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63.あなたは別人

 「父さんに頼んでみるから」と頼もしくカイロウが宣言してくれたため、アリナはこれでとりあえず衣食住の心配はしなくていいだろうと一安心していた。

 実際は全然安心じゃなかった。


 カイロウは、アリナが元いた時代では当主であり、誰に指図されるでもない、権力を思いのままに操れる立場にある。見ず知らずの娘を嫁にするのも、妹にするのも、あるいは戦争を起こすのも彼の意一つであり、誰にも文句を言わせず自由自在だった。

 だが、この過去(正確には過去でもないが)では違う。彼はあくまでヴァースアック本家の長子であるというだけの青年だった。それなりの我儘は通るようだが、人一人を問答無用で滞在させる勝手は許されない。

 故にアリナは、ヴァースアックの頭である男、トウセンというらしい人物に、カイロウと共に申し込みに行かざるをえなかった。


 四六時中を執務室に引きこもっていたカイロウとは違い、トウセンは今の時間なら訓練所で暴れているだろうと青年に連れられて、悪魔に「殺されんなよー」と不穏な忠告をされつつアリナは屋敷を出た。

 それはすなわち、屋外を捜索していたカヨウ一行の目にも留まるということである。


「ああっ!?兄貴、そいつどこで見つけたんだよ!」


 カイロウの後ろにどうにか隠れようと身を縮めるアリナを目ざとく見つけると速攻で、背には大型の荷物を、手には縄を持ったカヨウが駆け寄ってきた。

 その縄でどうする気だったのか、想像するだけでゾッとする。アリナはカイロウを盾にし、じりじりと間合いを取った。

 共に捜索に当たっていた人々に解散の号令をかけて、ニコニコ顔でカヨウは兄に右手を差し出す。


「まあいいや。見つけてくれてありがと兄貴。んじゃお楽しみタイムしてくっから返して」

「残念だがカヨウ。彼女はそういうのではないんだ。今から父さんのところに行ってくる」

「は?」

「一緒に暮らすんだ、彼女はお客様だから」

「…何?まさか兄貴もそいつに惚れちゃった系?しょーがねえなあ、決闘だ。剣を抜け」

「カヨウ。話を聞いていたか?」

「いや、だからさあ。客って言われても。誰の客だよ。父さんか?違うだろ?さっき何も言ってなかったから兄さんでもない。つーことは兄貴の客だろ?兄貴の客なら、オレが奪ってもいいじゃん」


 唖然としてアリナは、少年の無茶苦茶な言い分に口をぽかんと開けた。

 「父さん」はトウセン、「兄さん」はレイシンのことだろう。トウセンもレイシンもカイロウも、カヨウにとっては目上の人間だ。だが、前者二人の客でなく、カイロウの客であるなら奪ってもいいとは、どういう理屈なのか。

 そして、このような暴言を吐かれたカイロウは一体どんな気持ちなのかと彼の表情を伺い、再び呆然とした。

 カイロウは笑っていた。苦笑だ。「仕方ない子だなあ」と言わんばかりの微笑み。


「だいたい兄貴いつ頃そいつと知り合ったんだよ、何でオレに教えてくれねえの?正直そいつは兄貴には釣り合わねえんじゃね?ほら、兄貴って余り物好きじゃん?飯ん時だってそうだし。いつもみたく譲ってくれよ」

「しかしなあ、カヨウ…」


 …なるほど、とアリナは理解した。カヨウのカイロウに対する雑な対応について。

 どれほど失礼な言動をしても、彼が怒らず笑って許していたなら。叱責の一つも口にしないのなら。それなら、舐められてもおかしくない。


「つーわけだから、兄貴はどっか行っててよ」

「いや、悪いがカヨウ。先に彼女と一緒に父さんに頼まないといけないことが」

「いーじゃんそんなの後で。オレだってずっとそいつを離さないわけじゃねえし、オレのが終わってからやってくれない?」

「うーん」


 露骨に困ったなあ、という顔でカイロウがアリナを見下ろした。

 何が、「うーん」だ。何を悩んでいるのか、この青年は。

 本当に、カヨウに自分を渡すかどうかを考え込んでいるというのか。

 今のカヨウが何を思って娘を要求しているのか、身柄を渡したらどうなるか、アリナでも薄々は分かっているというのに。それなのに即決できないというのか。

 …いや、それほど彼が弟に優しいということだ。

 責めるべきではない。


 カイロウが拒絶しないのなら、アリナが言うしかなかった。


「…あたしはあなたと一緒には行かないわ。カイロウさんと用事があるもの。何があろうと、カヨウ、あなたの思い通りにはならないわ。行きましょう、カイロウさん」

「はあ!?」

「ああ…悪いなカヨウ」


 愕然と、目も口も限界まで広げるカヨウから今度こそ逃れんとアリナは力強く足を踏み出し、不意に思い出した。

 カヨウの気を引くため騒ぎを起こしてくれたあの少年は、一体どこへ行ったというのか。


「ねえ、あなた…」

「あーあ!傷付いたわー!傷付いたわマジで!兄貴がそんな人だと思ってなかった!ひっでえわ!」


 しかし、アリナの呼びかけはカヨウの叫び声によって容易くかき消されてしまう。

 恨み言をその大音量で喚く弟に、即座にきびすを返したカイロウは眉を下げて「ごめんな」となだめにかかる。


「謝る気があるならオレの指示通りにしてくんない?それくらいの誠意は見せてもらいたんだけど」

「しかしな、カヨウ…」

「何?まだ異論あんの?嘘だろここまでオレにストレスかけといて?まだ何かあるっつーのかよ」


 上目遣いに睨まれて、カイロウはどう弁解しようか迷う仕草を示した後、ふとカヨウの背負う荷物の中身を視界に収め、息を飲んだ。


「ミカゲツ、どうしてこんなところに」

「…何ですって!?」


 今しがた頭に浮かんだ少年の名前を出され、アリナは、カヨウと距離を保つ注意を忘れ走り寄り袋口を覗き込む。丸まったミカゲツが麻袋に詰め込まれていた。

 慌ててカヨウから強奪し、なるべくゆっくり引っ張り出すとミカゲツは意識を失っているようだった。その整った顔に大きく青黒いあざがあるのを見て、アリナは信じられない面持ちでカヨウを見やる。

 カヨウは少女の視線に何を勘違いしたのか、首を傾げ爽やかに笑った。


「いやあ、そいつもう十二歳なんだけど、オレってば力持ちだから背負うくらい訳ねーのよ。尊敬してもいいぜ」

「…最低だわ」

「あん?」

「あなた、自分の弟に何してるのよ!」


 カッとなったのは、協力してくれたミカゲツがこんな目に遭ったという怒りだけではない。よりによってカヨウが暴力を振るったというのが受け入れられなかった。

 生理的な嫌悪感を催す態度といい、これは本当にカヨウなのかと憤って、先ほど悪魔の「記憶の中の世界だから美化されてるかも」という台詞が今になって突き刺さる。

 …これで、美化されているというのか?


「あのさあ、お前」

「何よ!あなたなんか…」

「何か勘違いしてんの?オレ達はヴァースアックだぜ?」


 カヨウは縄を片手で弄りながら、もう片方で後頭部を掻く。


「いやごめん、ちょっとオレ見込み違いだったわ。肝が座ってんじゃなくて、お前ただ無知なだけじゃん。まあ顔がいいから全然許すけど」

「…なっ、何がヴァースアックよ!あたしの知ってるヴァースアックは、こんな!」

「お前が知ってるって何だよ。誰のこと言ってんの?」


 絶句。

 反論が出てこない。

 アリナが最初に出会ったのは、間違いなくカヨウだ。幼い頃から悪魔と言い聞かされ、実際貧民街で彼に危機を救われた当初は警戒していたが、共に時間を過ごすうちに変わった。

 彼は、ヴァースアックであるが冷血ではなく、むしろ親しみやすかった。大声で笑い、大袈裟に怒り、弟からの不当な扱いに嘆きつつも決して暴力で屈服させるような男ではなかった。少なくとも身内に対しては、彼が本気で危害を加えたことなど、一度も、


「オレが弟に何しようがお前に責められる筋合いなくね?口出しされるとちょっとイラっとくるんだけど」

「…今やっと理解したわ。分かったつもりでも、分かってなかった」


 アリナは、カイロウの腕に抱かれるミカゲツから視線を外し背を伸ばして、不機嫌な少年をまっすぐに見つめた。


「あなたはあたしの知ってるカヨウとは別人よ。ここが作られた世界でも、本当に過去だったとしても、あなたはあたしのカヨウとは何の関係もない。現実のカヨウを、あたしは見てきたんだもの。ここのあなたがどれだけゲスだろうと、それは揺るがない」

「…あっ、そう。って、誰がゲスだコラ!」


 そうだ、何も変わらない。これは所詮幻で、実際に過去だったとしても、カヨウがこれまでアリナを助けてくれたことは紛れもない事実なのだ。

 だから、目の前にいるカヨウが何をしようと、アリナのカヨウに対する感情が変化することはない。別人と、割り切ったから。


「…先にミカゲツさんの手当てしましょう。カイロウさん、まずは屋敷に戻って…」

「兄貴ぃ!何なんだよそいつぅ!」


 そして、二つの声に挟まれたカイロウがまたしても困り顔で即断しないのを見て、アリナは唇を引き結ぶ。

 彼の人を和らげる雰囲気と、穏やかな表情に誤魔化されていたが、ここにきて確信する。

 ―――このカイロウは、ろくでもない。

 平和主義者といえば聞こえはいいが、外部からの催促がなければ決断できないのなら、日和見と何が違うというのか。


「…ミカゲツさんを貸してください。あなたが動かないならあたしが担ぎます」

「いや、大丈夫だ。俺も行くから」

「いいんですか?呼ばれてますよ」

「…今回は我慢してもらおう」


 そうして、アリナとカイロウは意識不明のミカゲツを加え、再び来た道を戻っていく。

 散々喚いて、がなって、なお取り残されたカヨウは、「あ、兄貴が頼みを無視した…だと!?」と驚愕の中に立ち尽くしていた。

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