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64.受け継がれるもの

 カヨウが動員していた使用人達が解放されたことで、屋敷内には人気が戻っていた。

 しかし彼らは、アリナの記憶にある親切な人々とは違い、こちらを見るとあからさまに敵意と殺意を剥き出しにしていた。隣にカイロウと、意識のないミカゲツがいなければ、アリナはすぐに捕らえられていただろう。

 そう思わせるほどの殺伐とした雰囲気だった。


「…やっぱり、別物なんだわ」


 どれだけ外見が似ていようと、彼らはアリナを拾い、受け入れてくれた人達ではない。

 そしてそれは、現状は味方であるカイロウも同じだった。


 医務室への道中、アリナはそっと、ミカゲツを抱え歩くカイロウの横顔を覗き見る。

 変わらない柔らかな表情。面と向かえば相手の警戒心をあっという間に解く穏やかさ。

 それは現実世界のカイロウ(素)と同一の性質である。だが、アリナは目の前の青年を彼と一緒にしたくなかった。

 少なくとも、本物のカイロウは、幼い弟を傷つけ平然としている兄弟に「仕方ないなあ」と微笑んで許したり、野放しにしたりはしない。

 そう思いたい。


 目的の部屋に辿り着き、ミカゲツを預ける。様子を見ていたかったが、そこにいる人間もまたアリナへの不快感を隠そうとはしなかったので、泣く泣くミカゲツを置いてその場を離れた。

 今度こそ、カイロウと共に当主トウセンの元へ向かう。訓練所に行くのだ。

 しかしその必要もなくなった。


 トウセンが戻ってきた。

 エントランスにて使用人が大勢で迎え「おかえりなさいませ」と頭を下げる中、レイシンをそばに携えたその男は、悠々と現れた。


 大柄な男だった。齢十八の息子カイロウがいるのだ、中年のはずだが、引き締まった肉体のせいでかなり若く見えている。

 真っ黒な短髪で、同じ色の目は鋭く、一見恐ろしいが、それを意識させない、茫洋とした雰囲気を身に纏っていた。

 つまり、その男はアリナのよく知るカヨウに似ていた。


 親子なのだ。当然だろう。カイロウだって顔立ち自体は類似しているし、何の矛盾もない。

 しかし、アリナは言いようのないむず痒さを覚えていた。

 男が律儀に挨拶する使用人に対して「あーもう、やめろっつってんだろ、堅苦しい。いちいち皆でお出迎えされたらこっちが緊張しちまうだろうが!気楽にやれ気楽に!」などと豪快に笑い飛ばしている様のせいか。その姿はカヨウに酷く重なって見えた。


 カヨウが老けたら、こんな感じになるのだろう。そう認識し、多少の懐かしさを覚えざるを得ない男だった。


「…兄上!?何故、その女と一緒にいるのですか!?」


 叫びのせいで、一斉に視線がこちらに向いた。

 声の主であるレイシンが愕然としている。振り返った使用人達は憎々しげにアリナを睨んでいる。

 トウセンは、カイロウとアリナが並んでいるのを目にして、首を傾げた。


「誰だおめえ。おいカイロウ。剣もろくに持ちたがらねえ戦果も上げねえお前が、なーに上等な女持ち込んでんだよ。生意気だぞこら!」

「父上、違います。あれはカヨウが連れてきたのです。何故か今は兄上と同行しているようですが…」

「ほー、やっぱあいつは俺に似て趣味が良いな。おい嬢ちゃん、名前は?」

「アリナです」

「アリナね。で、何でカイロウと一緒にいるんだい」


 無駄話を挟まず直球なトウセンの問いに、アリナはまずカイロウを見上げる。大勢から敵視されているここが交渉の場にふさわしいとは思えなかった。


「父さん、話があるんだ」

「何だよ、まさか結婚話!?おいこらお前、そういうのは事前に筋を通してだなあ…」

「当家の根幹に触れる話だ」


 瞬間。

 トウセンの気配が変わった。

 ゾッとするほど冷たい目にアリナは思わず後ずさる。

 しかし、トウセンは即座に笑顔で「当家の根幹って、やっぱ婚姻関係じゃねえか!」と大声で返し、使用人を散らして、ついてきたがるレイシンも追い払って、カイロウとアリナを客間に案内した。


 さっきの冷酷な顔は、見間違いだったのだろう。

 それが儚い期待であったことを、アリナはすぐに思い知ることになる。


「…で?神様は何だって?」

「…彼は、アリナをここで生活させるようにと。もちろん、客人として」

「ハッ、そうかよ。で、お前がデタラメほざいてねえって証拠はどこにある?お前が神の言葉を騙ってないと言い切れる保証は?」

「その質問に何の意味もないことは、父さんが一番よく分かっているだろう」


 どっかりと長椅子に座ったトウセンは、嘲るような笑みを浮かべカイロウを挑発したが、冷静に返答されてこめかみに青筋を立てた。


 一体何の話をしているのか。アリナには理解できない。が、先ほどまであったトウセンへの親近感は粉々だった。少年カヨウといい、この世界はアリナを惑わすような人間ばかりで泣きたくなる。


「…期限は」

「分からない」

「永住か」

「いや、いつかは帰る。その方法を探るために、ひとまずここに滞在してもらうんだ」

「何で、ここなんだ」

「アリナは、領域から出られない。そういう呪いだ。ここに来たのも本人の意思じゃない。気がついたらここにいたんだ、そうだろう?アリナ」

「は、はい」


 トウセンの変貌に愕然としていたせいで少女は一瞬返事が遅れた。それを気にすることなく、二人は会話を続ける。


「外のカヨウの様子がおかしかったのはそいつのせいか」

「そうかもしれない。カヨウは、アリナに好意を抱いているみたいで」

「カヨウの思い通りにさせたら神は怒るのか」

「…ああ」

「そうか。ならお前が手綱握っとけ。他の大人連中には俺から話をつけてやる」

「駄目だ、カヨウは俺の言うことは聞かないし、父さんからじゃないと」

「うるせえよ」


 遮り、トウセンは目を剥いた。声には確かに激情が篭っている。それなのに、その瞳には熱と正反対の冷酷さしかなかった。

 現実の、威圧感の塊だった無表情なカイロウと同じ形相だった。

 近づいてくる。

 カイロウを掴み無理やり立たせると、その胸に拳を叩き込んだ。

 うっと青年は呻き、アリナは息を飲んで身を竦ませた。


「そこまでお膳立てしてやる義理はねえ。お前がやれ。仮にも神に選ばれた人間なんだ、それくらいの気概は見せろよ」

「…俺は、そんな」

「やれ。じゃなけりゃ死ね。死んで、戦場で果てた先祖に詫びろ。神に愛されてもなお脆弱なまま改善しようともしない自分を恨んで死ね。ヴァースアックの恥晒しが」


 言いたい放題吐き捨てて、トウセンは息子を突き放し、部屋を出ていこうとする、

 咄嗟にアリナが「あなたは敵なんですか、味方なんですか」と言い募ると、男は「知らん。お前らで勝手にやれ」と顔も向けずに言い残し、今度こそ退室していってしまった。


 その直後、「こらぁレイシン!盗み聞きしてんじゃねえ!「も、申し訳ありません!」「でも残念、ここは壁が厚いから中の音はほとんど聞こえなかっただろ、バカだなー!」「う、うぅう」というやりとりが聞こえてきた。

 先までこの場にいた男と同一人物とは思えない、明朗な声だった。


「か、カイロウさん、大丈夫ですか!?」

「ああ。心配しないでくれ。慣れてる」


 言葉を失う。こんな時でさえ、彼は困ったような笑みを崩さない。


「…あの人は、カイロウさんにはいつもこんな態度を?」


 浮かんだ疑問をそのまま口に出すと、カイロウは「ああ。他に誰もいない時は」と静かに肯定した。


「…アリナは、悪魔のことを知っていたんだよな」

「ええ」

「父さんは…あの、悪魔のことを、神様だと思っているんだ。剣を司る、神様だと」

「神様って…どうして?だってそんな、あの人…じゃない、あの悪魔は、神様なんて柄では」

「ああ。でも…父さんは、悪魔と直接に話したことがない。父さんだけじゃない、歴代の当主もそうだ」


 カイロウは淡々と説明を始める。


 ヴァースアックの歴代当主には、受け継ぐべき秘密として悪魔の存在が知らされる。しかし、彼らが悪魔と交流したことはない。その姿さえも、見たことはない。

 だが、かつて当主の中に、初代ヴァースアックである剣王に匹敵するとされるほどの才能の持ち主が何人かいた。「剣に愛される者達」だった。

 彼らには共通点があった。それは、悪魔と会話したことがあるという点だ。

 そのため、悪魔が自ら姿を現し、言葉をかけた人間には、特別な剣の才能がある。剣の神に、愛されている人間である。そんな言い伝えが残された。


 もちろん、そんな事実はない。悪魔が「剣に愛される者達」と会話したのは、単に彼らが強くて物珍しかったからだ。その才能をどう活かすのか、興味があったからだ。

 けれども伝承は受け継がれる。

 「剣の才能があると歴然な者に悪魔が声をかけてきた」のではなく、「悪魔に声をかけられる者は剣に愛されている」のだと。

 そして、才能を見極められる悪魔は剣の神そのものなのだと。


 悪魔はその勘違いを正そうとはしなかった。どうでも良かったのだ。

 かつて愛した少女が死んだ時点で、悪魔はヴァースアックに対する深い関心を失っていた。

 そうして、気まぐれに外に出て透明のまま浮遊する以外は、「祭壇」に篭って惰眠を貪っていた。


 しかし、ある時、悪魔は、トウセンに連れてこられた一人の少年を目にする。

 当主の嫡子が生まれ、物心ついたら、祭壇に連れていって挨拶をする決まりがあった。無論、悪魔にそんなことをしろと命令した覚えはない。彼らが勝手にやっていることだ。


 トウセンは、戦い嫌いで軟弱な長子に呆れていた。それでも、決まりは決まりだと祭壇へと少年を連れていった。「この子は見込みがないのでまた今度、次男を連れてきます」と言うつもりだった。


 だが、その少年は、悪魔が愛した少女に似ていた。

 悪魔は、その姿を一目見た途端に、無我夢中で姿を具現化させた。

 そして、驚く少年に恐る恐る近寄り、震え声で「スイ…?」と呼びかけた。


 トウセンはそれを見て、「カイロウは剣に愛されている存在」なのだと誤解した。

 気概もない。才能もない。菓子や花が好きな、女みたいで呆れさせる子供が、剣の神に選ばれたのだと思い込んだ。

 トウセンの誇り高い父親も、いくつもの国を籠絡した祖父も、戦場で鬼神のごとく活躍した数多の先祖も、見初められなかったというのに。

 よりによって、この子供が。

 どう見ても強くなどなれないこの息子より、自分の方が剣に愛されていないと、劣っているというのか。


 呆れは憎悪に変わった。

 大らかそうに見えてもヴァースアックの誇りは忘れたことのないトウセンが、神に選ばれてなお積極的に訓練にも参加せず弱いままであろうとする息子を、愛するはずもなかった。


「父さんは俺にはきついけど、多分アリナには危害を加えないだろう。悪魔…神様と信じるものが関わっているから。きっと大丈夫」


 説明を終えたカイロウは力強く首肯し、少女を安心させようと微笑む。


「大変なのはカヨウの方だ。カヨウは父さんの言うことしか素直に聞かないし」

「…それこそ大丈夫です。あたし、もう絶対にあの人に隙を見せたりしません」

「頼もしいな。でも、カヨウはあれで結構強いんだ。誰か君についててあげないと。ただ俺じゃ戦力外だし、弟もカヨウには勝てないし…うん」

「…何か、作戦が?」


 アリナの問いかけに、得心がいった様子で頷いて、カイロウは告げた。


「レイシンを味方につけよう。あの子はきっと、俺達を助けてくれる」

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