尽くそうと、少年はアリナを信じない。
「…あたしは、本当に!」
「何焦ってんだ。堂々としてろよ。次期当主の妻だぜ?」
絶句するアリナとすれ違いざま、カヨウはヒソラと繋いでいない方の手で軽くアリナの肩を叩き、「うまいことやれて良かったな!」と笑った。
そして、そのまま去っていった。
「うわあ…」
ミカゲツがドン引きしたような声を出す。
アリナは、笑いながら当て付けるの、将来のあなたにそっくりよ、と思いながら、肩を落とした。




